工場計画論(1) 立地論--工場はどこに行くのか

'90年代以来このかた、郊外にあった工場がポコッと消えて、その跡地に大規模住宅や商業施設が立ち並ぶようになる、そんな光景を何度も見てきた。いつもの見慣れた工場がある。それがいつの間にか操業を停止している。そしてある日、工事中の看板が立つやいなや、あっという間に更地になって造成されていく景色だ。

その逆を見たことのある人はいるだろうか? マンションやスーパーが取り壊され、近代的な工場が立ち上がっていく姿を。おそらくほとんど皆無だろう。なぜ一方向にしか変化は起きないのか。

それは、土地の単位面積あたりの付加価値産出量が違うからだ。土地一坪当たり、1年間に生むお金の量が違う。大都市近郊においては、商業の方が、工業よりもずっと月坪単価が高いのである。住宅販売や賃貸も同様である。

同じようなことは、じつは農地と工場との間にもあった。それは主に昭和の時代のことだから覚えていない人も多いだろうが、いつの間にか農地や林野が造成され、工場用地にかえられていった。なぜなら、農業や林業よりも、工業の方が、単位面積あたりの稼ぎが大きいからだ。農業は、太陽から降ってくるエネルギーを光合成で植物体に変えることで成り立っている。それが、電気と機械力で付加価値を生み出す工業に、面積あたりの稼ぎでかなうわけがない。

さらにいうならば、農業と工業と商業とでは、事業として必要とする最低限の面積もかなり違う。商業施設は、500m2もあれば立派な規模である。しかし、工場は1,000m2程度でも中小規模の感を免れない。ましてや農地は、3,000m2以下では零細である。しかも農地は「二階建て」にすることはできないのだ。方や商業施設はどんどんのっぽにできるのに。都市計画法その他の規制は割り引くとしても、土地の単位面積あたりの比較では、

 第1次産業 < 第2次産業 < 第3次産業
 
という優劣は歴然としてあるのである。

では、現代において都市を追い立てられた工場はどこに行くのか? その答えは、上の不等式の中にある。この不等式が成り立たなくなるのは、地方、とくに大都市が近くにない地域である。地域内に高い人口密度がないところでは、高収益な第3次産業は成り立たない。ここでは、工場がショッピングセンターに遠慮する必要はない。競り合う相手は農業だけだ。

ただし、農地は用水さえあれば成り立つが、近代工場は最低でも水と電気と交通のアクセスは必要だ。そこで、地方自治体によって造成された工場用地の出現と相成ったわけである。このようなわけで、現代の日本では、かつて隆盛を誇った京浜工業地帯や阪神工業地帯が、次第にほぐれるように解体し、かわりに周囲を農地に囲まれた工場団地が出現したのである。「××県○○市の市長は偉いな。新幹線も停まらせた。高速のインターも造らせた」などとというほめ言葉も聞く。これでは地方自治体が中央から独立できるわけがない。

話がそれた。では、すべて工場は地方にいて満足なのだろうか。たとえば、大消費地から遠くて困らないのか。これについていえば、物流網の発達のおかげで、日本国内だけを相手にするならば、ほとんどが1日以内で運べるようになった。無論、時間あたりの鮮度が問題になるような業種とか、重量あたりの単価が非常に低いような商品を扱う業種は別である。つまり、立地というものにはサプライチェーンの個別性からくる要求があるのだ。

働き手はどうか。かつて、高度成長期の中頃あたりまでは、地方は安価で豊富な労働力の供給地だった。今は、もう中小都市しかない地方は高齢化が進むばかりで、肝心の若手が少ない。工場に行っても外国人ばかりが目立つようになってきた。地方の中小都市に多数の外国人。誰にとってもあまり居心地の良くない状況である。外国人労働者を使うのなら(その是非はともあれ)、地方でも大都市圏でも同じではないか。

いっそのこと、安い労働力を求めて海外に移転しようか。--そういう流行が、一時はあった。「中国生産」ブームである。しかし、今やはっきり反省期に入っている。その理由はさまざまだが、一つあげられるのは、海外に出してしまうと、国内需要の変化に追随する能力が格段に落ちてしまうことである。また、新しい需要への対応、すなわち新製品の開発力にも深刻な影響が出てきた。それはまあ、当然であろう。国内であれば、日本人得意の『すりあわせ型』でやっていけた事が、海外では四角四面な『モジュール型』でしかできなくなるからだ。

こうしたことを考え合わせるなら、私は今後、一部の業種では工場の「都市帰り」というケースも現れるのではないかと考えている。都市といっても、まあさすがに港区のど真ん中というわけではないだろうが、大都市近郊である。都市生活者が通える範囲の立地である。なぜか。それは、これからの日本の製造業には「研究開発型工場」が求められるようになるからだ、というのが私の推論である。

(この項つづく)
by Tomoichi_Sato | 2009-10-21 22:45 | サプライチェーン | Comments(0)
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