ムリ・ムラ・ムダ:その意味と違いを考える

「受験勉強で大切なのは、計画性とペースです。ムリ・ムラ・ムダは一番いけません。」中学校3年生の時、担任だったO部先生がわたし達に、そう説いた。『ムリ・ムラ・ムダ』というセットの言葉をはじめてきいたのはその時だった。当時すでに生意気な中学生だったわたしは、“平凡な語呂合わせだな”と、心の中で思った。そしてもちろん、たいして計画性もなく、むら気を持って受験競争を渡ろうとしたので、志望校2校を立て続けに落ち、最後に公立高校しか残っていない状況になってさすがに青ざめた。

長じた後、わたしは何の因果か、計画系のエンジニアになり、あまつさえ他人に「計画的に時間を使いましょう」だとか、「プロジェクト・スケジューリングはこうです」などと伝えて歩く仕事をする立場になった。まったく我ながらいい度胸である。もっとも生まれつき計画性が高く、プランニングのセンスにたけていたら、かえって「計画にはどういう技術が必要か」などと考えることもなかったに違いない。自分が自然にできてしまうことに、理屈をもって深掘りする必要はないからだ。

さて、担任のO部先生は、ムリとムラとムダがそれぞれ、どういう意味でどう違うかについては、説明してくれなかった。自明だから常識で考えろ、ということだったのかもしれない。だが、この三つは、そんなに自明なのだろうか。仕事においても、ムリ・ムラ・ムダがいけないのは周知の事実である。しかし、ちょっと考えてみてほしい。たとえば次のシチュエーションは「ムダ」に相当するのだろうか?

状況1:
「上流側の設計条件がかわってしまったため、途中まで進めていた作業がやり直しを余儀なくされた」

状況2:
「組立て作業の途中段階で部品が足りないことに気づき、資材倉庫まで探しに行って取ってきた」

『ムダ』という言葉を、“必要のない事をすること”という風に、常識的に考えている限り、上記はどちらもムダではないことになる。なぜなら、再設計であれ部品探しであれ、必要な作業であって、それなしには仕事は完遂しないからだ。もし上記の作業に従事する人が、作業日報をつけたならば、どちらも「直接業務時間」だとするだろう。明らかに、研修だとか清掃だとか部会だとかいった「間接業務」ではないからだ。

コストダウン活動などの号令がかかり、「時間のムダ取り」による改善アクションが叫ばれるとき、まず真っ先にやり玉になるのは、上記のような間接業務の時間だったりする。こうした間接業務は、顧客に対して直接、何らかの価値を提供するのに貢献しない。逆に、設計をしたり組立作業をしたりすることは、必須の直接業務である。これが通常の感覚であろう。

しかし間接業務の全てをムダと言えるかというと、少し問題がある。たとえば会計業務は典型的な間接業務だが、じゃあ経理はムダだからやめてしまえ、という議論にはなるまい。まあ経理は法的な義務だから、ムダかどうかの議論にはなじまないとしても、人事だとか広報だとか経営企画だとかいった仕事は、顧客に何かの価値を提供しているのか? もしこれらの仕事が、全体としてムダだと思われていないのだとしたら、「間接業務=ムダ」という図式は当てはまらないことになる。

また、直接業務の中にもムダは潜んでいる。たとえば、

状況3:
「週次のプロジェクト・ミーティングでプロマネが担当者一人ひとりに進捗報告をさせている間、他のメンバーはあくびをかみ殺しながら、スマホでこっそりメールを見たりしている」

というのは、何かムダを感じる人が多いだろう。じゃあ、進捗報告は不要か? と問い詰められると、ノーとは言いにくい。たしかに必要だろう。だが、なんだか生産性が低い(もっとも中には、進捗報告を聞きながら同時にメールを見ているのだから、むしろ生産性は高い、と答える人もいるかもしれないが)。生産性が低いと感じる理由は、<担当者1→プロマネ>の進捗報告を、他の担当者が聞いても、価値のある情報が少ないことがしばしばあるためだ。

仕事における『ムダ』の概念を、直接業務であるかどうかで定義したり、必要性だけで判断するのは、なんだかそぐわない点があることは分かった。では、ムダの判別は何がキーなのか?

