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お知らせ:
『BOM/部品表入門BOM/部品表入門 (佐藤知一・山崎誠著、日本能率協会マネジメントセンター刊) が好評につき、重版になりました(第5刷)。 よろしければ、ぜひ書店でお手にとってご覧下さい。 『督促』というのは嫌われる言葉だ。される側にとってはうるさいばかりか迷惑千万に感じられ、する側だって楽しくない。この言葉を『催促』と言いかえてみても、もちろん同じだ。鬱陶しいものであることに変わりはない。
「督促する」を英語ではexpediteという。ところで、私の働くエンジニアリング業界には、Expeditorという専門職種がある。日本語に直訳すれば、「督促者」だが、この恐ろしげな名前の人たちは何をする人たちなのだろうか。まさか鞭を持ってオフィス内を歩き回り、人を後ろから怒鳴りつけるのだろうか。 実際には、エクスペダイターは、外注先の工場を定期訪問し、その進捗状況をコントロールする仕事をしている。日本語での名称も、「工程管理」という、もっと受け入れやすい穏和な(?)肩書きをつかう。 エンジニアリング会社は、客先のために工場を設計し、機械や資材を調達し、建設工事を管理することが仕事である。そして、工場に使う産業機械や資材はほとんどが個別仕様による発注品だ。作るメーカーの側から見れば、設計作業を伴う個別受注生産品(英語で言えばETO=Engineer to Order)ばかりである。こうした品目は、受注したらひょいと製品倉庫の棚から出して発送するような見込生産品と違い、納期が長くかかる。いや、標準納期すら存在せず、毎回、受注のたびに個別に納期を設定せざるを得ない。 しかも、受注してからすぐに工場で作り始めるわけではなく、まず設計部門で設計し、外形や重量や機能構成を「承認図」の形でまとめて、いったん発注者に提出し、承認を得る必要がある。それから部品表(BOM)と製作図面の出図にうつる。これだけで2,3ヶ月はあっという間に経ってしまうのが普通だ。部品表にしたがい、主要材料を手配し、納入されるのを待つ。工場側の生産計画にスケジュールを載せる。それからやっと、工場で材料を刻みはじめるのである。さらに組立があり、出荷前性能検査があり、塗装梱包されてようやく出荷となる。 これだけのプロセスを経て進む作業である。まさか発注書を切ったあとは目をつぶって待っていれば、納期の日に、目の前に自動的に製品が忽然と現れる、などと期待する方がどうかしている。ましてエンジニアリング会社の調達先の7割以上が海外メーカーである。Amazon.comで本を1冊買うのとは訳が違うのだ。 そこでExpeditor=工程管理の専門家の必要が出てくる。彼らは、発注先の工場を定期的に訪問する。そして、設計工程や生産工程が予定通り進んでいるかをモニターするのである。メーカーの設計部門が必要とする仕様書や技術図書の最新版が、全てそろっているかどうか(しばしばエンジ会社から営業部門に渡してもタイムリーに技術部門に渡っていかない)、技術上の懸案事項が残っていないか、主要部材は発注したか、工場はちゃんと製造能力に余裕を持っているか、検査要領の手はずは整っているか、等々をくりかえし確認するのである。 このプロセスはある意味で、外注先ではなく社内の他部門に仕事を依頼した時も、同じはずである。製造依頼ばかりとは限らない、設計の依頼でも、なんらかの検討の依頼でも同じである。スケジュール通り仕事を進めたければ、相手側の内部の進捗についても、モニターしていく必要がある。そして問題が発生していれば、タイムリーにそれを検知し、都度解決していかなければならない。むしろ、同じ社内であるほど、「発注書」や「契約書」が存在しないだけに、気をつけなければいけないはずだ。 ということは、社内の他部門に対しても、工程管理の仕事が必須ということになる。しかし、他部署の内部プロセスに口を差し挟むのは、現実にはなかなか困難である。そこで、妥協案として、依頼事項に提出期限をつける、という方法が普通は採用される。この日までにやって下さいね、よろしく、と頼むわけだ。 しかし、この方法には一つ、大きな欠点がある。それは、期限を自分の都合だけでは決められないことだ。相手側の事情も含めて、社内調整が必要になる。こちらは月末までにほしい。でも、相手は他の通常業務もあるので、来月中旬でないと約束できない、等々といった話し合いである。 そして、いったん両者の間で期限が合意されたら、成果物はその期日より前に届けられる可能性は極めて低くなるのが、現実だ。なぜなら、そこに『学生シンドローム』が働き始めるからだ。 学生シンドロームとは、小説『ザ・ゴール』の著者で、制約理論(TOC)の創始者であるエリヤフ・ゴールドラット博士が言い出した言葉である。彼は、夏休み最後の日にならないと宿題に手をつけない学生達を引き合いに出して、人はいったん将来の期日を与えられると、すぐにそのタスクに着手しないで、ぎりぎりまで後回しにしがちである、という。それでも期日に間に合えばいいじゃないか、と依頼を受ける側としては当然思うだろう。しかし、いったん期日を設定してしまうと、学生シンドロームのために、それより前に仕事が終わる可能性は極めて小さくなるのである。 期限にはもう一つ問題がある、とゴールドラット博士はいう。期限を設定する時に、依頼を受ける側は、約束をほぼ守れるように、それとなく期間にサバを読んで長く言いがちになる点である。2週間でたぶんできるな、と内心思っても、それを万が一守れなかったら責められる、じゃあ4週間といっておけば安心だろう、となる。 かくして、社内で複数部門を巻き込んだ仕事(つまりプロジェクト型の仕事)をやろうとすると、あちこちに水増しされた社内期日が設定され、全体工程が長くなってしまう結果になるのである。部分的な期限をつけたが故に、全体が長くなる矛盾が生じるのだ。 では、この問題を解決するにはどうしたらいいか。彼はそこで、あっと驚く解決策を提示する。だが、長くなってしまったので、続きはまた書こう。 学生のころ、阿佐田哲也の麻雀小説が好きだった。博打にも無頼にも縁遠い存在だった自分だからこそ、そうした世界に憧れを持ったのかもしれない。しかし、阿佐田哲也という人は情感と理性に絶妙なバランスを持った人で、その小説にはときどき非常に理論的な戦略解説がはさまれていた。
