NUMMIは終わった


新聞によれば、米ゼネラル・モーターズは6月29日、New Unitec Motor Manufacturing Inc.=略称NUMMIから手を引くと公表した。倒産したGMは資産を「新生GM」社に引き継ぐ予定だが、NUMMIの工場はその中には計上されない、という。現在NUMMIの工場で生産されているPontiac Vibeは、8月をもって製造を停止する。運営上のパートナーであるトヨタは先月、事業継続を期待すると言っていた。しかし、今や"General Motors"ならぬ"Govenment Motors"となったGMにとって、もはやNUMMIは資産ではなく負債である、ということなのだろう。

NUMMI(ヌンミないしヌーミ)は、1984年にGMとトヨタが最初の提携事業として、50対50ではじめたJoint Ventureである。カリフォルニアのFremontに工場を持つ自動車製造会社、というより、元GMのFremont工場を、新しい提携事業の実験場所にした、という表現の方が正しいのかもしれない。'80年代は、日米貿易摩擦が自動車市場で火花を散らしていた時代であった。

アメリカの製造業が絶頂を極めたのは1950年代だったのかもしれない。「GMの利益はアメリカの利益」という有名な言葉がそれを一種、象徴している。GMはアルフレッド・スローンが経営者となった30年代から成長した。事業部制・複数ブランド・オートローン(金融つき販売)などはみな、スローンが発明したものだ。MITのビジネス・スクールは、彼の名前をつけてスローン・スクールと呼ばれている。

そのアメリカの製造業が空洞化をはじめたのは、1970年代のことだろう。最初は、衣料品・繊維産業だった。日米繊維協定で日本側が「自主的」に対米輸出を規制することを約束。当時、米国の繊維製品輸入の7割を日本製が占めていた。だがそのころの『メード・イン・ジャパン』のイメージは、まだ“安かろう悪かろう”の印象を引きずっていた。しかし、つづけてオイルショックが起きる。ガソリンの値段も高騰し、大型車の維持費に辟易したアメリカの消費者たちは、デザインは平凡だが燃費が安く品質も安定している日本車に目を向けるようになった。そう、このころ、ようやく「日本製の品質」のブランド価値が上がって競争力が出てきたのである。

だが、米国の財界人・経営者たちが当時、日本の製造業の競争力をどう見ていたかというと、「ひどく安い給料で長時間労働をいとわない労働者たちを使って、モノマネ製品を作っているのだから、アンフェアなくらい安いのは当然だ」といった見方が支配的だった。奴らの製品に競争力があるのは、ひどく安い賃金のおかげ--まるで、現代の某国の経営者たちが、隣の中国製造業を見下していうセリフにそっくりではないか。はたして、その競争力の源泉は低賃金だけなのか。大連市の地元の中堅企業はもうNCとCADを主軸に使いこなしているのに、日系企業は相変わらず労働集約的な生産方式だったことを視察で見て以来、そんな単純な批評は信じないようになった。が、NUMMIの話に戻ろう。

トヨタがGMから買い取ったときのFremontの工場は、全米でもっともローテクで、かつ生産性も全米最低の工場だった。安価な海外製品に対抗するには、高付加価値な製品の開発と、工場設備のハイテク化だ--そう米国の経営者たちは信じていた。だから、こんな古くさい工場はまっさきに切り捨て・売却の対象にあげられた。そして、日米自動車摩擦の緩和をめざすトヨタが、共同事業の「実験の場」として選ぶことになった。

事業を始めるにあたっての最初の課題は、全米自動車労組UAWとの協定だった(実際にはGM側がやったとも言われている)。UAWは最近では、労働者の高賃金の元凶として、ビッグ3の破綻の原因のように言われているが、上に述べたように私は「低賃金=競争力」説には疑問を持っている。まあ、それはともかく、日本企業はどんな工場を造るのだろうかと興味津々だった(はずの)GMの目の前で、トヨタはかんばん方式をはじめとする、あっと驚く合理化の実践を次々見せていった。