最初の状況1の例に戻ってみよう。もし仮に、上流工程がきちんと設計を完成させて、顧客とも十分確認してから下流側に条件を流してくれていれば、このようなやり直し作業は発生しなかったはずだ。たしかにこのやり直し作業自体は、現時点では必要である。だがもう少しさかのぼって、もっと仕事全体の段取りをうまくやっていれば、不要だったはずだ。

状況2の例も、もしも(たとえば)組立作業でちょうど必要になるタイミングで、その部品が上流工程やサプライヤーから組立場所に供給されていたら、わざわざ資材倉庫に取りに行く必要はなかった。たまたま、何らかの理由で、消費するタイミングよりも前に供給されてしまったので、やむなく倉庫に一時的に保管するしかなかったのである。あるいは見方を変えて、かりに倉庫保管はやむを得なかった(たとえばロットサイズの理由などで)としても、組立作業の着手前に、物流係が必要とする部品全てをセット組みして配膳するような作業フローだったら、こうした部品探しの手間は不要だったろう。

つまり、『無駄』とは、仕事の段取りややり方がもっとスムーズだったら、やらずにすむ作業のことを言うのである。このように定義すれば、設計や製造だけでなく、経理や広報などの間接業務にも、いろいろなムダが潜んでいる可能性があることがわかるし、だからといって間接業務は全てやめてしまえ、などという乱暴な話にはならないのである。

ちなみに企業組織における間接業務というのは、自分達の仕組みの維持や能力向上、環境改善のために行う仕事である。人事がなければ給与も払われないし、研修がなければスキルアップも望めない。広報がなければ顧客の認知度にも有能な新人の採用にも差し支えるであろう。マクロな意味では、必要な仕事である。ただ、やり方や段取りがヘタだと、ミクロにはいろいろとムダが生じてしまう。

では、仕事における『無理』とは何か? 従業員を月に100時間も残業させることか? 大型トラックの運転手に、夜間の高速道路を時速110 kmで走らせることか?

YES、と即答したい気持ちはある。だが、ちょっと待ってほしい。人づてに聞いた話だが、かつてSUN Microsystemsの創始者だったビル・ジョイが、Unixワークステーションという新カテゴリーのコンピュータを世に出したときは、仲間3人とで半年間、不眠不休で働いた結果だったと聞いたことがある。定時勤務の観念があったかどうか知らないが、残業換算で100時間はかるく働いていただろう。だが、それを人は非難しただろうか。しなかったとしたら、それは結果が大成功だったためだけではない。そもそも、SUNの創始者達が、自らの意思でやったハードワークだったからだ。

物流業界の大型トラックが、夜間の走行を行うのは、道が一番すいていて、効率がよいからだ。スムーズに流れれば、それだけ運転のストレスも少ないだろう。だから物流トラックが終夜運行をしているのは、海外でもよく見られる光景だ。むろん、夜間労働が人間にとってハードであることは、異論の余地はない。そして遵法速度で運転すべきなのは、もちろんである。

そういう意味で、ムリと「不可能」とは別のことである。可能であり、ギリギリできてしまうが、長続きできない。これがムリである。

わたしの考えでは、『無理』とは、人の能力・性質・意思に反した働かせ方をしたり、道具の設計目的・使用限界を無視した使い方を繰り返すことである。過重労働の意思がない従業員を強いて働かせたり、設計上の最高速度ギリギリで車を走らせる(あるいはローギアで高速に走らせる)のは、ムリである。ムリはもちろん、しない方が良い。かりに当人の意思による無理であっても、それは一過性のことにすべきで、繰り返すのはよくない。ムリを続けると、きっとシステムが歪んでくる。機械ならば予期せぬ故障、人ならば病気、組織ならば能力と士気の低下をもたらすだろう。

では、仕事におけるムラとな何なのか。先月100個だった製品を、今月120個作るのは、ムラといえるのだろうか?

