PM理論に関する講演のお知らせ(12月8日)

来る12月8日(金)の夜、東京・東麻布の日本プロジェクトマネジメント協会で、講演を行います。

先月、わたしは米国シカゴで開催されたProject Management Institute (PMI) Global Conference 2017に参加し、講演発表を行ってきました。ご存じの通りPMIは世界最大の影響力を持つプロジェクト・マネジメント専門職団体で、その世界大会はPM分野の最新状況を反映しています。

今回の講演では、まずPMI世界大会2017にみる北米PM界の潮流を概観します。その上で、わたしが行った発表『Decision making with Risk-based Project Value (RPV) analysis and activities’ value contributions』(「リスク基準プロジェクト価値RPVとアクティビティの貢献価値に基づく意思決定」)の内容を、そのままご説明します。

リスク基準プロジェクト価値(RPV)は、わたしが提案した意思決定のための尺度で、文字通りリスクを勘案したプロジェクトの価値を数字で表したものです。これを用いると、プロジェクトを構成する各アクティビティの貢献が計算できるばかりでなく、コスト対リスクといったトレードオフ状況下における意思決定を、客観的にサポートする基準を導出することができます。

このRPV理論は、わたしが自分の学位論文の中ではじめて提案し、研究・発展させてきたものです。理論的な内容のため、これまでは学会論文誌や大学講義、ならびに海外でのみ、発表してきました。今回、はじめて普通の民間の場を借りて、お話しする機会をいただきました。そこで具体的なケース事例を交えて、できるだけ分かりやすく解説させていただくつもりです。

この講演は、どなたでも参加できます。大勢の方のご来聴をお待ちしております。

<記>

日時:12月8日(金) 18:00〜

場所:日本プロジェクトマネジメント協会 「PMAJ Networking」
   〒106-0044 東京都港区東麻布一丁目5番2号 トウセン東麻布ビル7階

講演タイトル:
「PMへのシステムズ・アプローチと、『リスク基準プロジェクト価値(RPV)』理論の応用」

要旨:
 モダンPMの手法は、1950年代の米国で、プロジェクトを『アクティビティのネットワークからなる一種のシステム』と認識した事にはじまる。以来、PERT/CPM、WBS、EVMSなどの定量的技法が開発され普及してきた。しかし今日のPM論の枠組みには、まだ意思決定に資する価値論が欠けているように思われる。演者は数年前から、『リスク基準プロジェクト価値(RPV)』という指標を用いた、独自の理論的枠組みを研究してきた。本講演では、10月末に米国シカゴのPMI世界大会に発表した内容を中心に、ケース事例への応用と今後の課題について展望する。

講師プロフィール:
 日揮株式会社・グローバル戦略室長代行。博士(工学)。中小企業診断士。
 ながらく国内外の製造業のプラント計画、生産システム構築と、プロジェクト・マネジメントに従事。現在は経営企画部門で戦略立案に携わる。
 そのかたわら、近年はプロジェクト・マネジメント手法の改善・体系化と教育に力を注ぎ、「リスク確率に基づいた新しいプロジェクト・マネジメント」の研究開発にも取り組んでいる。
 静岡大学客員教授、東京大学・法政大学非常勤講師。

参加申込みは、以下のURLからお願いします。


佐藤知一@日揮(株)


# by Tomoichi_Sato | 2017-11-16 22:10 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

天の時・地の利・人の和と、プロジェクト

プロジェクトに関わる仕事をずっとしていると、プロジェクトの成否はプロマネの手腕やチーム員の努力だけでなく、「天の時・地の利・人の和」とでも言うべき要因によって左右されがちだ、と感じることがある。いわば、プロジェクトの出発点における環境条件である。こうした環境がプロジェクトのパフォーマンスにどのような影響を与えるのか、まだ十分に解明されていないように思う。

たとえば、「天の時」である。

プロジェクトのスタートするタイミングは、さまざまな形でパフォーマンスに影響する。端的には、マーケットの状況だ。市場全体が活況を呈しているかどうか。受注型プロジェクトの場合なら、契約金額が上昇気味かどうか? これは、プロジェクトの採算性にとって重大である。また、外部に発注するリソースや資機材の値段が上がりつつあるか、どうか。これも採算に影響する。

自社が好調か、それとも苦しい時期かも大きな要因だ。苦しい時期だと、どうしても無理して仕事を取りに行く姿勢が強まる。当然、予算は厳しくなる。

こうした全体的な市況は、プロマネ自身が勝手に選べるものではない。まったく同じ前提条件ではじめても、スタートする時期が好況期で売り手市場なのか、あるいは不況期で買い手市場なのかによって、結果は相当異なるだろう。途中で市況が急変することだって、ある。わたしは10年近く前、あるビッグ・プロジェクトの見積をしていたが、途中でリーマンショックが深刻化し、プロジェクト自体の成立が急に危ぶまれたことを思い出す。そうなると、億の単位でかかる見積費用が、パーになってしまうのだ。たまったものではない。

次の、「地の利」とは何か。

プロジェクトを遂行する上で、立地的な優位性があるかどうか、の意味が第一だ。プロジェクトを遂行したり成果物を納入する場所の近くに、自社の拠点があるかどうか。これは、ふつうプロマネが自分で決められる条件ではない。海外プロジェクトの場合は、そこに支社や合弁相手がいるかどうか。いるとして、その能力はどうか。あるいは、日本から出かけていかなければならないのか。これらは大きな違いを生む。たまたまわたしは今、この文章をジャカルタの空港で書いているが、多くの日本企業がすでに存在していることも、ある種の地の利であると考えられる。

地の利は、より象徴的には、競合状態が厳しいかどうか、を表す。たとえ市況は好調期、現地に拠点があろうとも、競合相手が5社も10社も現れるようでは、レッド・オーシャンそのものである。勝ち抜くのは、かなり厳しい。

では「人の和」は、プロジェクトにとって、何を意味するか。

もちろん、それはまず、プロジェクト・チーム自体の協働意識を、そのまま表す。だが、そこはプロマネがある程度は醸成できるし、しなければならない。

しかしさらに掘り下げると、適切なメンバーがアサインされているか、という問題になる。メンバーがプロマネの固定的な部下であるような組織では、まあ、これは問題になるまい。が、機能型組織やマトリクス型組織では、複数の部門からメンバーをアサインしてもらわなければならない。とくに製造業ではライン部門長の権限は強大だ。プロマネが好きに人を集められる訳ではない。

もっと言うと、プロマネ自身の任命が適切か、ということもある。これはPMO的な視点から言っているのだが、「あのプロジェクトの最大のリスク要因は、XXさんがプロマネをやっていることだ」という笑えない冗談も、生まれたりする。良い仕事は、チームワークから生まれる。ぎくしゃくしたチームから、優れた仕事が生まれる可能性は、少ない。

しかし、人の和に関する、より深刻な問題は、外部のステークホルダにある。たとえば顧客(発注者)、ユーザ、協力会社、ベンダー、監督官庁、地域住民などである。とくに顧客は重要だ。受注型プロジェクトで、訳の分からん顧客に当たって、苦労した経験のあるプロマネは多いだろう。顧客と和の気持ちを持って、適度に緊張した関係を続けられるかどうかは、プロジェクトの成否を大きく左右する。

このほかに、かなり大事な要素として、プロジェクト・スポンサーの能力をあげたいところだ。スポンサーとは、経営層に近い上級管理者で、プロジェクトに予算枠を与え、プロマネを任命する権限を持つ人のことである。「スポンサー」のかわりに「プロジェクト・オーナー」と呼ぶケースもある。

プロジェクト・スポンサーは、プロマネの後見人であり、相談相手でもある。この人が、プロジェクトに理解があり、適切に経営層を動かせるかどうかが大事だ。大事なのだが、そもそも日本企業では「スポンサー」の役割が存在していなかったり、十分に認識されていない場合が多い。そうなると、「人の和」に、重大な欠落があることになる。

(余談だが、拙著『世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書』は、海外企業と合同でプロジェクトを始めることになった製造業を舞台に、主人公の若手技術者が、プロマネもスポンサーも誰だか曖昧な状況下で、なんとか成功させようと懸命に奮闘する物語である。つまり、あれは和を尊しとなす日本企業で、じつは機能的な「人の輪」が欠落している問題を扱っている)

元々、天の時・地の利・人の和とは、「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」という孟子の言葉から来ている。これが日本では、戦国時代に兵法の判断条件として、流布されるに至った。人の和が一番大事だと、孟子はいう。だが、戦国大名ならいざ知らず、現代のプロマネにとっては、上記の通り自分の力だけで人の和を作り上げることはできない。まして天の時や地の利は、所与の条件、としか言いようがない。

こうした要素は、環境としてプロジェクトに影響を及ぼす。ここで環境とは、「プロマネの意思では短期間に変えられないものごと」を意味する。

プロジェクトの成否は、受注時点で半分以上が決まっているーーそう言ったら、読者諸賢は、オーバーだと思うだろうか。だが、これに近い実感を、受注型プロジェクトに長年従事する実務者は、少なからずもっている。受注の時点で、天の時・地の利がもう決まっている。人の和も、かなり重要な部分が定まってしまっている。残された自由度の中で、プロマネは奮闘をはじめなければならない。

問題は、プロジェクトの採算が結果として悪化した時に、その原因のうち、環境因子による部分と、プロマネに起因する部分が、それぞれどれだけあるか、客観的な評価が難しいということだ。もちろん、「半分以上が環境」というのは、感覚論にすぎない。これについて定量的な分析を、あいにくわたしは見たことがない。

「プロジェクトの結果・採算は、全てリーダーであるプロマネの責任」、という結果責任の原則をとる企業は多い。これは、プロマネに責任感を持たせて育てるためには、良い指針である。プロマネがいつも責任回避的、あるいは他責的な人間では、会社はこまってしまう。

しかし、だからといって、プロジェクトの最終的な損益金額だけで、プロマネたちを、
 「貴方は今期2千万円の黒字を出したからA評価」
 「お前は今回、5百万円の赤字を喫したからC評価」
と、単純に査定していいだろうか?