いまでもよく覚えているのは「茶木先生」という名前の音楽教師が出てくる短編で、この人はヴァイオリン・ケースをかかえながら、下手の横好きで雀荘に通ってくるのだ。勘に頼った彼の打ち方を見て、阿佐田哲也の分身である主人公が、いう。『麻雀は一回の結果だけ見て判断の良し悪しは言えない。長い平均で見て55対45の確率があるならば、55の方に賭ける。たとえある局面ではそれが裏目に出ても、腐らずに打ち続けることを学ばなければならない。それがフォームというものだ。』 麻雀自体はひどく運に左右される不確実性の高いゲームだが、そこにセオリーとフォームという概念を持ち込んだ点が、阿佐田哲也の天才だった。一回一回の結果論で評価せず、長期的な仮説(戦略)を持って行動する。それをフォームとして身につけ、一喜一憂の感情に流されぬよう集中力を持つ。それがプロなのだという。カッコいいではないか。 私はエンジニアとなる教育を受けて工学部を卒業し、勤め人になった。なってわかったことは、給料をもらってもプロになった訳ではない、ということだ。大学ではいろいろと結構な理論を学ぶ。会社でそれを設計に用いる--そんなことは誰でもできることだ。そのうち賢いコンピュータ・プログラムがでてくれば、機械が代行してしまう(事実、工学計算も製図も、かなりの部分がそうなった)。 では、人間がやるべきこと、プロのエンジニアがやるべきことは何なのか。それは、不確実性への対応なのだ。計算条件の中にある、曖昧さや将来予測の不確実性をどう判断するか。たとえば工場のキャパシティを決めるときに、市場はまだ成長するのか飽和に向かうのか、特定の商品が伸びるのか多品種化が進むのか、その判断によって設計は大きく変わる。もう少しミクロなレベルでも、この機械は頻繁に稼働・停止を繰返すことになるのか連続安定運転となるのか、このラインの搬送量は季節的ピーク値をどこまで見越すべきか・・想定すべき不確実性はいくらでもある。 ある程度、長期的な見通し(戦略)を持ち、行動上は細部にいたるまでそれに従う。これがフォームであるはずだ。行動の結果を学び、それを見通しに反映していく。言いかえれば、戦略的行動とは、仮説検証の継続に他ならない。そして、フォームとして身につけるためには、繰り返しによるトレーニングが必須だ。そのためには、自分の判断の中にある「仮説」に自覚的でなければならない。勘も度胸も、むろんプロとしては重要だろう。しかし中心に仮説と検証の精神がなければ、経験としての蓄積にならないのだ。 仮説検証という言葉は一時期、なぜか流行った。このために、ときどき奇妙な理解をしている人にお目にかかる。たとえば、生産計画が仮説で、生産実績が検証である、という風な。とんでもない誤解だ。生産計画の中に込められた、不確実性に対する判断基準、それが仮説なのである。この製品は伸び盛りで、まだ継続して注文があるかもしれない、だから来旬も受注可能なように、あの機械は少し稼働に余裕を持たせておこう--これが仮説なのだ。 次の旬には注文が無くて、機械稼働率を下げてしまうかもしれない。では仮説は間違いだったのか? だが、それは一度限りの結果だ。結果論にこだわって一喜一憂してはいけない。それではイーペーコーにこだわった茶木先生と同じレベルになってしまう。もう少し推移を見届けてから検証する必要がある。それがフォームなのだ。 いまでも私はときどき、自分がプロといえるのかどうか、自問する。世間的には、そうだと思われているし、そうでなければ困る。だが、私は毎回の結果だけ見て、一喜一憂してないか。『自分のフォーム』といえるものを身につけているか。その中心には、どんな仮説のリストを持っているのか。そして、私の所属している集団は、はたして「プロの集団」という名にふさわしい組織なのか。私の自問自答は、まだ終わらない。 電車にゆられながら吊り広告を見ていると、宣伝というのはつくづく一般消費者の欲望を刺激することで成り立っているものだな、と感じる。あれは素敵だ、これは面白そう、こんな心配はありませんか? こんな夢はどうでしょう--そういう風に、広告はできている。だから、その気になって広告をよく観察すると、“普通の人々”が何に対して欲望を感じているのかが、逆に分かってくる。
欧米などに比べると、日本の電車は際だって広告の量が多い。最近は電車の外側まで広告で塗りたくっている。まさに『欲望という名前の電車』が街中を走っているわけだ。その車内広告の中でも、くりかえしくりかえし登場するのが、英会話教室のPRだろう。それだけ、「英会話ができるようになったらカッコいい」と望んでいる人が多いわけだ。まあ、パリの郊外電車の中でも英会話教室の広告を見かけたことがあるから、あそこの国の人だって内心は“英語がしゃべれたらカッコいい”と思っているのかもしれない。 日本では、「英語がしゃべれること」と『国際化』という言葉は、同じコインの両面のように考えられてきた。外国=欧米=英語、という風に、思考回路の中でショートしたみたいに連想がつながっている。とくに年配の人の中では、その傾向が強いかもしれぬ。日本企業では、“国際畑”を歩いたキャリア、というと何となくエリート・コースのように聞こえる。 その国際畑とは何か。それは十中八九、海外営業部門を意味する。日本の製造業の海外展開というのはパターンがあって、それはまず製品の輸出からはじまる。大昔なら生糸、昔は繊維製品、そして現代は自動車や家電が輸出の主役だ。どれもみな、大量見込生産品であることに注意してほしい。それらは高品質で、かつフェアな価格だから売れてきた('85年以前は円も安かったから、フェアどころか低価格だった)。買い手はお金を持っている欧米先進国が中心だった。 輸出の場合、最初は商社経由で、現地の販売代理店が売っていた。