これもわたしの考えを先にいってしまうと、ムラとは「見通し得ず準備もできないようなペース・種類・場所での対応を要求したり、ルールなく気分次第で決断を下すこと」だと理解している。もし商品が季節品で、クリスマスに向けて需要が高まるものなら、10月に100個だったものが11月に120個でも、予期できるだろう。そして準備もできたに違いない。しかし、そもそも製造機械の上限があって、増産に週単位の準備がいるときに、急に「今月は120個よろしく」というのだとしたら、それはムラである。単に比率の問題ではないのだ。また、ルールなく突然、「あの外注先は気に入らないから今度の仕事は内製でいけよ」などと決めるのが、むら気というものだ。

さて。ムダ、ムリ、ムラについて、それぞれどういう意味かを吟味した。では、この三つのうち、どれが一番よくないのか? いささか長くなってきたので、この問題は次回に考えよう。






# by Tomoichi_Sato | 2016-12-04 23:25 | 考えるヒント | Trackback | Comments(2)

なぜ、製造業のIT化が進まないのか? 〜お金をちゃんと投資しよう

わたしが中小企業診断士の資格を取ったのは、もう20年以上も前のことだ。その頃、診断士の試験は「鉱工業」「商業」「情報」の3コースに分かれていた。どの試験を通っても、おなじ診断士の資格を名乗れる。わたしは情報系を選んだ。「情報」コースには、さらに専門試験科目が「流通情報」と「生産情報」の二種類あったので、わたしは「生産情報」を選んで試験を受けた。工場づくりをビジネスとするエンジニアリング会社に勤める人間としては、当然の選択であった。

ちなみに診断士試験に「情報」コースができる前は、「鉱工業」と「商業」の二種類しかなかった。これはちょっと不思議である。だって、まるで中小企業には製造業と流通業しかないみたいではないか(鉱業も入っているが、石炭産業の盛んだった戦後ならいざ知らず、鉱業にはほとんど大企業しか残っていない)。しかし、たとえば運送業にも建設業にも、中小企業はたくさんある。それなのに専門試験も、もっぱら製造業と流通業の話ばかりが出題されるのだ。

この事情はどうやら、中小企業診断士の資格を監督する「中小企業庁」が、経産省(以前の通商産業省)の下にある関係らしい。だから建設省や運輸省が管轄する業種はまあ、スルーしていたとしか思えない。実際の診断士は、どんな業種でも支援するのだが。ついでにいうと通産省は、さらに昔をさかのぼると「商工省」という名前だった。つまり、商業と工業を所轄するのだ。だとしたら診断士の資格試験とぴったり一致するではないか。

まあ、そんな裏事情はどうでもいい。とにかくわたしは、「情報」コースの、それも生産情報科目をとって受験した。資格を取った後、ちょっとだけ、後進の受験指導を頼まれたことがあった。担当科目は「生産情報」である。ところが、この科目、受講者が圧倒的に少ないのである。数回コースの講義だったが、受講生が一人も現れず、やむなく自然休講になった日さえあった。

なぜこんなに「生産情報」は人気がないのか? たしかに、受験指導をしてくれた先輩達のアドバイスも、「流通情報の方が受けやすい」だった。理由は、覚える知識範囲が少ないから、である。診断士の試験は、広く薄く知識を問う(日本の試験って、たいがいがそうだ)。そして生産情報、すなわち製造業の情報化に関わる分野は、カバーすべき範囲が広いのだ。受注管理システムから始まって、生産計画、BOM(部品表)、製造指示、在庫管理、品質管理、出荷管理、進捗管理、現物管理、POP、設計情報管理、と際限がない。それに比べ、流通情報で覚えるべきなのは販売管理、仕入在庫管理、カードくらいでよかった(当時はまだインターネットは普及していなかったのだ)。