それはあまり賢明ではない、と、わたしは考える。個別の案件の結果は、短期的な環境因子に左右されやすいからだ。プロ野球の一流バッターだって、打率は3割台である。1打席ごとの結果は、その時の状況に左右されやすい。能力の査定はある程度、長期的に見るべきだ、というのがわたしの意見である。ただ人事の査定は、半年ないし一年ごとに行わざるを得ない。数プロジェクトの平均打率を計算していては、間に合わない。では、どうするか。

わたしの提案は、プロマネの査定を行う前に、「プロジェクトの評価」を組織として公式に行うべきだ、というものである。会社として
  • プロジェクトの成果物、
  • 達成した金銭的価値、
  • 非金銭的な達成(人材の成長や実績レコードの確立など)、
  • 出発時点での環境条件、そして
  • 今後への教訓など
を評価し、記録する。このとき、損益の数字だけでプロジェクトを評価しないことが大切であろう。

その上で、出発点から到達点までの、プロマネの貢献を考量する。それが査定のベースとなるべきである。たとえプロジェクトの最終評価が低くとも、出発点での環境条件が厳しい場合は、その分を勘案する。

そのためには、プロジェクトの出発時点で、『案件のプロファイリング』を行う必要がある。市場環境(天の時)・競合状況(地の利)・顧客特性と組織メンバー(人の和)などを、プロファイリングして事前評価しておくのである。別に5段階評価程度でもいい。このような作業は、営業段階における受注戦略・案件選別においても有用だろう。営業部長の胸先三寸にすべてを任せるより、少なくとも公平に思える。

念のために書いておくが、上記のようなことを、わたしの勤務先がすべて実践しているから真似た方がいい、というような話をしているのではない。そうではなくて、環境条件の重要性に目を向けて、各社でそれを評価するようにしたらどうか、と提案しているのだ。また、そういう問題に定量的に取り組む研究者が、できれば現れてほしい。

その上で、厳しい環境条件が揃っている場合は、組織として積極的にプロジェクトの支援を行う。そうして、プロジェクトが倒れないように支える。そういう仕組みが必要だろう。

支援で人を出すと、その人件費のぶん、採算がさらに悪化する。すると、プロマネ自身は赤字をおそれて、支援を遠慮するかもしれない(問題を抱え込んで、上に報告しない可能性さえある)。しかし、放置したら会社としては、もっと赤字が膨らむ。それを防止することが、全体としては重要だ。

会社がプロマネを任命して、「プロジェクトは結果が全てだ」「あとは死ぬ気で頑張ってこい。」というのは、以前も書いたようにレベル1のマネジメントである。それで良い場合もあるが、いつでも正しい訳ではない。適切なマネジメントの仕組みを作るのは、会社の側の仕事である。

またプロマネの側も、本当に良い仕事をしたければ、人の和をつくり、地の利を整えた上で、天の時を待つだけの忍耐力が必要だということになる。それを昔の人は、「人事を尽くして天命を待つ」と言った。

それだけの謙虚さが、わたし達には必要なのだろう。気合や根性よりも、天の時への謙虚さが。


<関連エントリ>
→「マネジメントのレベル0からレベル2まで」(2017-09-22) http://brevis.exblog.jp/26064558/








# by Tomoichi_Sato | 2017-11-12 18:16 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

お知らせ:プロジェクト・マネジメントの一日研修セミナーを行います(12月4日)

東京での研修講演のお知らせです。
来る12月4日に、日本テクノセンター(東京・新宿)で


と題する1日研修を行います(有償です)。

本講座では、プロジェクト・マネジメントの主要な技術について解説します。とくに、プロジェクトの成功をしばる三大制約条件であるスコープ・コスト・スケジュールと、それらをコントロールする技法であるWBSEVMSPERT/CPMについて、演習を交えてしっかりと学びます。とくにプロジェクトの基礎となるWBSの作り方については、他にあまりない実戦的なテクニックをお伝えします。また「海外型プロジェクト」の特性と進め方に関しても、講師自身の長年の経験に基づく実践的な解説を行います。

ただし、プロジェクトの成功はプロマネ個人の知識レベルや、スキルだけでは決まりません。組織がもつ思考と行動習慣(いわば組織の「OS」)に応じて人を動かすことが大切だからです。たとえば、

 ・計画がきちんと立てられず、行き当たりばったり
 ・だれが何を決めるのかわからず、意思決定が遅れる
 ・以心伝心・暗黙の了解で動いて、言葉にしない
 ・契約感覚に乏しく、地雷を踏んでしまう

といった項目に、一つでも思い当たることがある方に、ぜひ受講していただきたいと願っております。単なる外国の教科書の解説ではなく、実践的で身につく知識とスキルを学べる講習ですので、とくにこれから海外系のプロジェクトに取り組もうとされる方に、おすすめします。また、中小規模のプロジェクト実務に携わりつつも、世間のPM標準では満たされぬ思いを感じておられる方々にも、身のある内容だと自負しています。

本研修の内容は、拙著『世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書』とも連動しています。著書はストーリー仕立てになっていますが、研修では背後にある原理とセオリーなどについてもきちんと解説いたします。

お申し込みは案内サイトから行えます。大勢の方のご参加をお待ちしております。


佐藤知一

# by Tomoichi_Sato | 2017-11-06 21:24 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

PMの世界はどこに向かうのか 〜 PMI世界大会2017に参加して


1. PMI世界大会とは

米国で10月28日から30日まで開催された、PMI Global Conference 2017 https://www.pmi.org/global-conference/about というカンファレンスに参加してきた。PMIはProject Management Instituteの略で、ご存知の方も多いと思うが、米国発・世界最大のプロジェクトマネジメント専門職団体である。全世界に40万人以上の会員を擁し、通称「PMBOK Guide」(正式名称"A Guide to Project Management Body of Knowledge")と呼ばれるPMの標準書を制定、さらにProject Management Professional(略称PMP)という資格試験認定制度を有している。世界で最も影響力の大きなPM関連団体だ。

そのPMI Global Conference(長いのでPMI世界大会と略そう)は、今年はシカゴで開催された。約3千人が参加する、大規模なカンファレンスである。ベンダーの展示会も併設されている。世界大会の名にふさわしく、60カ国から参加者があったという。みたところ、聴衆は北米、南米からの参加者が多い。他に中東、インドからの参加者も多少眼についた程度か。

ただ意外だったのは、中国人がほとんどいなかったこと。今どき、どこの分野の技術展示会でも大勢の中国人をみかけるものだが、不思議と少なかった。また韓国人らしき人や、東南アジア・アフリカからの参加者も少なかった。ちなみに日本からは、数名の参加者があったようだ(PMI日本支部の方とは、挨拶を交わした)。わたし自身、この大会に参加したのは、はじめてである。2コマ、合計2時間ほど、講演発表をした。その内容については、後で触れよう。

わたしは個人資格で、自費で参加した(発表申込みの事前審査をパスすると、大会参加費約15万円は無料になるが、旅費宿泊費は負担が必要)。日本人の発表者は、他にはいなかったと思う。だが日本にはPMI日本支部・PM学会・日本PM協会という大きな団体が三つもあるのだから、もっと競い合って米国で発表したらどうかと思うのだが。
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(PMI世界大会2017 基調講演の風景)

2. セッションの構成

今回の大会では、全部で100以上のセッションがある(https://www.pmi.org/global-conference/program-schedule)。10以上の部屋で、並行して進んでいく。そしてセッションは基本的に、どれも1時間以上の長さがある。

PMI世界大会は、いわゆる学会風のカンファレンスではない。ふつう学会となると、発表時間は15-30分程度だし、アカデミック・スタイルで論理的に、堅苦しくしゃべらなければならない。しかしPMIの大会は、もっとずっと自由である。講演者が聴衆に語りかける感じだ。分類としては、Educational Session(教育セッション)が中心で、その他に、展示会の出展者によるベンダーセッションがある。