まず、トヨタは訓練された小さなチームで自立的運営するような工場体制を作っていった。「連続した流れ」を実現するような工場レイアウトとし、また問題が起きたとき作業者の判断によるラインストップを可能にした。といっても、(この先はトヨタ自動車社友・黒沼惠氏の講演からの聞き書きになるのだが)「ラインを実際に止めるようになるまで半年かかった」という。とにかく自動車工場の主軸である最終組立ラインを、現場作業者が勝手に止めるなどと言うことは、米国流トップダウン経営の下では常識外のことだったのである。

そもそも、トラブル発生時にラインを止めるのは、上流側で起きた問題を下流側が検知して即座に解決・改善するためである。しかし、(UAWの労組組織を見ても分かるとおり)米国の職場は専門分業化が徹底している。分業化社会では、上流の改善作業は自分のscopeではないのである。他方、トヨタ流の思想の中心には、問題点の顕在化と改善こそが仕事である(「問題ないのは最大の問題」)との考え方が強い。180度逆なのである。

また、ホワイトカラーの役割は、「指示」ではなく「支援」だ、というのも180度反対であろう。そもそも米国の製造現場には、どこかにうっすらと奴隷制農園経営のセンスが残っている。労働者の黒人と、ホワイトカラーの白人という図式は少しずつ崩れてはきたが、それでも大学出の技術者は計画と指示をし、高卒の労働者は一生言われたとおり働くだけで、どんなに頑張っても職長止まり、という階級社会が当然のこととされている。ここで、主人公は労働者側で、大卒はヘルパーにすぎない、などというイデオロギーが入ってきたのである。

しかし、その結果は明瞭だった。全米一のローテク工場NUMMIが生産性最大となった、生産性と品質は過去の2倍に上がった。何より、ドラッグ、アルコール中毒がなくなり、無断欠勤がなくなる効果があった。つまり、労働者は人間扱いされれば、人間らしく意欲をもてるのである。おそらくこれが一番良かったことなのではないか。少なくとも、当時のトヨタは、工場運営にあたって、「生産性」の短期的追求だけではなく、生産システムの長期的「安定性」(継続性)を同時に実現しようという意気込みがあったのである。

NUMMIの実験を見た米国財界人の中には、日本製造業の強さは低賃金だけではないのかもしれない、と気づく人が出てきた。そうした見方をスローガンとしてまとめたのが、MITの"Lean Production"論である。これが80年代終わりのことである。

それから20年近く経った。「金融業のネタとして製造業をやっていた」GMはついに倒産し、70年以上続いた世界一の座をトヨタに譲ることになった。NUMMIからも手を引く、という。NUMMIは終わり、日米自動車摩擦の一つの時代も終わった。それでは、トヨタはNUMMIでカローラを作り続けるのだろうか。最近の同社のコメントを読むと、どうも撤退戦略の可能性も探っているようだ。なぜなら、すでに北米には生産拠点が明らかに過剰だからだ。

それにしても、トヨタは果たして、世界一の座について、本当にうれしいのだろうか? 私がこんなことを書くのは、べつにトヨタが今、苦境にあるからではない。たとえ1年前だって、同じことを書いたと思う。私の無謀な推論によれば、トヨタはフロントランナーの背中を見て走り続けたかったのではないかという気がするのだ。フロントに出て、真正面から風を受けながら、走るべき方向を自分で決めて走り続けるのは、苦手なのではないか--そういう気がする。いや、トヨタだけでない。勤勉な東洋の企業は、大なり小なり、目標があってはじめて走れるのだ。優秀なる韓国のサムスン電子が、やはり世界トップ企業にはなり得ないように。

トヨタの今の苦境は、北米市場に投資しすぎたことが原因と言われている。あの会社がなぜ、米国にピックアップ・トラックの工場などを持たなければならないのか、たしかに疑問も感じる。あれだけ現場カイゼンでは力を見せたのに、過剰投資には無力だった。そう。戦略レベルの失敗は、戦術の成功だけでは取り戻せないのである。
by Tomoichi_Sato | 2009-07-01 23:44 | サプライチェーン | Comments(0)
<< 特別な我が社 人時は金なり >>