どうして同じ情報システムに関わる科目なのに、製造業と流通業でかくも守備範囲の広さが違うのか? それは、「製造業の方が業務プロセスが多くて複雑だから」である。流通業のメインの業務プロセスは、基本的に、販売・仕入・在庫管理・顧客管理、くらいしかない(どの業種にも共通する人事・給与・会計といったバックオフィス系業務は除く)。広告・マーケティングも大事な仕事だが、ネット時代以前にはあまり情報システムの登場の余地がなかった。

ところが製造業はふつう、営業も購買部門も持っている。つまり、流通業と同じに販売・仕入・在庫管理が必要なのだ。その上に、設計と生産に関わる深くて長い業務プロセスが社内にある。試験範囲が広いのも道理であろう。これは大企業だろうと中小企業だろうと同じだ。大企業だからフルセットの業務があり、中小企業だから営業や購買や在庫管理は要らない、という訳にはいかない。どんな小さな製造業でも、フルセットの業務プロセスがある。わたしはいつも、「燕に五臓あり」という中国の古い諺を思い出す。手のひらにのるくらい小さな生き物も、すべての臓器を持っているのだ。

である以上、製造業は流通業やサービスその他の産業に比べて、より多くの情報システムを抱え、より沢山のIT費用を負担しているはずだ、と考えるのが自然であろう。ところが事実は、その逆なのだ。調べてみると、製造業は、他の産業よりも、かなり金額的に見てIT化が遅れているのだ。まず、図を見てほしい。
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これは、従業者一人当たり情報処理関係諸経費を、製造業とその他の産業とで比較したグラフである。数字の出所は、経産省の「平成26年情報処理実態調査結果」(2015年6月4日公表)よりとったものだ。
製造業が、年間一人あたり約48万円を使っているのに対し、非製造業は約59万円である。つまり、製造業は非製造業に比べて8割くらいしか、ITにお金を使っていないのである。

え? 製造業は工場に、パソコンなんか関係ないブルーカラー労働者を大勢抱えているから、従業員一人あたりの金額が薄まっているのだろう、って? そんなことはないはずだ。小売業だって運輸業だって、同様にブルーカラーの人たちをいくらでも雇っている。その点、大差はあるまい。

念のため書いておくと、日本で製造業に従事している人の総数は、1,035 万人である(2015年)。ちなみに日本の全就業者数=6,376万人だ。日本の人口は、約1億2700万人だから、ちょうど二人に一人が仕事について働いている勘定である。そして、就業者のうち、製造業で働いている人は全体の16.2%ということになる。数字の出所は、総務省「労働力調査(基本集計)」 平成28年(2016年)9月分である。

この「製造業の従事者=16.2%」という数字は注目した方が良い。およそ働く人の6人に一人が、製造業に働いている。逆に言うと6人に一人しか、製造業で働いていない。え、そんなに少ないの? 日本はたしか「ものづくり大国」なんじゃなかったの?

そう。その自称「ものづくり大国」ニッポンでは、GDPのうち製造業の占める割合がすでに2割を切り、最新の数字では18.5%である。働く人の比率16.2%に比べて、GDPすなわち付加価値を稼ぐ比率は18.5%だから、一人あたりで比較すれば多少は稼ぎがよいとも言えるが、ダントツという訳でもない。つまり製造業は、客観的に見て日本ではすでにマイナーな業種なのである。
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こういう話は、「ものづくりが日本を救う」といったメディアに流布するキャンペーンや、経団連などの団体が発信する情報になれている人たちには意外に響くだろう。ついでにいうと経団連のトップは、製造業、それも重厚長大の製造業の経営者が就任する、との不文律があるという話だ。だからといって製造業がいつまでも日本の経済界の親玉だと考えるのは、ミスリーディングなのである。

もちろん、マイナーだからダメだとか非難しているのでもない。事実を述べているだけだ。念のため海外と比較すると、ドイツの製造業GDP比率=25%である。EU平均=20%、米国=12%であるから、欧州よりやや低いが米国よりは上である。中韓は30%台だ。

ITに話を戻すが、そのGDPの2割弱を支える日本の製造業が、じつは他の産業よりもITにお金を使っていないことを問題にしたい訳だ。いったいその理由は何なのか?