教育セッションは、さらに5種類に分かれる
  • Analyzing and Process Improvement(プロセスの改善)
  • Communication and Teamwork(コミュニケーションと組織)
  • Decision Making and Problem Solving(意思決定と問題解決)
  • Enhancing PM Skills(PMスキル向上)
  • Influencing and Business Strategy(ビジネス戦略と働きかけ)

こう並べてみると分かる通り、セッションの話題はPMのソフト・スキルが中心であり、ハード・スキル系の講演は少なかった。ちなみにハード・スキルとは、技術・知識として確立されており、座学などで習得が可能な能力を指す。PMの分野でいえば、WBSやCPM・EVMSなど、理論やツールに関する事柄だ。だが、こうした話題の発表はほとんどなかった。

他方、ソフト・スキルとは、交渉力や問題解決力など、もっと属人的な技能である。日本だと「人間力」などと一括されがちな能力だ。こちらがどうやら、米国PM界の現在の関心の寄せどころらしい。人間心理などにも関わりが深い。ちなみに米国には「行動科学」「社会心理学」などの流派の心理学がけっこう旺盛である。それは最近の「行動経済学」などにもつながっているし(今年のノーベル経済学賞も行動経済学者だった)、経営学にも取り入れられている。その影響が PM分野にも、かなり流れ込んでいる感じだ。

大会では同時に、"PMI Project of the Year”の発表とポスター・セッションが行われた。毎年行われる数々のプロジェクトの中から、最優秀プロジェクトを選んで表彰するものである(わたしの勤務先は2002年に、サウジアラビアのプロジェクトで受賞した)。今年の候補者は、優勝のHanford Double Shell AY-102 Recovery Project(放射性廃棄物の漏洩回収プロジェクト)のほか、シアトル市のUniversity Link Light Rail Extension(郊外型公共交通システム建築プロジェクト)、Gahcho Kué Mine Project(北極圏でのダイヤモンド採掘施設建設プロジェクト)などである。こうしてみると建設系のプロジェクトが多いのに、大会のセッションには建設関係の話題がきわめて少ないのは不思議である。

ちなみに、本大会のセッションは、よく日本などで行われるような産業別・分野別などの分類にはなっていない。業種を越えて共通の話題を取り扱う、という方針なのだろう。なお、この秋には、遅れていた
PMBOK Guide第6版がやっと出版された訳だが、この解説セッションなどはなかった。


3. わたしの講演発表

わたしの講演タイトルは、"Decision making with Risk-based Project Value (RPV) analysis and activities’ value contributions"である。長さは1時間。日曜日に1回行い、さらに月曜日午後にアンコール講演を行った(アンコールの実施は、事前に事務局からの要望で決まっていた)。

内容は、わたしが近年ずっと取り組んできた、「リスク基準プロジェクト価値(RPV)」理論の概要と、ケーススタディの応用例である。今日のモダンPMには、価値論が欠けている、というのが、かねてからのわたしの課題認識である。意思決定はプロマネの主要な仕事であり、何かを決めるためには、複数の選択肢の中から、ベストなものを選ぶ必要がある。ベストなもの、とはすなわち、「プロジェクトの価値を最も高めるもの」という意味だ。

だが、どんな選択肢にも、不確実性とリスクが付随しているのが、プロジェクトの世界である。では、リスクを伴うプロジェクトの価値とは何で定義されるのか。また、プロジェクトを構成する一つひとつのアクティビティ自体は、そのプロジェクト価値に対して、どのような貢献をするのか。こういった問題を、RPV分析という手法で定量化できる、というのが、わたしの理論的枠組みである。

この上で、たとえば二つの選択肢AとBがあり、AよりもBの方が余計にコストがかかるが、そのかわりBの方が、プロジェクト全体に与えるリスクが小さい場合、どちらをとるべきか、数字で比較評価できるような方法を提示する。このようにして、プロジェクト意思決定に客観性のある基準を確立する、というのがわたしの講演発表の主旨である。さいわい講演は2回とも、好意的な反応を多くの方から(とくに実務者から)いただいた。

なお、今回の発表内容は、来る12月8日(金)夕刻に、東京神谷町の日本プロジェクトマネジメント協会(PMAJ)が開催する「PM Networking」で詳しく再演する予定である(もちろん日本語で)。PMAJ非会員も自由に参加できるので、近いうちに本サイトでもご案内するつもりだ。
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(講演発表のスライドの前で)


4. 他のセッション内容

わたし自身が聴けた中で、ほかに印象に残ったセッションを、いくつかご紹介しよう。

全体のオープニング・セッションでは、Sir Tim Berners-Leeの講演があった。89年にスイスの物理学研究機関CERNで、はじめてWorld Wide Webとhttpを開発した人だ。これは20世紀後半の最大の発明だったと思う。最後に彼は、AIが将来、裁判で人を刑務所に送り返すか放免するかを決めるようになる可能性もある、と予測。だがその時には、Accountabilityが大切になるし、裁定の理由を説明できなければいけないだろう、との意見には感心した。

もう一人のキーノート講演者・Nicholas Epleyシカゴ大教授の "Mindwise: How We Understand What Other Think, Believe, Feel, Want”もなかなか興味深かった。Epley教授はまさに行動科学者で、マスコミにも頻出する有名人である。彼はさまざまな心理学実験から、わたし達人間が、いかに他人と理解し合えていないかを説明する。にもかかわらず、わたしたちは、「他者に理解してもらっている」と過剰に自信を持っていることが、実験から証明できる。このギャップこそが、われわれのコミュニケーションに横たわる最大の問題点だ、というのが彼の解説である。

一般講演の中で一番面白い、と個人的に感じたのは、Andy Silberというコンサルタントによる、"Adaptive Project Management: Leading Complex and Uncertain Projects"という講演だったかも知れない。Silberは、ハードウェア製品開発プロジェクトの専門家である。彼は縦軸に複雑性、横軸に不確実性をとって、プロジェクト方法論を分類していく。まず左下に「最小限の計画」を位置づける。つまり出たとこ勝負だ。縦軸の不確実性とは、プロジェクトの規模をある程度、表す。だから、左上に「ウォーターフォール」をとる。大規模な建設プロジェクトが、その好例だ。そして、クリティカル・パスはPMの重大な関心事となる。

一方、彼は右下に「アジャイル」をおく。アジャイル開発は、要求仕様の不確実性に対応する、良い方法だ。ただし、これはITプロジェクトの一部にしかうまく適用できない。同じ製品開発でも、ハード系になると、長納期の部品調達などにプロジェクトが引きずられるからだ。そこで彼は、右上の象限に、 "Adaptive PM"をおく。ハードの製品開発がここに位置づけられる、というのはなかなか良い。
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Adaptive PMでは、"Replan often"(しょっちゅう再計画)という漸進的なアプローチをとる。この点では、アジャイルに似ている。しかし長納期部品などクリティカル・パスにもフォーカスする必要がある。そこで、フェーズ化されているが、フェーズを一部やり直しながら進める方法をとる、という。これによって進む方向をアジャストしていくのだ。これを通称「刺身モデル」という。なかなか面白い。そして、今回聞いた中で、これが一番、ハードスキル的な話だった。

他にも、Brian Clausenという人の"Design Thinking”の講演、Andy Kaufmanの"Decision making”の講演、
人間類型を用いた"Business Chemistry”の解説、パワポを使わずにプレゼンしようという講演、そして米国企業で働くインド人による、異文化の問題の講義など、興味深い講演が多かった。


5. PMIは、そしてPMの世界はどこに向かうのか

今回のPMI世界大会でのセッション全体をみると、Agile関連の話題がわりと多い印象である。また、Design Thinking(デザイン思考)もいくつか眼についた。

これは結局、プロジェクト・マネジメントにおける”How”(コストやスケジュールなどをいかに計画しコントロールするか)の問題から、”What”(プロジェクトで何を生み出すか)に、関心が移行していることを示しているように思われる。別の言い方を借りれば、"Do things right”から、"Do right things”へ、ということである。

わたしは2003年に、ボストンでProject Worldというカンファレンスに参加したが、その時はハード・スキルや方法論の話が多かった。そして、非常に勉強になったという記憶がある。分野も、医薬品もあればITも防衛産業もある、という感じだった。ただし当時はまだ、米国全体で、Program以上の上位概念への関心が薄かった。

それから12年後、2015年のProject World Bostonは、かなり様変わりしていた。まず、BA(Busines Analyst)団体の大会との共同開催だった。これは、もはやIT ProjectがPM界の主体となったことを示している。その流れは、PMIによるBusiness Analysisの標準制定などの動きにも通底している。

察するに米国では、ハード・スキルの教育普及はおそらく一巡したのだろうと考えられる(その点、日本とはまだ事情が違う)。そして、ソフト・スキルに関心が移ったのだ。

こうした変化は、米国の経営学の歴史の流れをなぞっている、ともいえる。ちょうど100年前、米国でテイラーが「科学的管理法」を提唱したとき、それはハード・スキル中心だった。それはフォード・システムなど自動車産業での応用に結実していった。しかし、1930年前後の有名な「ホーソン実験」以後は、モチベーション理論へと経営学の焦点が移っていく。すなわち、リーダーシップなどソフト・スキルへの注目である。日本風にいえば、理系的な経営工学から、文系的な経営学へのシフトだった。