セールスというのは、つねに現地密着型でないとできない職種だ。そのうち販売額がかなり大きくなると、相手先企業と提携して、合弁の会社(海外子会社)を設立することになる。主な仕事は販売とサポートである。セールスマンやセールスレップを雇い入れ、それを管理するのが支社に派遣された海外営業部門の人たちの役割だった。 そのうちに、現地のローカルなニーズにあった製品がほしい、という声が高くなってくる。だから、営業企画部門を海外でも持つようになる。本格的製品開発までは無理でも、簡単なローカライズくらいならやれるような体制になっていく。物流倉庫もいる。そして機械製品なら、保守のためのサービスセンターも持つようになる。 さて、ここまでのところ、まったく「工場」という単語が出てこなかった点に注意してほしい。あくまでも、日本企業のグローバル展開というのは、『プロダクト・アウト型』なのである。欧米志向、営業主導、見込生産品--これが“国際化”の正体だった。 では、この間、工場の人たちは何をしていたのか。技術畑の人間にとって、昔は「技術導入」の形で海外とのつながりが多少あった。しかし日本企業の技術開発力が上がるにつれて、(一部業種を除けば)ライセンス生産は減ってくる。しだいに『純国産型』の生産体系になってきた。 そして、バブル崩壊である。不況で、モノが売れなくなった。すでにバブル経済の時代に、工場は都市近郊から地方に追いやられていた。そこに、「原価低減」の重圧が本社からかかってくる。売れないのは価格が高いせいだ、うちの工場は高コスト体質で困る。これでは価格破壊の時代に生き残れない--こう考える人が本社では多かったらしい。バブル時代には、「もっと高付加価値な」(つまり豪華で単価の高い)製品を開発しろ! と叫んでいた同じ人たちが、手のひらを返したように、もっと安くて売れるものを作れ! と命じるようになった。 ここでちょっと、考えてみてほしい。高度成長期が終わって、市場も技術も成熟期に入ると、世の中の平衡点は供給過剰側にシフトしている。力を持つのは、最終消費者だ。そして、それに近い、小売業者である。それまでのプロダクト・アウト型の大量生産販売体制は、マーケット・イン型の、小口受注短納期型の生産販売体制に移行しなければならなかった。そうしなければ、販売機会の損失が増大するのだ。だから、販売と開発と生産は、より密な連携が必要になり、すぐ近くにいることが望まれたはずだ。 なのに、日本の製造業の現実は、そういう風には進行しなかった。国内需要減を海外輸出で補うことがテーマになった。だが、すぐ背後からは韓国・台湾など中進国が低価格を武器に追いかけてきた。だったら、人件費も材料費も安いアジアに生産をシフトするのが、頭の良いやり方だ、という通念が生まれた。アジアでものづくりをして、欧米に輸出する。それを日本が企画・管理する。それが「グローバル展開のあるべき姿だ」というイメージが広まり、大企業だろうが中堅・中小だろうが、自社のサプライチェーンの質や量も考えずに(といったら失礼かもしれないが)中国に工場を移転し、かくて「中国を世界の生産工場に」するために貢献したのである。 この間、忘れられていたことが一つある。それは、中進国やアジア諸国を「輸出先の市場として考えること」である。国際化とは欧米進出だ、という固定観念がまだ残っていたのだろうか。国際営業畑は欧米に顔を向け、生産畑はアジア諸国の方を向く、という奇妙な分裂状態がいまだに続いているのである。 2000年代も半ば頃になって、はじめて「製造業の国内回帰」ということが言われるようになった。軽々しく工場を海外移転したが、失敗例が意識されるようになったのである。それはある意味、当然だろう。見込大量生産時代の意識を残したまま、むしろその地理的な距離を広げた上で、マーケット・インの時代に対応しようとしても、簡単にいくとは考えにくい。工場の立地は、サプライチェーンの形と量と性質によって決める--この原則に、もう一度立ち返るべき時が来たのである。 「いやあ、ウチは中小企業ですから、そこらへんは・・」「あそこはさ、しょせん中小企業だから、社長が一言いえば・・」--よく、人はそんな言い方をする。一種の漠然とした形容詞として、身軽さと不安定さとの入り混じったイメージで使うようだ。
ところで、普通の人は知らないだろうが、じつは「中小企業」には法律的な定義がある。『中小企業基本法』なる法律があって(1963年制定・1999年改訂)、その中で「中小企業とは以下の基準を満たすものである」と定められているのだ。その基準は、資本金と従業員数ではかられる。 業 種 資本金 労働者数 (1)小売業 5千万円以下 50人以下 (2)サービス業 5千万円以下 100人以下 (3)卸売業 1億円以下 100人以下 (4)それ以外の業種(製造業等) 3億円以下 300人以下 この法律的定義によると、常時雇用する労働者数が51人いるスーパーマーケットは、すでに大企業だ(少なくとも中小企業ではない)、ということになる。なかなか意外ではある。基準が業種別なのも、建設業が明示されていないのも、たいていの人には驚きだろう。たいていの人、どころか、経営者だって知らない人がほとんどだ。 しかし、知らないのは無理もない。どこかに資格審査がある訳でもない。「おめでとうございます! あなたの会社は中小企業の基準に合格しました!」と、だれかが免状を渡してくれるわけでもない。日本には『中小企業庁』という、まず誰も知らない役所が経産省の下にあって、そこの中小企業支援施策(猫の目のように毎年変わる)の適用を受ける資格ができるのが、法律的に中小企業であることの唯一のメリットなのだ。 ところで、法律的行政的永田町霞ヶ関的世界観をはなれて、中小企業的であることの意味を考え直してみると、もう少し別の視界が開けてくる。じつは、世間には規模は大きくても、中小企業的な経営の企業はたくさんあるのだ。 中小企業的な経営といわれたら、人は何をイメージするだろうか。ワンマン社長の恣意的な経営? なるほど。