システムが崩壊するとき

先日、ずいぶん久しぶりに、諏訪湖のそばを通った。車で通り過ぎただけで、岸辺に立ちよることはできなかったが、湖面には昔より人の親しむ気配があった。

諏訪湖は私にはなつかしい場所だ。私は大学院時代、生態系シミュレーションの研究をしており、諏訪湖はその主な対象だった。80年代の初頭のころ、信州大学理学部に付設されている臨湖実験所に、実験調査とフィールドワークのために何度か滞在したことがある。モーターボートを借りて、水質や底泥のサンプルをとるために湖の中をぐるぐると回ったものだ。

諏訪湖のまわりは、長野、いや日本の中でも、かなり古くから開けた地方だった。すでに古代、出雲の植民地として、奈良などと同じ時期に住民の定着と農耕が始まったとされている。諏訪地方は山間の盆地で、湖は広くて平坦、最深部の深さでも6mない。だから見かけは直径3km以上の大きさとはいえ、水量は多くない。それでも、天竜川の源として、周囲の耕地を潤し、また冬のワカサギをはじめ、豊かな漁獲で地域を養ってきた。

その諏訪湖はしかし近年になると、長らく水質汚染に悩んでいた。汚染といっても、特定の企業が有害な廃液を流しこんだためではない。そういうタイプの公害問題は、いちおう70年代の後半には社会の意識も進んだために、落ち着いていた。

80年代以降の水質問題は、ある意味でもっと深刻で困難なものだ。それは、湖の生態系自体がバランスを崩してしまい、淡水性の赤潮(「水の華」と呼ばれる)が発生して魚類が死滅する現象だった。私の研究テーマは、観測データの分析と実験、そして計算機シミュレーションを通して、赤潮発生の原因を探り、対策を考えることだった。そして、私たちが突き止めたその原因は、驚くべきものだった。それは、湖にそそぎ込む栄養分が多すぎて、生態系が正のフィードバック、つまり無限ループに陥ったためだったのだ。

湖の生態系は、単純化して説明すると、水中の無機栄養分と日光を元に植物プランクトンが成長し、それが増えると補食者の動物プランクトンが発生し、さらに動物プランクトンを餌に魚類が育つ。そして魚類の死骸は水中や底泥のバクテリアが無機質に分解し、さらに底生動物がそれを片づける、というリサイクル(物質循環)の構造になっている。どれかが増えすぎると、捕食者や分解者が現れてブレーキをかけ、全体のバランスをとるように、生態系というシステムはきわめて巧妙に出来ている。これは負のフィードバック・システムだと考えることができる。

ところが、このシステムには処理可能な容量の限界があった。私たちの研究室は、化学工学的な手法を用いて物質の収支を計算し、夏以外の通常の季節では、河川から諏訪湖に流れ込む無機栄養塩(とくに燐)は底泥に吸着されていくことを推定した。植物の必須栄養素は窒素・燐酸・カリ、と中学校で習ったと思うが、ふつうの湖沼水中では窒素とカリはふんだんにあり、希少な燐酸が植物生育のスピードを決める。

ところが、調べてみると夏の諏訪湖では奇妙なことが起こっている。水深の浅い諏訪湖では、表層近くの水は温められて軽くなり、底層に近い冷たい水と混じりにくい、成層化現象が始まる。この状態で無機栄養分が過剰に流れ込むと、それを肥料にした植物プランクトン(とくに藍藻類)は、光の豊富な表層でさかんに成長する。藍藻が水面を覆うと、光が水中に届きにくくなるばかりか、光合成で生成する酸素をみな水面から逃がしてしまう。すると、次第に水中は酸素不足になってくる。藍藻類の死骸が低層水に沈降してくると、バクテリアはただでさえ少ない酸素をつかって、死骸を分解しようとする。

こうして、低層水から溶存酸素が払底してくると、驚くべき事が起こる。それまで燐を吸着してくれていた底泥から、無機還元反応によって燐が溶出してくるのだ。放出された燐は水中を拡散して、ますます表層の藍藻を増殖させることになる・・・。酸素の払底で水中の魚も底生動物も死滅して、湖はひたすら黄緑色の植物プランクトンだけに覆われていってしまう。

これが淡水性赤潮の発生原因だった。本来は自己バランスを保っている生態系のシステムが、多すぎる栄養をそそぎ込まれると、勝手に自己崩壊していくのだ。これを「富栄養化現象」と呼ぶ。そこには、誰も悪役はいない。誰かを指弾するとしたら、それは諏訪湖のまわりに住み着いて、農地にせっせと肥料をまくすべての人間だ。肥料は雨水とともに河川に流れ出し、湖にそそぎ込む。だが、湖がその栄養分を処理して魚類を養ってくれる能力には、限界があったのだ。

ここからどのような教訓を引きだすか、それは自由だ。多すぎる栄養は生態系のバランスのためにはならない。多すぎる情報も、人間の心のバランスを崩すかもしれない、あるいは、多すぎる富は企業や社会を変質させてしまうかもしれない・・。

忘れないでほしいのは、湖の生態系自体が無くなったわけではないと言うことだ。存在はしている。しかし、それはあまりにも単相で単調であり、もはや人間に益を与えてくれない。多様性こそが豊かさの鍵なのだ。

長野県は長い年月と多くの費用をかけて、諏訪湖の水質を改善しようと苦心を続けてきた。しかし、悪化させた年月よりも、改善にかかる年月はずっと長い。システムを分析する人は、このことを決して忘れてはいけないのである。
by Tomoichi_Sato | 2009-12-15 22:49 | 考えるヒント | Comments(0)
<< 本サイトの訪問者が20万人を超... 時間のムダとり--スケジュール... >>