そして'80年代以降は、金融工学への傾斜があった。つまり、経営における関心事が、
 科学→人の心→お金
という風に、アメリカではシフトしていったのである。

米国におけるPMの分野でも、科学から人の心へ、という方向性が感じられる。CPMやEVMSなど、技術とツールは整った。プロマネもPMBOK Guideで知識を得て、PMPの資格も取った。だが、プロマネの悩みは、あまり解決されていないのである。ハード・スキルの普及によって、プロジェクトの短期的な成功率は上昇した(これは米国IT分野の統計が示している)。だが。望んだアウトカムは得られていない。そのもどかしさ・不満感が、伝え聞くようなPMIの会員数の伸び悩みにつながっているのではないか。

もう少し問題をさかのぼると、PMBOK Guideの枠組みとその限界に突き当たる。PMBOKは周知の通り、「プロセス」を中心にして、プロジェクト・マネジメントの仕事を整理した。それはじつに見事な体系化だったと思う。また、とくに初期のPMBOKは、受注型プロジェクトを無意識に前提としていた。つまりScopeは顧客からSOWで与えられていて、かなり固まっている、という前提である。これは防衛宇宙産業やエンジニアリング産業では確かにその通りだが、そうでない種類のプロジェクトも世には多い。

プロセスとは、How(いかに)を記述するものだ。だが、本当にプロセス中心アプローチで、望む成果が得られるのか。それが今の多くの人の悩みなのではないか? そこでデザイン思考やアジャイルなど、Whatを明らかにする技法に脚光が当たっている。だがWhatを掘り下げていくと、そもそも、何を目的とし、何を価値としてプロジェクトをやっているのか(Why)の問題に突き当たる。

 How→What→Why

こう考えていくと、現在のPM理論のパラダイムには、大きな革新が必要だと分かる。そして、そのブレイクスルーとなるのは価値論であろう、というのがわたしの信条である。当然ながら、これには異論もあろう。だから、そういったオープンな議論ができる場を、わたしは作りたいのである。


# by Tomoichi_Sato | 2017-11-03 12:56 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

書評:「ビルマ万華鏡」 土橋泰子・著


著者の土橋泰子氏は、外務省研修所ビルマ語講師で、おそらく日本きってのビルマ語・文化理解者の一人と思われる。彼女は1954年(昭和29年)に大阪外語大に入学し、在学中にラングーン大学に留学する。まだ「大学なんか行くとお嫁のもらい手が無くなる」などと言われていた時代だった。しかも当時、日本の国には外貨がほとんどなかったため、外貨持ち出し制限により、海外旅行や留学はたとえ自費でも国の許可が必要だった。

ましてビルマは第二次大戦中、日本が戦争で大変迷惑をかけた国でもある。そんな相手国から、招待を受けて留学した人は、著者が初めてだったろう。さいわいビルマはデリケートで優しい文化をもった国である。対日感情は一般に決してよくなかったと思われるが、それを直接本人にぶつけるような人はいなかった。だからこの本は、その楽しかったラングーンでの、女子学生寮時代の思い出からはじまる。

大学は厳格な教育だったし、ビルマ文学はかなり高い完成度を持っているので、勉学は苦労だったようだが、皆がおかずを持ち寄って、車座に分け合う寮の生活は楽しそうだ。「持っているものは何でも人と分け合う、これがビルマではもっとも大切なルールです」(p.40)という。

ところで、本のタイトルにもなっている「ビルマ」という国名について、著者は最初にこう書く。

「ミャンマーという国名は、あの国がよんできた正式の国名で、いわば文語体的呼称です。そして元々、口語体で自国を呼ぶときは、バマーといっていたのです。19世紀、英国がミャンマーを植民地支配したとき、それが『バーマ』(Burma)と発音され、日本に伝わって『ビルマ』になったというわけです。

(中略)イギリスとか、インドとかいう呼称も日本人だけの呼称ですから、日本式にビルマといっても別に構わないというのがわたしの立場です。ミャンマーと呼べば現政権支持(出版当時は中国寄りの軍事政権)、ビルマなら現政権非支持という考えの方もおられるようですが、そのような政治的意味はないことを予めおことわりしておきます。」(p.4)

ビルマBurmaをミャンマーMyanmarに呼び直してくれ、と世界に要請したのは軍事政権だ。だが、それは「ジャパン」といわずに、これからは「ニッポン」と呼んでくれ、というのに等しい、という訳だ。だが、それが瞬時に政治的記号に読み替えられてしまう点に、この国が現在いる立ち位置の難しさがある。

本書はしかし、政治や外交面での解説みたいなことはほとんど略し、著者が自分の目で見て知り、我が身で体験・実感した文化面のことがらを書いてくれている。ビルマの古典文学からはじまって、ことわざ、信仰、価値観、歳時記、料理、民族(ビルマは多民族国家だ)、服飾、度量衡・・と、きわめて具体的で幅広い。また2000年代に入ってから訪れた秘境・ナガ丘陵の旅行記も、とても印象的だ。

ちなみにビルマ人には名字が無く名前だけだが、その名前は生まれた日の曜日に従ってつけられる、といった習慣は、聞かないと分からないが、なかなか面白い。なお、ビルマ出身で国連事務総長になったウ・タント(U Thant)氏という方がいたが、この人の名前の最初についている「ウ」は男性の尊称を表す(女性の尊称は「ドォ」)。また、Thantの最後のtは読まないので、この人の名前はじつは「タン」さんなのである。

その、ウ・タントことタン氏は、東西冷戦とベトナム戦争の’60年代に、国連で平和のために尽力する。ちょうど著者も60年代にニューヨークに夫君と一緒に赴任していたため、知遇を得たという。だが、あいにく故国でネ・ウィン大将が、軍事クーデターを起こす。ただしNYで国連事務総長をつとめる彼だけは、軍事政権も逮捕・投獄することができない。かくして、反体制派を支援する立場になって奔走しつつ、病魔に倒れた彼の晩年の姿を描写して、本書は終わる。

軍事政権が民政移管を決め、にわかに東南アジア最後の新市場として注目を集めるミャンマーだが、お金や人口や経済成長といった数字だけを通してこの国を見るのではなく、血の通った人たち、それも高い文化を持った人達の国として、立体的に理解するために、とても良い入門書である。この国に関心を持つ全ての人に、広くお勧めする。


# by Tomoichi_Sato | 2017-10-24 23:31 | Comments(0)

マネジメント・テクノロジーを考える場にようこそ

このほど、新しく「マネジメントのテクノロジーを考える」というサイトを立ち上げた。

新サイトの目的は、マネジメント・テクノロジーのための情報源とすることである。そのために、2000年4月からずっと開設運営してきたわたしのサイト「革新的生産スケジューリング入門」のコンテンツを、全面的に移行した。SCM・BOM・PM・ITなどに関わる数百の記事がある。これに加えて、個人的に書いてきた「気まぐれ批評集」なども移してある。

このサイトは、近いうちに、マネジメント・テクノロジーを学ぶコミュニティのためのプラットフォームとして、拡張していきたい。現在、わたしが主宰している『プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会』の「PM教育分科会」では、世に類例のない新しいタイプのPMトレーニングを開発中である。これに関連するフォーラムや、e-Learningなどを今後、立ち上げたいと考えている。とはいえ、こちらはまだ構想段階なので、現時点ではわたしの個人コンテンツ集の体裁になっている。

新サイト開設に伴い、さらに二つほどやろうと思っていることがある。

第1に、本サイト(brevis.exblog.jp)の最新の記事を届けるために、メーリング・リストをはじめるつもりだ。これにより、いちいち見に来なくても、新しい記事がお手元に届くことになる。

もう一つ。過去に書いた数百の記事の中から、マイ・ベスト・セレクションを選んで、電子書籍化することを考えている。もちろん、メーリング・リストに登録してくださった方々には、先着順で無料進呈するつもりである。詳しい案内は、また後日させていただこう。

ところで、タイトルに使った『マネジメント・テクノロジー』という言葉は、一般用語ではない。世の中には「固有技術」「管理技術」の区分があるが、後者のカタカナ版というつもりで使っている。管理技術のままでも良いのだが、「管理」という日本語は英語のManagementよりも曖昧性が高い上に、その高圧的なニュアンスを嫌う人も少なくない。そこで、英語風に言いかえたのである。

元々この言葉は、わたしの勤務先の同僚・秋山聡氏が使い始めたもので、わたしもお借りして使わせていただいている。だから、Googleなどで"Management technology”と検索しても、そのものズバリのサイトは、なかなか出てこない。○○マネジメント技術、たとえばdata management technologyといったものはヒットする。また、Management of technology(MOT=技術経営)関連のサイトは、いくらでもある。だが、わたしの意図するマネジメント・テクノロジーは、技術の経営とは全く異なる概念だ。