ITの費用は会社ごとに定義がまちまちだから、そこが製造業と他とでぶれているのじゃないか、という当然の疑問はあるだろう。ただ、前述の「情報処理実態調査」はその点では明確で、コンピュータ・周辺機器関連費用 + 通信機器関連費用 + その他の情報機器関連費用 + ソフトウェア関連費用 + 処理サービス料、運用保守委託料、その他サービス関連支出 + その他費用、と費目ごとに個別に求め、集計している。だからモノサシは一律なはずだ。

いや、それでも、製造業の場合、現場に制御システムや自動化機械やロボットなど、かなりIT的仕組みがはいっているじゃないか、それが算出から抜け落ちているのではないか、という疑問もある。たしかにもっともである。化学プラントにおけるDCS(中央制御システム)などはまるっきりコンピュータだが、工場設備費用側に計上されて、上記の算定から漏れている可能性はある。機械制御盤のPLCなどもそうかもしれない。

しかし、では1千万円のロボットを購入したとして、それは全部IT費用なのか? そうは言えまい。ではその何割がIT費用かというと、難しい問題である。それに、そんなことを言い出したら、オフィスだって、入退室のカードシステムからビル空調・電気管理システムまで、けっこうな自動化機器が見えない場所に配置されているものだ。そうした費用だって、上記には計上されていまい。だから「機械設備に付属した制御システム」はどちらからも公平に除外されていると思っていいだろう。

だとしたら、IT費用の落差はなぜなのか。そこで、冒頭にあげた例を思い出していただきたいのだ。製造業は業務プロセスが深くて複雑である。カバーすべき範囲が多い。それを情報システム化しようとすると、いきおい、開発費用がかさむことになる。データベース設計の例にたとえると、製造業系の情報システムは、沢山のテーブルから構成され複雑なリレーションをはったようなE-R図を要求する。部分的着手もやりにくい。他方、たとえば流通系では、トランザクション量(レコード数)は多いがテーブルは少数ですむような構造だ。構造がより単純なのである。少なくとも、着手がたやすい。

ということは、同じ売上規模の企業で比べると、どうしても製造業の方が、初期開発費用がふくらむということになる。これがかえって、経営者の投資意欲をそいでいるのではないか、と想像される。そんなにお金がかかるのか? もう、製造現場は紙の帳票で回せばいいじゃないか。昔からそうやってきたんだし、「今、動いているんだからいいじゃないか」http://brevis.exblog.jp/24909011/ という訳だ。いやいや、製造業はもっとちゃんと情報化にお金を投資しよう!

・・と、ここまで書いたが、自分の中にはまだ割り切れないものがある。投資額が大きいから、かえって投資意欲が減退する、というのは本当なのだろうか? 「日本の経営者はITへの理解度が低い」というのはIT業界でずっと言われ続けてきた不満だが、それは別に業種にはかかわるまい。他方、日本の経営者の一つの特徴は、「世間がやっているならウチもやろう」と判断する点だ。だったら、なぜ製造業だけが世間から遅れていても焦らずにいられるのか? 上記調査によると、製造業のIT費用の対年間事業収入比 は0.6%だ。つまり売上の0.6%をITに使っている。ところが非製造業の平均値は1%である。明らかに世間水準から遅れていると分かるはずだ。