明文化されていない業務手順や過酷な労働環境? そうかもしれない。優秀な人材の不足? ふむふむ。情報化への立ち後れ? そのとおりだ。そして、こうした特徴は、人も知る有名な上場企業・大企業にも、じつは見いだされる。コンサルティングの仕事を続けていると、企業規模だけは大きいくせに、経営手法が中小企業の域を出ない会社によく巡り会うのだ。私はこのような会社を、内心「大規模中小企業」と呼んでいる。 大規模中小企業の特徴--それは、働いている人々の中には、けっこう優秀な人やまともな人がいるのに、会社全体としては一貫性のない、前近代的な意志決定プロセスをふむことだ。営業と企画と製造と研究とが、それぞれ勝手にバラバラなことを言う。視点がタコツボ化していて、各人が局所最適しか考えない。ノーという権限はあるのに、イエスという権限がない。だから整合性のとれた情報化が進められない。 結局、大規模中小企業とは、戦略に一貫性がないのだ。戦略とは組織が持つ仮説を意味する。つまり、組織レベルで仮説を共有できていないのが、大規模中小企業なのである。 本物の中小企業ならば、社長が自分で戦略を決め、命令を下すから、一応の一貫性はある。社員数が200人以下ならば、社長が全社員の顔と名前と性格を覚えていられるから、近代的な労務管理手法はなくても、希少な人材は活かされるだろう。しかし、なまじ大規模に水膨れしてしまった中小企業は、もはやこうした長所を失ってしまっている。一代でたたき上げた創業者の目的意識は消え失せて、組織の存続だけが自己目的化している。一貫性を持つ大企業は、この国には本当に少ない。 大企業こそ、注意が必要だ。大企業こそ、外部の支援を必要としている。支援とは、冷静な眼だ。コンサルタントの存在意義とは、そこにしかあるまい。 コミュニケーションの大切さは、ちかごろ強調されることが多い。それだけ、人と人とのコミュニケーションが難しくなったということだろう。「マネジメントの仕事とは、コミュニケーションにつきる」という風に言う人もいる。これはいささか単純化されすぎた表現だが、少なくとも“人を動かして目的を達成する”のがマネジメントの根幹である以上、この言い方にもたしかに一理はある。
とはいえ、「きちんとしろ」「大切にしろ」と言われても、具体的にどうしたらいいのか、なかなか分からないのが、コミュニケーションという代物である。出来の良いコミュニケーションとは、受け取った側が、理解できて、それに応じて行動をとれるようなもののはずである。だとしたら、そもそも「コミュニケーションを大事にしろ」という言い方自体、コミュニケーションとしてはあまり上出来ではない、ということになってしまう。 会社の課題やタスクを、大きな課題から小さなものへと階層的に分解する「課題展開法」という手法がある。ちょうど、製品を部品・材料に展開するBOMとか、プロジェクトをアクティビティやサブタスクに階層的に分解するWork Breakdown Structure(WBS)の手法に似ている。この課題展開法では、BOMやWBSと同様に、上から順に「レベル1」「レベル2」・・という風にレベルを数えていく。レベル1と言えば「売上の増大」「開発力の向上」といった大テーマが並び、レベル2ではそれが(売上増大だったら)「新規顧客の獲得」「既存顧客のリピート率増大」といった課題に展開され、さらにレベル3では新規顧客が「広告宣伝による知名度アップ」「展示会への出展」といった風に具体化されていく。こうしてだいたい、レベル4か5位におりてくると、手のつけようのある具体的タスクになるのである。 ところが、コミュニケーションについては、「コミュニケーション計画の立案」みたいな、レベル1の大課題か、さもなくばいきなり「メールのタイトルの付け方」みたいな、レベル5か6以下の“小技テクニック”みたいなものになりがちだ。中間段階が飛んでしまうのである。中間がないと言うことは、すなわち具体性を持った系統的指針がない、ということだ。まことに困ったことである。 なぜこうなるかというと、結局、「コミュニケーション」という言葉で、3種類の別の機能を区別せずに使っているからである。このことは以前にも書いたが、コミュニケーションには実際には「インスピレーション」「インフォメーション」「コーディネーション」の機能がある。そして、それぞれにふさわしい媒体ややり方があるのである。 インフォメーションとは、いうまでもなく、関係者間の知識や理解のギャップを埋めて、なんらかのアクションを促すような機能である。インフォメーションは情報量と正確性と、あとから再確認できるためのトレーサビリティが大事だ。だから、画像を使った電子メールとかFAXといった、(記録可能な)メディアが望ましい。一方向的でもいいから、放送メディアも手段の一つになりうる。 一方、コーディネーションとは、関係者間の価値認識や『仮説』のギャップを埋める機能である。たとえば客先への出張の日程を調整する、といった単純なことでも、資料用意に必要な準備日数や、資料の質や量、互いの空き時間、そして客先へのアプローチの態度などなど、さまざまな「作業仮説」が各人の頭の中にある。それらをすり合わせるのがコーディネーションだ。だから、電話など同時型媒体でのリアルタイムのやりとりが一番効率がいい。それがだめなら、Webのような非同期共有型のメディアを使うことになる。 そして、インスピレーション。これは意図しない閃きを生み出すためのものだから、フェース・トゥ・フェース以外に良い方法はない。 これらすべてを、一つのメディアでカバーしようとなると、どうしてもミーティング(+議事録)という方法になってしまう。これが、組織で会議が多くなる理由なのだろう。自分が働いている時間の何%を会議の時間が占めているか、皆一度は調べてみるといいと思う。ホワイトカラーの場合、25%程度あっても、驚きはない。 さて。そうなると、これらをどううまく混ぜて「コミュニケーションの生産性」を上げるか、が課題となる。そこで最近実践しているのが、表記のTBM=Tool Box Meetingである。 