マネジメントという言葉は多義語だが、その中核には「人を動かす」という意味がある。人に働いてもらって、あるいは、人と一緒に動いて、共通の目的を達する。このための技術を、マネジメント・テクノロジーと呼ぶ。

人が働く場合は、通常、それにともなって情報や物のやりとりがある。したがって、物の数量、品質、置き方、動かし方、などにかかわる技術も必要だ。情報やデータのインプット、伝達、蓄積、処理などの技術も大切になる。

そしてもちろん、お金に関わることがら、つまり見積や予測、集計にも技術がある。また、時間に関わること、所要期間の見積、集計、納期の予測も技術の対象だ。なによりも、人の集団としての組織を、どうデザインし、統率し、成長させるかという大きな難しい課題もある。

こうした事柄に関する技術は、分野・業種にかかわらず共通性が高い。たとえば在庫理論はマネジメント・テクノロジーの一種だが、在庫しておく対象が、石炭だろうがPCだろうが、共通に使える。最近流行の言葉に、<競争領域>と<協調領域>という用語があるが、共通性の高いマネジメント・テクノロジーは、後者に属するといえるだろう。

ただし、こうしたマネジメントに関する知恵は、従来バラバラに存在していた。在庫理論、会計学、品質工学、情報システム、人材開発・・という風に。

大事なことは、そこに「システムズ・アプローチ」という心棒を通すことだと、わたしは考えている。時間・品質・在庫・コストなどの項目は、バラバラに存在し、バラバラに管理できるものではない。製造業のQCDをみれば分かるとおり、品質とコストと納期は、互いに関係している。品質を上げようとするとコストがかかり、低コストでやろうとすると納期が延び、と言う風に。互いに制約し合っていると言ってもいい。

その一番わかりやすい例が、プロジェクト・マネジメントだ。現代のPM理論は、1950年代に米国で生まれた。プロジェクトを、単位作業(Activity)のネットワークで構成される「システム」だ、と考えたときにモダンPMの理論と手法が誕生した。だから、上に述べたわたし達のPMトレーニング・カリキュラムでは、プロジェクトを「システム」だと実感することに重きを置いている。

そもそも、マネジメントの能力は、生まれつきの才能でもないし、「気合い」だけで増大する物でもない。技術(テクノロジー)によって増大する、という思想が、わたし達のよりどころである。ただし、人が持つ能力は、かなり移転可能な部分と、どうしても属人的な部分に分かれる。これを、ハード・スキルとソフト・スキルと呼ぶ。

ハード・スキルとは、技術と理論を中心とした、座学で習得しやすい能力である。これに対し、ソフト・スキルとは、問題解決や交渉力といった、繰り返し練習によって身につく能力である。

そして、この両者を支える思考と行動習慣の体系を、OSとよんでいる。2年前に上梓した拙著『世界を動かすプロジェクト・マネジメントの教科書』では、この考え方に立って、以下のような「S+3K」がOSとして大切だ、と表現した。

 S: システムズ・アプローチ
 第1のK: 言葉を大切にする(言語化)
 第2のK: 契約と責任を重んじる(契約責任制)
 第3のK: かならず計画を立てる(計画重視)

ちなみに第2・第3のKは、とくに海外プロジェクトで重要になる要素だ。しかし、PMの観点だけでなく、より一般的に、システムズ・アプローチを内部から支える要素をあげると、以下の3点を大切にする態度になるのではないか:

  • 言葉
  • ロジック(論理・法則性)
  • 記憶(経験・歴史)

これはたとえば、あなたが上司や顧客としていだきたくない人物像を考えると分かる。まず、言葉をぞんざいに扱う人たちは、正直、あまりありがたくない。言っている意味が通じない人、意味内容がすぐ変わる人、逆に、狡猾に言葉をすり替える人などなど。

二番目にこまるのは、ロジックを無視する人だろう。1+1を、3とか5にしろと主張する人。仕事のパターンや傾向、法則性を無視する人。そして何でも「気合いと根性」だけで押し切る人たちだ。つまり、論理を「面倒くせぇ」で片付ける人である。顧客として上司として、あまりお相手をしたくないタイプである。貴方の周囲でも、見かけることはないだろうか。

そして敬遠したい三番目のタイプは、記憶しない人たちである。つまり、過去の過ちをすぐに忘れる(忘れたふりをする)人、約束や主張をしょっちゅうクルクル変える人、記録を軽視し、なんでも記憶と印象だけに頼る人。こういう人達は、できればリーダーに戴きたくない。

さて、前述のPMトレーニングについては、すでに6月と9月の2回にわたり、研究部会の内部でボランティア受講者を募り、改良を加えてきた。順調にいけば来年初頭あたりから、お披露目できるだろう。そして、これはわたし達が考える、「マネジメント・テクノロジーとしてのPM」の最初のカリキュラムになる予定である。

このコースは、プロジェクト・マネジメントの「初級者を対象とする」というつもりで設計し、参加者を募った。ところで、最近気がついたのだが、この「初級」「中級」という概念自体、もう少しきちんと定義すべきだったようだ。たとえば世間のPM資格試験では、プロジェクト実務経験年数や時間数などに準拠しているが、はたしてそれは妥当なのか?

分科会の中で議論するうち、わたし達はもっと別の定義の方が、ふさわしいと気がついた。それは、以下のような簡単なものである。

マネジメント・テクノロジーにおける初級者とは、自分でなんとか実行することができる人を指す。言われたことをそのとおり実行する場合も、自分で考えてやってみる場合もあるだろう(もちろん、言われてもできない人は、入門以前である)。

これに対し、中級者とは、他人に教えることができる人を指す。すなわち、自分の関わるマネジメントの手順・技術について、言語化でき、また元となる理論や定石を理解しており、それを実例と共に伝えられる人である。

そして上級者とは、新しいやり方を開発できる人である。
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このように定義してみると、いろいろなことがすっきりする。たとえば、何年間、いや何十年間も、実務経験を積んでいても、人を教えることをせず、ただ「俺の背中を見て育て」という人は、まだ初級者なのである。その人の中で、やり方が言語化・定式化されていないからだ。その人自身は、マネージャーとして高い能力を、あるいは持っているかも知れない。だが、その技能が個人に属するだけなら、組織はその人のレベルを超えることはなくなる。

つまり、個人のテクニックは、いくら積み上げても、移転・共有可能な「テクノロジー」にはならないのだ。シニア世代の引退を控え、あちこちの職場で若手への「技術移転」が課題となっている。しかし、そもそも移転可能な形になっていないままでは、誰が受け取れるだろうか?

教えることは、じつは自分も学ぶことだ。教えるのが一番、勉強になる。それは多くの人が経験したことだと思う。もしかするとわたし達の社会は、年を経た、ベテランの、しかし初級者ばかりでできているのかもしれない。

せめてわたし達は、はやく中級者になろう。


# by Tomoichi_Sato | 2017-10-20 08:21 | ビジネス | Comments(2)

お知らせ:納期遵守のための1日セミナーを開催します(11月18日・大阪)

来る11月18日(土)に、大阪府工業協会で納期遵守をテーマとした1日セミナー(有償)を行います。主に受注生産型の工場における、納期遵守のための生産計画と統制(コントロール)について、製造業の実務家向けに、理論・事例と演習を含めてお話しします。3年前からはじめた本シリーズも、今回で5回目の開催になります。

人手不足が深刻化している昨今、多くの企業が納期問題に直面しています。しかし、だからといって生産性の向上はそう簡単ではないし、高価な最新鋭機械を導入すれば解決する問題でもありません。生産リードタイムは、生産システム全体のパフォーマンスで決まるからです。

拙著「革新的生産スケジューリング入門」や「BOM/部品表入門 (図解でわかる生産の実務)」をお読みになった方はご承知の通り、わたしは具体的なテクニック論のみならず、原理・原則に関する体系的な理解を重視します。そのため、生産活動の仕組み全般を『システム』としてとらえ、その生産システムをより良く運用するにはどうしたらいいか、また仕組みをより上手に設計するためには何に留意したらいいか、を考える『システムズ・アプローチ』をとります(もちろん、ここでいうシステムとはコンピュータのことではありません)。

したがって業種分野については、わりと間口を広くとってお話しできる点が特徴です。普通の現場改善コンサルタントの講義に、飽き足りない気持ちでおられる技術者の皆さんのヒントになればと思っています。関心のある方のご来聴をお待ちしております。


<記>

日時: 2017年11月18日(土) 9:30-16:30

テーマ: 「納期遅れを起こさない 生産統制のポイント
     ~ 工程管理担当者の実務能力の強化 ~」

主催: 公益財団法人 大阪府工業協会

会場: 大阪府工業協会研修室
     大阪市中央区本町 2-6-12 サンマリオン NBFタワー4F
     (市営地下鉄御堂筋線「本町」駅9番出口より徒歩4分)

セミナー詳細: 下記のPDFファイルをご参照ください(「受講申込書」も兼ねています)