それなのに製造業だけIT費用が少ないのだとしたら、そこには何か別の、もっと“人間的”な要因があるのではないか。

わたしの想像だが、ITエンジニアが「製造現場を敬遠している」ためではないかと思える。わたしは仕事柄、いろいろな工場を訪れているが、工場に情報システム部がある所は少ない。「情シス」はたいてい「本社」にいて、もっぱらバックオフィス系を守備範囲としているのだ。あるいは、設計開発部門が本社にある場合は、設計系もサポートしている。だが、工場となると範囲外だ。なにせ工場は地方にあるし、行くのは遠いし、おまけになんだか3K職場でごちゃごちゃしていて、スマートでない。ハイテクの最先端技術の好きなITエンジニアが、好んで働きにいきたい場所ではなさそうだ。

そんなわけで、わたし達が生産情報システム構築で顧客と打合せをする段になると、相手は情シス部門ではなく、製造部か生産技術部の人が多いのだ。それもたいていは、「あいつ、ちょっとパソコンに詳しいから」程度で選ばれた若手エンジニアという感じである。こういう方々が、本社の情シス部門の守るERPとか、現場の頑固な職長とか、ITが苦手な工場長とかの間で板挟みになりながら、製造管理や物流管理システムの構築の仕事をしていくのである。しかもそれが最終的な自分の本業になるということでもない。これでは力を込めるのも難しいし、まして業務の全体を見通してシステムを構想するといったこともやりにくいだろう。

こうなると、心配されるのはIoT技術の行方である。機械と情報のレイヤーをつなぐIoTの技術は、欧米を中心に加速度的に進展してきている。しかし、どうみても製造現場に入り込んで、機械とダクトの間を這い回らなければ、工場にとって意味のあるIoT技術の果実は得られまい。経営トップが、「何やらモノのインターネットだとかIndustry 4.0だとか世間では注目されているが、ウチの会社はどうなっているのか?」とたずねるとき、それは現場にとっては久々の、投資への追い風であるはずだ。こんなとき、本社の「現場苦手なITエンジニア」に命題がおりたら、“えーと、IoTとかより、これからは人工知能ですよ、人工知能。顧客データにAIを応用して・・”みたいな話にねじ曲がりかねない。

むしろわたしはIT業界の側に、上記のような情報費用のギャップがあることを認識してもらう方が早道であるように思える。製造業には、一人あたり年間、59 - 48 = 11万円分の費用が足りていないのだ。300人規模の工場で、ざっと年間3,000万円である。この分がまだ、未開拓の沃野として残っているのである。人の生産性が労働装備率と共に上がることはよく知られているが、それは情報投資でも同じである。そして最初に述べたように、生産情報システムは複雑であるが故に、いったん入り込んでしまえば、他社との参入障壁も高い。競争は少なく、かつ継続的に仕事を得られるチャンスがある。おまけに製造業のよいところは、○○業界とか××業界と違って(^^;)、理屈さえ通れば一応、ちゃんと費用を払ってくれる体質があることだ。

である以上、心あるITベンダーが、再度日本の製造業の情報化のために、IoTの追い風を受けて立ち向かってくれても良さそうに思うのである。


<関連エントリ>
 →「見えない非効率 ー 今、動いているんだからいいじゃないか」 http://brevis.exblog.jp/24909011/ (2016-11-13)
 →「労働装備率とは何か」 http://brevis.exblog.jp/8897754/ (2008-11-04)

# by Tomoichi_Sato | 2016-11-27 18:21 | 工場計画論 | Trackback | Comments(4)

パフォーマンス問題へのシステムズ・アプローチ

なんだかこのところ、納期遅れのクレームが増えている。営業部門から問題提起があったので、工場で原因を調べることになった。製造部や品質管理部、資材購買、生産技術など各部門からキーパーソンを集めて、対策チームを作り、まずは現状分析をはじめた。グラフを作って調べてみると、納期遵守率が落ちてきていることが数字の上でも明白だ。たしかにこれは、何らかの対策を打たねば、客先からの信頼度、ひいては受注競争力の低下につながりかねない。