Tool Box Meetingというのは元々、工場などで、同じ作業区や職種の仲間が、朝一番に工具箱の前に集まって、今日の作業内容を確認したり、その日の職制伝達事項を連絡したりするために行う、5分か10分程度の小さなミーティングである。ある意味「朝礼」とも似ているが、道具箱の前で、数人程度が実際的な話し合いをするという点では、そんなに儀礼的ではない。 これを、プロジェクト・マネジメント・チームでも毎朝行っているのである。朝、始業時間から15分後にはじめて、5分間か最大でも10分間で終わる。その日の各人のミーティングとTo Doリストを簡単に確認し、ちょっとした連絡事項や、発見などを話す。ごくカジュアルなスタイルで、べつに議事録などもとらないし、負担になることもない。また、外注さんも一緒に働く職場では、その人達の作業内容や進捗確認にもなる。つまり、インフォメーションとコーディネーションと、多少のインスピレーションを、一緒に手短にやってしまうわけだ。 なんだかひどく原始的で前時代的に見えるが、これが案外効率がいい。とくに、できたばかりで方向性ややり方の定まらない組織では、皆のベクトルをそろえるのに効果がある。段取りの確認にもなる。何より毎朝だから、昨日言い忘れたことも今日また言えばいい。朝礼じゃないんだから、別に「スピーチ」もいらない。 唯一の弱点は、フレックスタイム制でコアタイムのない組織には向かない点である。まあ昨今、そういう優雅な(?)企業は減ってきているようだが。 念のため書いておくと、私は中間管理職だが、TBMは「カンリ」のためにやっているのではない。私自身、管理することもされることも嫌いである。人から管理されたくなければ、自分自身が自分のことをきちんと決めなくてはならない。TBMは自立した職人達の習慣だ。だから、皆、自分で自律的に動いていることを確かめるために、Tool Box Meetingをおすすめしているのである。 落語に、「紺屋高尾」という人情噺がある。吉原の高尾太夫の絵姿に一目惚れした紺屋の職人・久蔵は、太夫を一目見たい逢いたいと、死にものぐるいに3年間働いて給金を貯める。太夫といえば大名豪商しか相手にしない超エリートだから、大金を積まねば会うことなどかなわない。ようやく3年後、給金全額を懐に、知り合いで通人の医師に手引きされ、念願かなうべし、と吉原三浦屋にいく。労働階級など相手にされぬ格式ゆえ、野田の醤油問屋の若旦那といつわるのだ。しかし、手の指を見せればすぐに紺屋の職人だと知れてしまう。そこで久蔵はずっと懐手にしていなければならないのだが・・
士農工商の江戸時代では、「工」に従事する職人の社会的地位は低い。しかし、商品経済にはこの逆順で近いわけで、実際には職人の収入はそこそこのものだった。私が聴いた噺では、久蔵は3年間必死に働いたあとで、親方に自分の給金がいくらたまったかをたずねる。すると親方が25両近くなっている、感心にもよく働いたものだ、と答えるのだ。つまり、働いた分に応じて給金が出る仕組みになっていたらしい。 もともと職人の給金は、出来高払いが基本であった。今風に洒落た言い方をすれば、「アーンドバリュー」にもとづいた、「成果主義」の賃金体系だったのである。そして、その賃率はそれなりに高いものだったらしい。昭和40年頃まで大勢の職人を雇って店をやっていた親戚の話を聞くと、腕一本でかなりの金を稼ぎ、またそれを大抵は飲んでしまうのがふつうであった。職人といえば親方の徒弟制度で技能を学ぶが、しかし雇い主との関係はむしろドライで、気に入らぬ事があるとプイッと辞めて他に移ってしまう。手に職があればこそ、独立独歩のメンタリティだったのだろう。 職人は専門職であったが、理系でも文系でもない。大学教育とは無縁だからだ。日本で職人仕事がそれなりに存続していけたのは昭和40年代いっぱいで、50年代になるとかなり低落しはじめ、バブル経済の平成に入ると完全に崩壊してしまう。かわりに高度成長期に増えたのは、固定給の会社員である(彼らは「月給取り」と揶揄された)。そして大卒の人間が、会社のホワイトカラー・管理職候補生として、採用される。 高賃金を得たければ、大学を卒業して知識を身につけ、企業に就職する--このルートをみなが目指したから、大学生の数は年々増え続けるばかりだった。学歴社会の誕生である。「何をどれだけ作れるか」ではなく、「どういう学歴で何年働いたか」が人間の地位や収入を決めるようになった。そして、ここで初めて、人間を「文系」と「理系」に分ける奇妙な思考が社会に定着しはじめたのである。 文部省は長らく、大学の学部名称と内容を規制していた。学部名称は「学士号」に直結しており、法学士や工学士はあれど、“コミュニケーション学士”や“コンピュータ学士”などは許されなかった。だからコンピュータ学部などというものも存在できなかったのだ。文部省は学生一人あたま年間10万円という補助金を与えることで、学校法人の経営を縛っている。名称とカリキュラムが自由化されたのはつい近年のことだ。役人の縦割り思考の中では、自由な学際などという発想は入り込む余地がなかったのだ。 この縦割り思考は、心理学が文学部に属し、人類学が理学部に、統計学が経済学部に属するような、不可思議な分類を許していた。マウスを使った実験による計量行動心理学がなぜ文学の範疇になるのか、それこそ心理学的には謎である。しかし入学試験の門戸は文系と理系に分けられていて、そこから先へはなぜか行き先が規制されるのだ。 大学入試の18歳の時点で文系理系を選ぶのは、たまたま数学の計算問題が苦手だとか、高校の世界史の先生と相性がよかったとか、その程度の理由でしかない。むろん、人間の人生は運とか縁とかで動かされていくものだと、言えなくはあるまい。しかし、ここにあるのはそういう高尚な諦念ではなく、ミカンを選別するためのコンベヤに似た、マスプロダクション教育の仕組みなのである。 私が文系・理系のどっちが得かといった論争を聞くたびに思うのは、人間を18歳の時点に二種類に分けて平然としている神経の不思議さである。