# by Tomoichi_Sato | 2017-10-15 22:15 | サプライチェーン | Comments(0)

能力評価のレベル0からレベル2まで 〜 組織を作る概念のシステムとは何か

生まれて初めて乗った飛行機は、アエロフロートだった。大学院の修士課程をでる前の3月、わたしは一人で卒業旅行にでかけた。まだ旧ソ連の時代だ。旅行の行き先はドイツとスペイン、そして英国。モスクワ経由でフランクフルトに向かい、ドイツ中部の家々の屋根の色を見下ろしたときの印象は、今でも鮮明だ。ドイツでは父の元・部下で、当時フランクフルト近郊の現地法人で働いていたNさんに、いろいろとお世話になった。スペインでは、マドリードにあった父の会社の取引先の方が一緒に夜、食事をしてくださった。今考えると、いくら取引先のキーマンの息子だとは言っても、取るに足りぬ生意気な若造のお相手をしてくれた訳だ。まことに頭が下がる。

行く先々で聞かれた質問が一つあった。「なぜ、お父さんの会社に行かないのですか?」という質問だ。ドイツでもスペインでも現地の人に聞かれた。わたしにはむしろ、「へえー、ヨーロッパ人って、そういう考え方をするんだ」と新鮮な驚きを感じた。家業ならいざ知らず、父は会社の役員だったが社長でも創業者でもない。親と同じ会社に入るなんて、むしろ古くさい、前近代的な考えだと思っていた。だから合理的近代人である西欧の人達が、そんな風に思うことが意外だったのだ。

前回、「人材配置・昇進のレベル0からレベル2まで」 http://brevis.exblog.jp/26081033/ で、“生まれつきリーダーは決まっている”、という観念でできている組織(たとえば同族会社など)は、レベル0だと書いた。だが、誤解しないでほしい。わたしは同族企業をすべて批判しているのではない。すぐれた業績を上げている同族企業を、わたしはたくさん知っている。とくに英明で優れたリーダーが社長職を継いでいるところは、大胆な決断もスピード感を持って下せるし、従業員からも尊敬されていて、立派な組織が多い。

レベル0という位置づけは、ポテンシャルの基底状態、つまり一番自然に発生し、そこから出てもまたその位置に戻りやすい状態を指している。「リーダーとなるべき人は生まれつき決まっている」という観念は、組織づくりの設計思想としては、レベル0=出発点だ、ということを申し上げているにすぎない。事実、歴史を見ると、古代にはこうした考えでいろいろな制度が設計されていた。そして、それなりに機能していた。

ただし、当たり前だが、レベル0のままでは組織の維持に差し支えるような事態も、起こりうる。オーナー社長の残した一人息子が暗愚で、かわりになる子どもが親族にいないとか、いても嫁に行った娘だった、といった話はいくらでもある。こうなると、お定まりのお家騒動だ。すぐれた同族企業が沢山あるのは事実だが、すべての同族企業が素晴らしい訳ではない。

逆に、レベル2の組織では「基準とルールを作って組織を動かす」と、『マネジメントのレベル0からレベル2まで』 http://brevis.exblog.jp/26064558/ では書いた。しかし、こうした組織が全て素晴らしい訳でもない。基準とルールを定めて人を動かすのは結構だが、ルール本来の目的が忘れられ、単に維持することが自己目的化することもある。そうした組織ではしばしば、官僚主義と大企業病が跋扈するようになる。すると、大きな環境変化への適応不全が起き、「ヒーロー待望論」と共に、レベル0の組織まで一気に縮退することさえある。

だからこそ、ルールというものは、それ自体に定期的見直しと改良がビルトインされなければいけない訳だし、マネジメント・システムを組み上げるポジションには、マネジメント能力の高いものを配置しなければならない。レベル2のマネジメントには、レベル2の人材配置が必須なのである。だが、そもそもマネジメントの能力とはどのような性質のものなのか。いや、ことはマネージャー職にとどまらない。いやしくも適材適所を実現するためには、いろんな種類の能力が、うまくアセスメントし評価できなければならないのだ。

ここで、「能力評価」に対する、3つのレベル分けを定義しよう。

レベル0: 能力は生まれつきでほぼ決まる
レベル1: 能力は素質に加えて、「やる気」が大切である
レベル2: 能力は素質・意欲に加えて、知識・技術・不断の訓練で成長する

能力は生まれつきの素質やセンスで決まる、という見方は、素朴な出発点=レベル0である。「持って生まれたセンスのないやつに、いくら教え込んだって無駄だ」という言い方は、世間でもネットでもよく見かける。こういう風に発言すると、 クールでカッコよく聞こえるのも確かだ。部下の能力を即座に峻別し、ダメな奴からカットする上司。「お前はクビだ」というセリフで有名になったお金持ち。ただしこうした人びとは、部下(=人的資源)とは自分の所有物ではなく、組織や社会からの借りものだ、という事を忘れている。でも、その話は脇に置いておこう。

レベル0の能力観において重要になるのは、持って生まれた素質の選別である。これに対し、レベル1では、本人の意欲・やる気を重視する。多くの人が好むスポーツや競技もののストーリー、とくに昭和時代に隆盛した「スポ根」ものは、こういう能力観をベースにした説話である。最近読み直した’90年代の人気マンガ「ヒカルの碁」(原作・ほったゆみ)の第1巻では、主人公のライバル・塔矢アキラがまだ幼少の時、父である塔矢名人と会話する。

「お父さん、ボク、囲碁の才能あるかなあ」
「ハハハ。それがおまえにあるかどうか、わたしにはわからんが・・
 そんな才能なくっても、おまえはもっとすごい才能をふたつ持っている。
 ひとつは、誰よりも努力を惜しまない才能。
 もうひとつは、限りなく囲碁を愛する才能だ。」(p.150)

競技を愛して努力を惜しまなければ、必ず強くなる。これが少年マンガの中心テーゼだ。このテーゼは、人を努力に誘い、打ちのめされた人を再び奮起させる点で、たしかにレベル0よりも上である(もっとも「ヒカルの碁」の塔矢アキラは、誰が見たって生まれつき卓越した素質の持ち主だが)。レベル0の考え方では、基本的に人には、あまり努力による伸びしろがない訳だから、誰を選抜するかが評価の中心になる。

日本の教育制度(と称しているもの)は、じつは選抜のシステムである。教科書的知識を教え、それを選抜の基準とする。だから記憶力が良くて、出題者の意図を読むのが達者な人間ばかりが、引き上げられる。そして若いときに一度選抜されれば、パスポートは一生有効だ。そういう制度を持つわたし達の社会は、ほぼレベル0の論理で動いていると言っていい。予備校は、「意欲重視」のレベル1を、(集客と宣伝のために)あえて掲げているかもしれないが。

では、レベル2は? それは、成長を加速するための装置として、知識や技術があり、さらに繰り返し練習することによって、能力は深まる、という考え方だ。素質ややる気が不要だ、と言っているのではない。とくに訓練の努力には、熱意が不可欠だ。素質のある者は、訓練のスタート地点がかなり進んでいる。でも、それだけでは不十分だし、効率がわるい。人の能力には、伸ばせる余地が非常に大きい。これがレベル2の能力観である。

さて、3回にわたって「マネジメントのあり方」「人材配置・昇進のやり方」「能力評価の考え方」について、3つのレベルを定義してきた。ところで、これらの3レベルは、互いに関係し合っている。

たとえば、「生まれつき」で配置・昇進を決める、人材のレベル0からはじめようか。その極端が、貴族主義であることは、前にも述べた。そこまでいかずとも、あまたいる候補人材の中から、傑出した者を少数、見いだして、多少の試練で延ばしてやれば、リーダーの後継者になる。こういう論理はよく見かける。ビジネススクールの教授陣でさえ、こんな考え方が多いと思う。

真に傑出した人間は、滅多にいない。まことに稀少である。そのことはわたしも認めよう。ただし、それが生まれつきの資質やセンスによるものかどうかは、異論がある。

でも、ごく少数の生まれつき優秀な人間と、圧倒的多数の魯鈍な愚民−−こういう対立図式で世の中をとららえる人は、案外多い。この種の人達は「帝王学」という言葉も、けっこう好む。すぐれた血筋の子弟を、幼少の頃からリーダーたるべく教育する方法、を指しているらしい。ただしその学的内容は不詳で、どこかに「帝王学会」なるものが存在する訳でもないようだ。学問と言うより、一種のロマンであろう。生まれつき優秀な種なら、水をやって日を当てればほぼ自動的に育って、花が咲くものと信じているのだろう。

ともあれ、優秀なリーダーはごく少数だから、後の者たちに対しては、全てを指示し決めてやらなければならない、と考えるのも道理である。つまり、

・リーダーは生まれつきで決まるものである
 (なぜなら)
・リーダーたる能力は生まれつきの資質である
 (ゆえに)
・リーダーは自分が全てを決める

という風に、概念が円環を描いて互いを支え合う構造になっている。
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似たような構造は、レベル1同士の間でも成立する。人はやる気と意欲で伸びるのだ、というのが能力評価のレベル1だ。やる気を引き出すには、互いに競争させるのが一番だ。だから組織をエリアや職能別に縦割りにして、リーダー候補たちをそこに割り当てて任せ、「結果を出せ」といって競わせる。これがマネジメントのレベル1。そうして、成果・業績でリーダーを昇進させる。人材配置・昇進のレベル1。とてもつじつまが合っている。

