理系でもなく文系でもない

落語に、「紺屋高尾」という人情噺がある。吉原の高尾太夫の絵姿に一目惚れした紺屋の職人・久蔵は、太夫を一目見たい逢いたいと、死にものぐるいに3年間働いて給金を貯める。太夫といえば大名豪商しか相手にしない超エリートだから、大金を積まねば会うことなどかなわない。ようやく3年後、給金全額を懐に、知り合いで通人の医師に手引きされ、念願かなうべし、と吉原三浦屋にいく。労働階級など相手にされぬ格式ゆえ、野田の醤油問屋の若旦那といつわるのだ。しかし、手の指を見せればすぐに紺屋の職人だと知れてしまう。そこで久蔵はずっと懐手にしていなければならないのだが・・

士農工商の江戸時代では、「」に従事する職人の社会的地位は低い。しかし、商品経済にはこの逆順で近いわけで、実際には職人の収入はそこそこのものだった。私が聴いた噺では、久蔵は3年間必死に働いたあとで、親方に自分の給金がいくらたまったかをたずねる。すると親方が25両近くなっている、感心にもよく働いたものだ、と答えるのだ。つまり、働いた分に応じて給金が出る仕組みになっていたらしい。

もともと職人の給金は、出来高払いが基本であった。今風に洒落た言い方をすれば、「アーンドバリュー」にもとづいた、「成果主義」の賃金体系だったのである。そして、その賃率はそれなりに高いものだったらしい。昭和40年頃まで大勢の職人を雇って店をやっていた親戚の話を聞くと、腕一本でかなりの金を稼ぎ、またそれを大抵は飲んでしまうのがふつうであった。職人といえば親方の徒弟制度で技能を学ぶが、しかし雇い主との関係はむしろドライで、気に入らぬ事があるとプイッと辞めて他に移ってしまう。手に職があればこそ、独立独歩のメンタリティだったのだろう。

職人は専門職であったが、理系でも文系でもない。大学教育とは無縁だからだ。日本で職人仕事がそれなりに存続していけたのは昭和40年代いっぱいで、50年代になるとかなり低落しはじめ、バブル経済の平成に入ると完全に崩壊してしまう。かわりに高度成長期に増えたのは、固定給の会社員である(彼らは「月給取り」と揶揄された)。そして大卒の人間が、会社のホワイトカラー・管理職候補生として、採用される。

高賃金を得たければ、大学を卒業して知識を身につけ、企業に就職する--このルートをみなが目指したから、大学生の数は年々増え続けるばかりだった。学歴社会の誕生である。「何をどれだけ作れるか」ではなく、「どういう学歴で何年働いたか」が人間の地位や収入を決めるようになった。そして、ここで初めて、人間を「文系」と「理系」に分ける奇妙な思考が社会に定着しはじめたのである。

文部省は長らく、大学の学部名称と内容を規制していた。学部名称は「学士号」に直結しており、法学士や工学士はあれど、“コミュニケーション学士”や“コンピュータ学士”などは許されなかった。だからコンピュータ学部などというものも存在できなかったのだ。文部省は学生一人あたま年間10万円という補助金を与えることで、学校法人の経営を縛っている。名称とカリキュラムが自由化されたのはつい近年のことだ。役人の縦割り思考の中では、自由な学際などという発想は入り込む余地がなかったのだ。

この縦割り思考は、心理学が文学部に属し、人類学が理学部に、統計学が経済学部に属するような、不可思議な分類を許していた。マウスを使った実験による計量行動心理学がなぜ文学の範疇になるのか、それこそ心理学的には謎である。しかし入学試験の門戸は文系と理系に分けられていて、そこから先へはなぜか行き先が規制されるのだ。

大学入試の18歳の時点で文系理系を選ぶのは、たまたま数学の計算問題が苦手だとか、高校の世界史の先生と相性がよかったとか、その程度の理由でしかない。むろん、人間の人生は運とか縁とかで動かされていくものだと、言えなくはあるまい。しかし、ここにあるのはそういう高尚な諦念ではなく、ミカンを選別するためのコンベヤに似た、マスプロダクション教育の仕組みなのである。

私が文系・理系のどっちが得かといった論争を聞くたびに思うのは、人間を18歳の時点に二種類に分けて平然としている神経の不思議さである。「自分は文系だから・・」「俺はしょせん理系だから・・」などと言って自分を規定し、“だからITは知らなくても良い”とか“だから政治は興味がない”とか自己に許してしまう、怠惰さだ。なぜ自分にそんな分類や尺度を許せるのか。この地平線の端から別の端まで、地上に生起することで自分に無縁なものなど一つもない、というのがまともな大人の認識ではなかったか。

営業職や会計職の方が技術職に比べて生涯賃金が大きい、などと不平等を言い立てるのはおかしい。誰でも同じものが生産できるようにするため技術を使った。そして市場に大量の商品が供給できるようになった。そうしたら、ボトルネックは工場での生産技術から市場における販売に移るのは当然ではないか。成熟した工業化社会では技術屋は代替可能(リプレーサブル)で、その地位が低くなるのは、当たり前の推移なのだ。

それでも、人はパンのみに生きるにあらず、仕事が好きだと思えば技術屋を続ければよい。やっぱりパンが好きだと思えば、技術屋は辞めて経営管理職に専念するべきだ。経営職には本来、文系も理系もない。力関係があるだけだ。

面白いことに、近代的な経営工学の創始者だったテイラーの時代、労働者は出来高払い制度で働いていた。紺屋高尾の職人・久蔵と同じだ。テイラーの「科学的管理法」は、労働生産性を上げて、労働者に多くの賃金を払う結果をもたらした。経営工学は理系だろうか、文系だろうか? どちらでもない。それは合理的思考の産物なのだ。

では、私自身は理系だろうか、文系だろうか? 大学教育は「理工系」だった。しかし、私の自己認識は理系でも文系でもない。どだい、アナリストやプロジェクト・マネージャーの仕事は理系といえるだろうか。

たいていの中間管理職と同様、私の仕事は「複雑系」なのだ。
by Tomoichi_Sato | 2009-10-25 17:50 | 考えるヒント | Comments(0)
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