「自分は文系だから・・」「俺はしょせん理系だから・・」などと言って自分を規定し、“だからITは知らなくても良い”とか“だから政治は興味がない”とか自己に許してしまう、怠惰さだ。なぜ自分にそんな分類や尺度を許せるのか。この地平線の端から別の端まで、地上に生起することで自分に無縁なものなど一つもない、というのがまともな大人の認識ではなかったか。 営業職や会計職の方が技術職に比べて生涯賃金が大きい、などと不平等を言い立てるのはおかしい。誰でも同じものが生産できるようにするため技術を使った。そして市場に大量の商品が供給できるようになった。そうしたら、ボトルネックは工場での生産技術から市場における販売に移るのは当然ではないか。成熟した工業化社会では技術屋は代替可能(リプレーサブル)で、その地位が低くなるのは、当たり前の推移なのだ。 それでも、人はパンのみに生きるにあらず、仕事が好きだと思えば技術屋を続ければよい。やっぱりパンが好きだと思えば、技術屋は辞めて経営管理職に専念するべきだ。経営職には本来、文系も理系もない。力関係があるだけだ。 面白いことに、近代的な経営工学の創始者だったテイラーの時代、労働者は出来高払い制度で働いていた。紺屋高尾の職人・久蔵と同じだ。テイラーの「科学的管理法」は、労働生産性を上げて、労働者に多くの賃金を払う結果をもたらした。経営工学は理系だろうか、文系だろうか? どちらでもない。それは合理的思考の産物なのだ。 では、私自身は理系だろうか、文系だろうか? 大学教育は「理工系」だった。しかし、私の自己認識は理系でも文系でもない。どだい、アナリストやプロジェクト・マネージャーの仕事は理系といえるだろうか。 たいていの中間管理職と同様、私の仕事は「複雑系」なのだ。 '90年代以来このかた、郊外にあった工場がポコッと消えて、その跡地に大規模住宅や商業施設が立ち並ぶようになる、そんな光景を何度も見てきた。いつもの見慣れた工場がある。それがいつの間にか操業を停止している。そしてある日、工事中の看板が立つやいなや、あっという間に更地になって造成されていく景色だ。
その逆を見たことのある人はいるだろうか? マンションやスーパーが取り壊され、近代的な工場が立ち上がっていく姿を。おそらくほとんど皆無だろう。なぜ一方向にしか変化は起きないのか。 それは、土地の単位面積あたりの付加価値産出量が違うからだ。土地一坪当たり、1年間に生むお金の量が違う。大都市近郊においては、商業の方が、工業よりもずっと月坪単価が高いのである。住宅販売や賃貸も同様である。 同じようなことは、じつは農地と工場との間にもあった。それは主に昭和の時代のことだから覚えていない人も多いだろうが、いつの間にか農地や林野が造成され、工場用地にかえられていった。なぜなら、農業や林業よりも、工業の方が、単位面積あたりの稼ぎが大きいからだ。農業は、太陽から降ってくるエネルギーを光合成で植物体に変えることで成り立っている。それが、電気と機械力で付加価値を生み出す工業に、面積あたりの稼ぎでかなうわけがない。 さらにいうならば、農業と工業と商業とでは、事業として必要とする最低限の面積もかなり違う。商業施設は、500m2もあれば立派な規模である。しかし、工場は1,000m2程度でも中小規模の感を免れない。ましてや農地は、3,000m2以下では零細である。しかも農地は「二階建て」にすることはできないのだ。方や商業施設はどんどんのっぽにできるのに。都市計画法その他の規制は割り引くとしても、土地の単位面積あたりの比較では、 第1次産業 < 第2次産業 < 第3次産業 という優劣は歴然としてあるのである。 では、現代において都市を追い立てられた工場はどこに行くのか? その答えは、上の不等式の中にある。この不等式が成り立たなくなるのは、地方、とくに大都市が近くにない地域である。地域内に高い人口密度がないところでは、高収益な第3次産業は成り立たない。ここでは、工場がショッピングセンターに遠慮する必要はない。競り合う相手は農業だけだ。 ただし、農地は用水さえあれば成り立つが、近代工場は最低でも水と電気と交通のアクセスは必要だ。そこで、地方自治体によって造成された工場用地の出現と相成ったわけである。このようなわけで、現代の日本では、かつて隆盛を誇った京浜工業地帯や阪神工業地帯が、次第にほぐれるように解体し、かわりに周囲を農地に囲まれた工場団地が出現したのである。「××県○○市の市長は偉いな。新幹線も停まらせた。高速のインターも造らせた」などとというほめ言葉も聞く。これでは地方自治体が中央から独立できるわけがない。 話がそれた。では、すべて工場は地方にいて満足なのだろうか。たとえば、大消費地から遠くて困らないのか。これについていえば、物流網の発達のおかげで、日本国内だけを相手にするならば、ほとんどが1日以内で運べるようになった。無論、時間あたりの鮮度が問題になるような業種とか、重量あたりの単価が非常に低いような商品を扱う業種は別である。つまり、立地というものにはサプライチェーンの個別性からくる要求があるのだ。 働き手はどうか。かつて、高度成長期の中頃あたりまでは、地方は安価で豊富な労働力の供給地だった。今は、もう中小都市しかない地方は高齢化が進むばかりで、肝心の若手が少ない。工場に行っても外国人ばかりが目立つようになってきた。地方の中小都市に多数の外国人。誰にとってもあまり居心地の良くない状況である。外国人労働者を使うのなら(その是非はともあれ)、地方でも大都市圏でも同じではないか。 いっそのこと、安い労働力を求めて海外に移転しようか。--そういう流行が、一時はあった。「中国生産」ブームである。しかし、今やはっきり反省期に入っている。その理由はさまざまだが、一つあげられるのは、海外に出してしまうと、国内需要の変化に追随する能力が格段に落ちてしまうことである。また、新しい需要への対応、すなわち新製品の開発力にも深刻な影響が出てきた。それはまあ、当然であろう。国内であれば、日本人得意の『すりあわせ型』でやっていけた事が、海外では四角四面な『モジュール型』でしかできなくなるからだ。 こうしたことを考え合わせるなら、私は今後、一部の業種では工場の「都市帰り」というケースも現れるのではないかと考えている。都市といっても、まあさすがに港区のど真ん中というわけではないだろうが、大都市近郊である。都市生活者が通える範囲の立地である。なぜか。それは、これからの日本の製造業には「研究開発型工場」が求められるようになるからだ、というのが私の推論である。 (この項つづく) 日本人は目に見えないものにお金を払わない--少し前の『日本人論』では、よくソフトの値段をめぐる文脈の中で、こう言い放つ人がいたものだ。この言葉自体はやや言い古されて、もはや警句としての切れ味を失ったが、内容は真実だと考える人は、まだ多いだろう。