・能力ははやる気と意欲で伸びる
 (そこで)
・人に任せて、「結果を出せ」という
 (そして)
・業績で人を昇進させる

たとえば、組織を地域や職能で縦割りにして、たがいに損益やKPIを定めて競わせる、といった仕組みをとる企業は非常に多い。工場間も競わせ、その成績・順位に応じてボーナスまで決めるという噂の某自動車会社など、その典型かもしれない。競争原理こそ人を動かす、との信念なのだろう。
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レベル2ではどうか。能力は、マネジメント能力を含めて、知識・技術と練習によって伸びる。そこで、人材教育と実地訓練の仕組みを組織にビルトインしなければならない。実地訓練の途上では、個人の業績が不安定になることもあるだろう。だから、配置・昇進では、短期の業績ではなく、能力評価を基準にしたルールにしなければならない。

・マネジメント能力で人の配置・昇進を決める
 (しかるに)
・能力は知識・技術・不断の訓練で成長する
 (よって)
・組織は基準とルールを作って動かす
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このように、マネジメント・ポジション・能力の3種類の概念は、それぞれのレベルにおいて、互いを支え合っている。要素が互いに支え合ってできあがる仕組みを「システム」とよぶ。システムは、要素が変わらない限り、ある意味安定である。

人間集団が持つ、体系化され組織化された、思考と行動の習慣を、わたしは『OS』とよんでいる。Operating Systemであるから、システムだ。概念の世界にも、システムが存在することに注意してほしい。そしてこのシステムこそ、見えないけれど、いろいろな制度とふるまいをしばっている。

厄介なのは、レベル0はレベル0なりに、レベル1はレベル1なりに、安定であることだ。レベルを全体として1ランク上げるためには、概念、つまり人びとの考え方を、同時にあげないといけないことだ。無理に異なるレベルの要素を接ぎ木しても、システムは不安定になる。一要素でも劣化すると、全体がおそらく下のレベルに縮退しやすくなる。

たとえば、基準とルールでできあがった組織でも、リーダーの配置・昇進が生まれつきで決まりがちだと、人材教育が機能しなくなり、人びとのモチベーションと能力が下がって、機能不全に陥るだろう。あるいは、いくら能力に応じて人を配しても、そして教育の場をつくっても、リーダーが全て自分で決めるような組織では、部下の能力が活かされず生産性が下がるであろう。基準・ルールがあり、業績で人を昇進させても、技術開発と教育が軽視されたら、みるみる競争力を失うであろう。

わたしが(そして研究部会の仲間を含めたわたし達が)、マネジメントにはテクノロジー(技術)が存在し、それを学び練習する場が必要だ、と主張してきたのは、能力観が全体の中で一番弱い環だと思うからである。ルールも能力主義も、皆、良く知っている。だが、マネジメント能力が独立した能力であり、そこに技術も訓練もあるのだ、ということは、まだ常識化していない。そこを少しでも、強めたいのである。

卒業旅行で初めて訪れたドイツでは、Nさんにつれられてノイ・シュヴァンシュタイン城を見物に行った。「狂王」とよばれたバイエルン国王ルートヴィヒ2世が、19世紀末に建てた美しい城である。孤独なロマンティストで、中世伝説のマニアだった彼は、最終的に臣下に幽閉され40歳で死んだ。近代化を迫られるバイエルン国に、中世風の気まぐれな王様は、もはや足かせだった。「なぜ親と同じ会社に入らないのですか?」とたずねてきたドイツ人たちは、しかし、貴族による世襲だけではうまく行かないことも、良く知っていたのだ。少なくとも、国王を英明に育てる「帝王学」までは、持ち合わせていなかったのである。


<関連エントリ>
 →「それは知識ですか、スキルですか、資質ですか?」 http://brevis.exblog.jp/20592802/ (2013-06-02)
 →「人材配置・昇進のレベル0からレベル2まで」 http://brevis.exblog.jp/26081033/ (2017-09-30)
 →「マネジメントののレベル0からレベル2まで」 http://brevis.exblog.jp/26064558/ (2017-09-22)


# by Tomoichi_Sato | 2017-10-07 23:37 | ビジネス | Comments(0)

人材配置・昇進のレベル0からレベル2まで

わたしが主宰する『プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会』では先日、「プロジェクト・マネジメントの1日研修トライアル」という催しを開いた。これは、わたし達の研究部会の中にある「PM教育分科会」というグループが、オリジナルに開発中の研修プログラムについて、希望者を募って“βテスト”を実施したものである。参加者がいるか心配だったが、幸いにも10数名の方が申し込まれ、休日を丸一日つかってわたし達の研修プログラムを体験し、有用性を検証していただいた。

その内容はまだ開発中のため、ここで詳しくは述べないが、社会人向けの、初中級者レベルのコースとして設計したものだ。もちろん世の中には、すでに多数のPM研修がある。だが、その多くはPMBOK Guideなどの知識を座学で学ぶ、資格試験対策である。あるいは逆に、ケーススタディの討議中心で、しばしばプロジェクトの火消しなどの題材を扱っている。だが、そもそも良きプロジェクト・マネジメントとは、火の手を起こさぬようにするためのものではないか。

わたし達は、知識・技法などのハード・スキルと、コミュニケーションや問題解決などソフト・スキルの、バランスの取れた研修プログラムの開発を目指している。とくに、プロジェクト全体の構造を俯瞰して理解する「システムズ・アプローチ」習得に、重きを置いて設計した。ありがたいことに、参加された方々のフィードバックは、こうした意図に沿った形で、前向きなものが多かった。

ところで、この一日トライアル研修の最後に、講師側のふりかえりを述べる機会があり、わたしはほとんど即興で次のようにお話しした。

「皆さんにとって、望ましいリーダー、ついて行きたいと感じるリーダー像とは、どのようなものでしょうか。わたしは、3つの条件があると感じています。

第一に、落ち着いていること、です。いつも落ち着いていて、何かトラブルが起きても、すぐ感情的になったり逆上したりしない人。わたしが職場で知っている、真に優秀なプロジェクト・マネージャーたちはだいたい、冷静で穏やかな人が多い。情緒的にupsetすると、正しく判断することができなくなるので、これが大事なのです。

二番目に、人の話を聞くこと、でしょう。ちゃんと下の者の話を最後まで聞いてくれる人。賛成してくれるかどうかはともかく、話をしやすい人。そういうリーダーの所には、良い情報もまずい情報も、上がっていきます。担当者による問題の抱え込みが起きにくい。そうすれば、プロジェクトに突然のサプライズもなくなります。

第三は、先が見通せること、ですかね。外部や環境の変化に反射的に対応して、右往左往するのではなく、ちゃんと先を見通せる人。こういう人にこそ、ついて行きたいですよね。

そして、こういった三つの事柄の前提として、一番大切な能力があります。それは、『事実を客観的・多面的に見ること』です。プロジェクトとは生き物で、しかも複雑な仕組みでもあります。それが今、どういう構造になっているのか、どういうインパクトがあると、どんな範囲に影響がありうるのか。そうした事実を、自分だけの希望や思い入れを離れて、客観的に、かつ多面的にとらえて理解すること。これがあるから、落ち着いていられるのだし、先を見通せるのです。そして、人の話をきかなければ、客観的・多面的に見ることもできません。

問題が起こったぞ! さあどうする、どうする・・といきなり騒ぐ前に、現実を見ること。それも複眼で見ること。そしてちゃんと数字の裏付けをもって見ること。そうした能力を身につける練習こそ、わたし達が目指していることです。」

ここに即興的にあげた3つの条件が、はたして適切なのか、他にもっと大事な条件はないのか、異論はあろう。そもそもプロマネ論とかリーダー論とか、世間では好んで論じられるテーマである。たとえば最初の「落ち着いている」にしても、普通だったら、「ものに動じない」「人間としての器が大きい」「大人物である」といった人物論になっていくだろう。

そして、「大人物とはいかなる者だろうか」「そう、たとえば西郷隆盛は・・」というような話につながっていきそうである。そういう会話も、もちろん結構だ。だが、人物論みたいなことをいくら論じられたって、それが貴方やわたしの、次のアクションにつながっていくだろうか? 人物の器量や性格は生まれつき、という事だったら、凡人で小心者に生まれたわたし(たち)は、どうしたらいいのか? ましてやプロマネに西郷さん級の大人物を要求されたって、それを各社何十人単位で用意できるものか。

ところで、少し前だが、「功ある者には禄を、徳ある者には地位を与えよ。」という言葉を、人事に関連して聞いたことがある。つまり仕事で功績を挙げた人間には、ボーナスなど報奨金で報い、上の地位に引き上げるのは、むしろ人徳ある者にしろ、という意味である。これはなかなか良い格言だと思った。

