書評:「まぐれ」 ナシーム・ニコラス・タレブ著 (★★★)

まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか
ナシーム・ニコラス・タレブ著  望月衛 訳

私の信頼する人が「面白い」といっていたので読んでみたところ、たしかに非常に面白かった。原題は"Fooled by Randomness"、副題は『投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか』。経済活動における偶然の果たす役割について、非常に幅広い視点から論じた高級エッセイである。著者はレバノン出身で金融業界のトレーダー、同時に大学でも不確実性の科学を教えている。帯の文句には「ウォール街のプロが顧客に最も読ませたくない本!」とあるが、その通りかもしれない。

この本は、リスクに関する考察である。そして、リスクに対して思い上がった人間達の愚かさを痛烈に批判した本でもある。著者はそれを、身をもって業界の中で体験している。著者は博士号を持ち、MBAでもあるのだが、そうした高級な教育やキャリアが、人間の傲慢さを(矯正するどころか)増長させていることを、くりかえし指摘する。

経済活動や金融市場におけるランダム性というと、価格のランダムウォーク現象のことを書いているのかな、と思いがちだが、それは違う。投資家が完全な情報を有しており、適切に予想された証券の価格は正規分布的なランダムウォークをたどる、というのは経済学者サミュエルソンが1965年に証明した有名な定理であり、その後の金融理論の基盤となった。この定理は市場価格の平均値と変動の幅を予測することが可能だ、と主張する。しかし、それが本当なら、なぜ金融界はあれほどひどい乱高下やショックをしばしば経験するのか。なぜ標準偏差の10倍もの変動が1日に起きたりするのか(理論によれば10の24乗年に一度しか起きない頻度のはずなのに)。

タレブの中心テーゼは、明確だ。この世の事象には、予測しがたいランダム性がある。すくなくとも、今の標準理論では予測しがたい偶然性が。そして、もし確率的なランダム性があるのならば、一度や二度の短期的な結果で、ビジネス戦略のパフォーマンスを評価するのはおかしい。わずかなサンプル数で、成功の秘訣を理解したと思うのは馬鹿げている。そうしたおかしな事に気づかずにうぬぼれている奴は、すべからく愚かだ--国や歴史を超えて該博な例証をあげつつ、彼はそうした愚者たちを冷笑するのである。“まぐれに浮かれてる”と。

彼はその例として、『伝説の』投資家ジム・ロジャーズの発言を引用する。「私はオプションは買わない。SECの調査によれば、オプションは90%の割合で損のまま行使期限が切れている。オプションを買うのは貧乏人への近道だ」--この論理の、どこがおかしいかお分かりだろうか?

オプションを買うと90%が損になるとしても、損をしなかった10%の時に、どれだけ儲かるかを考えないと、この論理には意味が無くなる。著者タレブは'87年の大暴落(ブラックマンデー)の時に大儲けして、トレーダーとして名をあげた。彼は、希にしか起きないが振れ幅の大きな(=非対称なゆらぎの)仮説に賭ける人間なのである。

逆に彼が賢者として挙げる例は、確率論の中核を理解して、リスクにそなえる人々である。たとえば彼が仲間のローズと一緒に夕食をとり、勘定をどちらが払うか、硬貨を投げて決めたという。タレブが負けて支払をすませたとき、ローズはありがとうと言いかけて突然口をつぐみ、こう言ったのだ:「ぼくも確率論的には半分支払ったぞ」。

これこそ、まさにリスクに対する、正しい態度である。予測しがたいランダムな事象がある。だが、確率を想定する。そして、確率を織り込んで期待値を(あるいは期待コストを)自分で抱えるのである。そして、個別の結果には一喜一憂しない。誰かのせいにしたりもしない。それがプロとしてのプライドなのである。「武運つたなく処刑される時は、せめて一番上等の上着を着て、尊厳を保て。そして自分が、運命の女神の単なる奴隷ではないことを示すべきだ」--これが著者タレブのテーゼである。

このような性格は、レバノン人が20世紀にたどってきた運命を考えると、少しは理解しやすくなるかもしれない。中東の宝石と呼ばれ、すぐれた知的文化と伝統を誇りながら、大国同士のチェスの駒として内戦に巻き込まれた、地中海東岸の小国。彼らの多くは運命に翻弄され、故国を脱出し、ただ己の知恵と才覚のみを武器に、湾岸諸国や欧米で生き抜いてきているのだ。

望月衛の翻訳は、著者の装飾と気取りの多い英語を、なんとか分かりやすい日本語にしようと努力している。Controled experiment(対照つき実験)を「制御された実験」などと訳すところは文系の人かな、とも思えるが、文系理系の枠を超えた本書を、興味深い本にまとめ上げている。
by Tomoichi_Sato | 2009-11-29 18:33 | 書評 | Comments(1)
Commented by ななし at 2009-11-30 14:16 x
この著者の続編、「ブラックスワン」もおもしろいですよ。
私はTOCの不確実性への対処と絡めて読んでいます。
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