いくつかの国で仕事をしてきた経験から、とくにこれは日本人に限ったことではない、と私は感じている。程度の大小や傾向に差はあれども、人間は具体的事物以外には対価を払うのを渋る。そこには、所有権では制限しようのない「情報」やら「仕組み」なるしろものに、売買の対価がありうるのか、という感情的な疑念があるからだ。 結局のところ、現在の会計制度は実物経済の原理で成り立っている。これを無形資産にむりやり外挿して財務諸表を作っているのだが、目に見えない情報の棚卸しなど不能である。製品倉庫で数が合わなければ、財務諸表にすぐ現れるから、みなが大騒ぎするだろう。しかし、情報や業務プロセスが陳腐化しても、誰も何も感じないのは、現在の会計に起因する面が大きい。 そもそも、工場では、スムーズに仕事が流れることが一番重要である。欠品もむだな滞留もなく、指示と実物の齟齬もなく、計画はとどこおりなく詳細スケジュールに展開される。こうしたプロセスの仕組み作りこそ、一番価値があるのだ。しかし、その価値は財務諸表のどこにもお金で反映されない。これに比べれば、製品在庫の差異など小さなことなのに。 川の流れがスムーズなほど、表面は静かに見える。波が逆巻いていたら、それは活気の証拠ではなく、底の方に何かの乱流があって、働く人々のエネルギーを無駄に吸い取っていることを意味している。こうしたことは、結局は能率の問題だと片づけられるかもしれないが、私は、もっと大事なこと、働く人間の創造性に結びつくことだと思っている。そして、奇妙なことだが、私は休日出勤をするたびに、それを強く感じるのだ。 私自身は怠け者で、休みの日は仕事のことなど片時も想い出したくない方だ。しかし、「怠け者の節句働き」で、たまに休日に職場に出ると、とても集中力が上がることに気づく。なぜ休日出勤は仕事がはかどるのか。理由は、オフィスが静かだからだ。周りに人が少なくて、PCの立てるファンの音もコピー機の騒音も、ほとんど無い。 ホワイトカラーの端くれとして、私も少しは仕事でものを考える必要がある。そのとき頭の中が集中するまで、ある程度の時間がかかるらしい。だが、それは騒音や話し声でたやすく散らされてしまう。ちょうど、弾み車が高速で回転しかかってているときに、軸受けに砂が紛れ込んできたような感じなのだ。 私が、「思考のIE」がほしい、と思うのはこのような瞬間である。工場の作業分析や標準時間はIE(Industrial Engineering)の主要な領域として、よく研究しつくされている。右手で部品をつかんで、左手のところに持っていく際、途中に障害物があったら、 IE技術者はそれを断固とりのぞくだろう。標準時間に影響するからだ。しかし、オフィスで思考するのだって、なんらかの標準時間があるはずなのだ。途中で妨害されて、後からせかされたって、誰か速く考えることのできる人はいるだろうか? 静寂の価値を、この国では誰も声高に主張しない。“にぎわい”を演出するために、建築家も商業も広告業者も、空間を音で埋め尽くすことにやっきになっている。これはすでに日本の文化の一部なのかもしれない。ヨーロッパの街には不便も嫌味もいろいろあるが、ひとつ良いことは、余分な音で充満していないことだ。商店に入っても、レストランに入っても、基本的に音楽がなく静かだ。 広場の音空間は、誰か一人のものではない。自分の店がそこに面しているからといって、ときどき移動式スピーカーを持ち出してCDやDVDの販売のために音楽を流すのは、空間を勝手に占有して汚しているのに等しい。こうした野蛮がまかり通るのも、この国の人間が、耳に聞こえる音に対してひどく寛容だからだろう。商業ビルに入ると、ビル全体のBGMに加えて、各店舗が別のBGMをかけていて、しばしば二種類の音楽が聞こえる。こうした職場で正気を失わずに働き続けるには、音にたいして鈍感であらねばならぬはずだ。目に見えぬものにはお金も払わぬ日本人が、耳に聞こえてくるものに無神経なのはなぜなのだろうか。 いまから約20年前、ほんの数日間だけだが、日本中の街から音曲が絶えたときがあった。カフェに入っても、セブンイレブンに入っても、一切何の音楽もきこえない。そこには普通の話し声以外は静かな、大人の空間が、ひとときだけ存在した。不謹慎との非難を覚悟でいうが、大喪の礼の間ほど、私は心が落ち着いたことはない。それが何十年に一度しかあり得ないことが、私にはとても悲しかった。この国で静寂の価値をみなが受け入れてくれるようになるために、何が欠けているのかを、それ以来私はずっと考え続けている。 もう夜の10時27分だ。私はこのごろ、夜11時をすぎたらパソコンの画面はなるべく見ないように心がけている。率直に告白するが、中年になると、体力(とくに視力)が一日持たないのだ。ちゃんと夜眠らないと、翌朝になっても回復しない。