ちなみに、この言葉はまさに西郷隆盛の遺訓の中にあって、人に知られるようになったらしい。調べてみると、官は其の人を撰(えら)びて之れを授け、功有る者には俸禄を以て賞し、云々という言葉があるという。ただしこれは元々、中国の古典である「書経」に、『徳懋(さかん)なるは官を懋にし、功懋なるは賞を懋にする。』からとられているようだ。

多くの組織では、人が昇進昇格するきっかけは、仕事で目立った業績を上げることである。営業マンなら大きな受注を、研究者なら画期的な発明を、技術者ならばすぐれた設計を認められて、組織の位階を上がっていく。そして人の上に立つ。

それと「目立つ」業績という点もミソで、たとえばプロジェクトが最初から最後まで平穏無事に進んだら、とても素晴らしいことなのだが、目立ちにくい。他方、大きな問題が生じて、それを大騒ぎして解決すると、とても目立つことになる。だからいつの間にか、「火消しこそプロマネの本領」みたいな通念が生まれていく。

ともあれ、2000年頃から、多くの企業で「成果主義」人事制度が導入され、業績と人事評価が直結するようになった。それはそれで、良い面も多かったのだと思う。年功とか性別とか学歴(大学入学歴)だけで、人が差をつけられるのはおかしいと、大勢が感じてきたからだ。ただ、その「成果」の定義をめぐって、いろんな議論や混乱も生じた。

おそらく一番よろしくなかった点は、人事査定において、人材の「配置・昇進」と「給料」の二つが、直列にリンクしていたことではなかったか。前回の記事にも書いたが、ほとんどの組織は、位階のシステム、つまりピラミッド型の形態をとっている。上の方にいくほど、人数は少ない。部下が多く、権限が大きくなる。そして収入が高くなる。

結果として、目立つ成果を上げた者は、より上位のポジションに配置され、大勢の部下をマネジメントするようになる。だが、本当に辣腕の営業マンは、優秀な営業マネージャーになるのか? 独創的な研究者は、すぐれた研究所長になるのか。緻密な設計のできるエンジニアは、卓抜したプロジェクト・マネージャーになるのか? 大きな疑問ではないか。

ボーナスの査定と昇進は、一緒のモノサシで測ってはいけない。給与と栄誉は区別しろ、と西郷南洲遺訓の「功ある者には禄を、徳ある者には地位を」は教えている。そう、業績と昇進を直結してはいけないのである。会社に利益をもたらした者には、金銭的に報いる。でも昇進は別に決める。

とはいえ、「」とは何だろうか。それを半期に一度の人事査定で、評価できるのだろうか。お前の部下の徳を5点満点で答えろ、といわれても、わたしは正しく評価できる自信はない。逆に「佐藤は有徳とは言えないな」と評価されるなら、まあ強くは反論できないけれども。

では、組織の位階の中で、人を上位のポジションにつけるには、何を基準にすべきか。それは当然、「マネジメントの能力」ということになる。

そして、「マネジメントは職域から独立した専門的能力である」という概念が確立していないから、わたし達の社会では人事に混乱が生じやすいのである。以前も書いたが、日本の官庁や多くの企業では、いろんな部署を経験させた「ジェネラリスト」をマネージャー職につける、という考え方が伝統的に強い。

だが、それはオーケストラにたとえれば、「最初はビオラを弾き、それからフルートに異動させ、第一バイオリンでコンサートマスターを経験させれば、指揮者になれるだろう」という考え方に近い。楽器の奏法(つまり専門職域の固有知識)を知っていることは指揮者に必要だろうが、十分条件ではない。指揮者は指揮者であって、指揮の専門の勉強と訓練が必要なのである。

ただ、かりに能力ある者を昇進させるという考えを認めたとしても、まだハードルがある。「マネジメントの専門能力」を測る方法を確立していないと、結局、その部署の全体の業績やらKPIで、マネージャーの能力評価を代用することになるのだ。そして業績というのは、短期的な環境条件によってブレやすい。だから結果として、運の良かった者を昇進させる、ということも生じやすい。

結局、人材配置・昇進のやり方には、3つのレベルがあることが分かる。

レベル0は、リーダーの地位を、「生まれつき」で決めるやり方である。たとえば家柄とか人種とかカーストとかで。「器量」「人物」で決める、という考え方も、これに近い(そういうのは生まれつき持っているものだ、というのが通念だから)。

これはまあ、たとえば古代の王様のように、古い考え方ではある。現代でも、同族会社などこのタイプかも知れない。ただし一定範囲なら、それなりに有効である。同族経営にも、すぐれた会社は沢山ある(トヨタ自動車だって、ある意味そうだ)。ただ、その有効性は、同族の中できちんとした評価・選抜が行われていることが条件になる。

レベル1は、功績を挙げた人間をリーダーの地位に就ける、というやり方だ。ただ、その危険性については、これまで述べたとおりだ。専門職域で有能だからといって、マネージャーとして有能とは限らない。名選手、かならずしも名監督ならず。むしろすぐれた専門家は、高い報奨で報いるべきである。その結果として、役員よりも年収の高い社員が出現したって、いいではないか。その逆にして、人を使えない専門家が上に立って組織を乱すよりは、ずっと良い。

そして人材配置・昇進のレベル2は、マネジメントの能力によって、ポジションを決めるというものである。いや、リーダーの地位だけではない。専門職域への配置だって、やはり専門能力と適性で決めるべきだ。そういうのを適材適所とよぶ訳ではないか。

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ただ、レベル2に達するには、マネジメント能力という概念がきちんと確立して、かつ、それを適正に測る方法が必要である。人事制度にそれだけの成熟度が求められる。とくにマネジメント能力は、短期的な成果だけで測ってはいけない。それは野球にたとえれば、一打席の出塁結果だけで、打者の技能を測るようなものだ。あるいは一試合の勝敗だけで、監督の能力を測るようなものだ。

人を評価するには、「待つ」時間が重要なのである。


<関連エントリ>
 →「スペシャリストか、ジェネラリストか?」 http://brevis.exblog.jp/24313514/ (2016-04-18)
 →「マネジメントのレベル0からレベル2まで」 http://brevis.exblog.jp/26064558/ (2017-09-22)


# by Tomoichi_Sato | 2017-09-30 21:00 | ビジネス | Comments(0)

プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」(10月12日)開催のお知らせ

各位:

プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」の2017年第4回会合を開催いたします。

今回は、製造業におけるプロジェクトの一つである、受注設計生産のスケジューリングについて、この分野の専門家である(株)シムトップスの伊藤昭仁様にご講演いただきます。

日本の製造業の生産形態は、高度成長時代の大量見込生産から、次第に受注生産中心へと移っています。中でも、顧客の個別仕様に合わせて、受注してから設計し生産する受注設計生産(一品受注生産ともいう)は、プロジェクトの一種でもあり、もっとも生産管理の難しい形態ということができます。それは設計・調達というホワイトカラー業務と、製造現場の両方をシームレスにコントロールする必要があるからです。また、生産スケジューリングの基礎データとなるBOM(部品表)が、受注時点ではまだ固まっていない、という難しさもあります。

この受注設計生産プロジェクトの分野において、早くからスケジューラをはじめとするソリューションを開発してきた伊藤氏から、現実に即したお話を伺います。また久しぶりにIT業界の方のご講演でもあります。

いささか直前のご案内になりましたが、ぜひご参加ください。

<記>

■日時:2017年10月12日(木) 18:30~20:30

■場所:慶応大学 三田キャンパス・北館会議室2(1階) (定員:28)
キャンパスマップ 【1】

■講演タイトル:
「受注設計生産のプロジェクトスケジューリングの課題と改善期待効果」

■概要:
 量産を前提にしない受注設計生産では、事前に基本マスターの整備ができず、プロセスフロー(BOP)の定義が困難な場合が多い。その結果、ストラクチャー型のBOM (部品表)を前提にした生産管理システムや生産スケジューラの適用を難しくしている。これらの現状の課題と、受注設計生産へのプロジェクトスケジューリングを適用するための取組みと日々の工程管理における改善期待効果を述べる。

■講師: 株式会社 シムトップス 伊藤 昭仁(いとう あきひと)

■講師略歴:
 1991年 株式会社シムトップス 設立と共に入社20年以上にわたり、受注設計生産の製造業向けの生産スケジューラ/工程管理システムの導入前の提案からシステム導入後の立ち上げサポートまで、広範囲の業務に従事。国内主要自動車メーカの金型部門、工機部門、試作部門、半導体製造装置から発電設備などのプラント設備まで、幅広い受注設計生産タイプの生産工場へ100社以上のシステム導入経験を持つ。

■参加費用:無料。
 ちなみに本研究部会員がスケジューリング学会に新たに参加される場合、学会の入会金(¥1,000)は免除されます。

 参加を希望される方は、確認のため、できましたら当日までに三好副幹事(miyoshi_j@kensetsu-eng.co.jp)までご連絡ください。

以上、よろしくお願いいたします。
佐藤知一@日揮(株)

# by Tomoichi_Sato | 2017-09-28 07:51 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)