でも、そう言いながら、昨晩は会社で11時半近くまで仲間と仕事をしていた。残業は嫌いなのに、三連休までつぶして働くのは、まことにクレイジーである。どうしてクレイジーかというと、私が現在プロジェクト・スケジューリングの仕事をしているからだ、という理由に行き着く。大きな海外プロジェクトがはじまった。もうすぐ顧客も来日して我々のオフィスに駐在をはじめる。あと一月以内にプロジェクト・マスター・スケジュールを確定させる約束だ。その時までの間は、当面、フロントエンド・スケジュールで皆を動かさなければならない。で、そのフロントエンド・スケジュールを期日までに仕上げるために、夜遅くまで残業していたという訳である。スケジュール作成の仕事が、期日を守れないのでは、シャレにもならないではないか。 そう言いながらも、ふと考える。なぜ、プロジェクトには期日があるのだろう。無論、それは契約条項でそう決まっている(決めさせられた)からだ。顧客は、今からきっかり3年半後に、新工場で量産を開始したい、と内外に宣言している。それは株主や政府への約束でもあり、また融資の条件でもあるのだろう。だから、我々のプロジェクトの完成が1日遅れるごとに、巨額のペナルティを課すという条件がついている。 タスクやアクティビティに期日など設けるべきではない。そう主張する人々もいる。その代表格は、TOC理論(制約条件の理論)で有名な、ゴールドラット博士だ。彼は、『クリティカル・チェーン』という、プロジェクト・マネジメントの新しい手法を提唱した。その中で、彼はアクティビティに期日を設定することの有害性を指摘して、“学生シンドローム”という用語を作った。これは、提出期限の直前にならないと宿題をはじめない、学生の習性を皮肉った言葉だ。ちょうど夏休みの宿題を8月の最後になってからやりはじめる小学生のように、人々は仕事に着手しようと思えばできるのに、締切が近づかないとはじめない。これがプロジェクトの納期短縮を阻害する。そう彼は主張する。 そのかわりに、彼が推奨するのは、「できるだけ早く」という督促の方法なのだ。が、なんだかこれではフライパンから火の中へ飛び込んだみたいだ。そもそも、クリティカル・チェーンが劇的な納期短縮を売り物にしているのだから、当然かもしれないが、だまされたような気がしないだろうか。(このクリティカル・チェーン・プロジェクト・マネジメント=CCPMについては、近いうちにきちんと書きたいと思っている) では、CCPM以外に、誰か期日設定について批判的なことを言っていないだろうか、とネットを探していたら、Steve Yeggeという人が書いたGoogleでのプロジェクト・マネジメント手法に関するBlog記事にたどり着いた(これは「Fine Software Writing」の中でも、青木靖氏による素晴らしい翻訳で読める)。これが、じつに興味深い。 Yeggeによると、Google社内でのプロジェクトの進め方は、こうだ。だれか(誰でもいい)素晴らしいアイデアを思いついた人間が、プロジェクトを立ち上げる。そうしたら、優先度のついた作業のキューを管理できるサーバを用意する。プロジェクトが進むにつれて、いろいろな人が、自分の思いついたアイデアを実現するためのタスクを、このキューに投げ込む。Yeggeはこれを「アイデアやバグを投げ込むゴミ捨て場のような場所」と呼んでいる。そして、このプロジェクトに興味を持った人間は、誰でも、そのキューから自分のやりたいタスクを拾い出すことができる。そして、何か作業する。その結果、見事に終わるかもしれないし、あるいは何か別のタスクを生み出すかもしれない。そうしたら、その新しいタスクをキューに返す。 Googleでは、この作業キューが空になった時、「プロジェクトの完了」という定義になっている。キューはプロジェクトの進行につれて、最初はどんどんふくれていくだろう。だが、多くの人がかかわってくるにつれて、しだいに増え方の速度は減っていく。ついには新規追加より拾い出しの方が多くなり、最後には空に近づく。ちなみに、Yeggeによると、開発者は、いつでも好きなときに、プロジェクトを変えることができる。誰も何も理由を聞いたりしない。そこにあるのは、自発性の法則だけ、ということらしい。 したがって、Googleでは、ガントチャートも日程表も、作業の期日も何もない。目に見えるようなプロジェクト管理の仕組みは一切ない。後ろから技術者のお尻をひっぱたくような『管理』はしないということだ。そして、開発者はつねに自分の就業時間の20%を、自分のメインのプロジェクト以外で、やりたいことに使うよう強く促されている。 どう? 素晴らしいだろうか。ここで働いてみたい? この記事を読んで、そう思う人が大勢いても、不思議ではない。すでに3年前の記事だから、事情は変わっているかもしれないが、あるいはこうした組織の本質は変わらないようにも、思える。 ただし。Googleについて、一つだけ理解しておいた方がいいことがある。この会社は不思議な会社で、情報システムを確かに開発しているくせに、それを売ってはいないのだ。製品は、基本的にタダで提供する。そして、彼らは、その製品に集まってくる人々の数を担保に、広告収入で食べているのである。 彼らの素晴らしい製品の数々は、タダである。だから、基本的にユーザは、いついつまでに持ってこいとか、こんな機能は好きじゃない、とか文句を言うことができない--むろん社会的に有害な機能があれば別だが。そのおかげで、Googleは“いつ次の新製品を出荷するか”を、一切コミットしないで済んでいるのである。これは、極めて類例の少ないビジネスモデルであって、自社用であれ請負であれ通常の情報システム開発プロジェクトとは異なっているのである。 それで? --答えは、円環を描いて元のところに戻ってくる。プロジェクトを動かすものは、ステークホルダの期待なのである。ステークホルダとは、通常は、プロジェクト・チーム員を除く、プロジェクトの利害関係者をさす。一番はユーザであり、あるいは発注者(予算承認者)であり、そして上級管理者達だ。彼らから無縁で、自分の作りたい面白い物だけを開発していたい、そう思う技術者は多いだろう。だが、エンジニアの給料はふつう、(上司の手を通じて)顧客が払ってくれているのである。そして、顧客がGoogleの広告スポンサーほどは寛大でない時、あなたには(そして私にも)やはりプロジェクトの工程表が必要になるのである。
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