そこで、最近の納期遅延事例を、それなりの件数とりあげて、原因分析をしてみた。また、メンバーも自分の気づいた経験を共有してみる。その結果、20以上の原因があがってきた。いわく、長納期部品の仕入れが遅れた、出荷前検査で不良が見つかり加工段階から削り直しになった、鋳物材料に欠陥が見つかった、設計の不具合が顧客の承認図レビューで分かった、ツールの不具合で余計に製造時間がかかった、云々・・。

検討チームは原因のリストを見て、腕組みをしてしまった。どこかの工程に問題が集中しているのではないか、という事前の期待があったのだが、当てが外れてしまったのだ。それならば対策も取り組みやすかっただろう。もちろん、リスト上の個々の問題事象に対して、対策を考えることは可能である。しかし、どれから手をつけたらいいのだろうか? 中には二つ以上の要因が複合的に作用して、納期遅れを引き起こしたものもある。たしかに、工場には何か問題があるらしい。だが、何がわるいのかよく分からないのだ。

——この例のように、個別事象はいろいろあるが、何となく全体として仕事の成果が落ちている問題を、『パフォーマンス問題』とよぶ。世の中に問題と呼ばれるものはいろいろある。学校の試験で問われる問題もその一つだ。だが、ビジネス上で出会う問題は、大きく、技術的問題とパフォーマンス問題に大別される。

個別の案件で発生するトラブルのほとんどは技術的問題だ。問題構造が明確で、原因は(きちんと時間さえかければ)分析できる。対策も(すぐできるかどうかはともかくとして)明確である。「技術」と書いたが、これは理工系の技術だけを指しているのではない。たとえば法的なトラブルなども、一種の技術的問題である。

ところが、パフォーマンス問題は少し性格が違っている。これは、コストだとか品質だとか納期だとか、いわゆるビジネス上の業績(パフォーマンス)低下にまつわる問題である。技術的問題は具体的なトラブルとして、目の前に突きつけられる。しかし、パフォーマンスの尺度は、ある期間の平均値として測られるため、その問題に気づきにくいという特徴がある。気がつくとじつはかなり深刻だった、というのもパフォーマンス問題の特徴である。

そして何より、「悪構造の問題」である点に特徴がある。つまり、問題の構造や原因が錯綜していて、分かりにくいのだ。

ある意味、個別の技術的問題が積み上がって、パフォーマンス問題を生じさせているといってもいい。だが、個別の問題をモグラたたきのように対応しているうちに、そのことにリソースや時間を取られて、目の行き届かない別の場所にまた似たようなパフォーマンス問題が発生したりする。たちがわるいのだ。

洞察力のある読者にはお分かりの通り、パフォーマンス問題というのは、システムが歪んでいるが故に生じる問題である。だから、個別のモグラたたきだけでは解決しない。システム全体の歪みを正す必要があるのだ。いわば、傾いた土台の上に立っている建物か、シャーシが傾いた自動車のようなものだ。

ちなみに工場というのは、需要情報を得て、製品という物的な形に付加価値を具現化するためのシステム=生産システムである。工場のパフォーマンス問題は、生産システムの歪みを示している。(ついでにいうと、プロジェクトというのはActivityを組み合わせて成果物という価値を生み出す、時限的なシステムである)。

さて、システムの歪みを見るためには、マクロな視点から業務プロセスを理解する必要がある。プロセスはどんな要素から成り立っているか、その各要素がどう機能しているか、それを左右する主な要因は何か。システムの歪みは、能力と負荷のアンバランスから生じていることが多い。したがって定量的な検討が不可避である。また、システムを制御するための基準尺度、つまり個別の判断のためのモノサシが、システム全体に求められる機能からズレている場合にも、歪みが生じやすい。この場合、いわゆるKPIや権限範囲を見直す必要がある。

ところで、かの工場の検討チームだが、こうしたシステムズ・アプローチに詳しいメンバーは、残念ながらいなかったらしい。まあ、よくある話である。こういうとき、誰か声の大きい人間が一人いて、一つか二つだけの「分かりやすい根本原因」を名指しして、それを解決しに走るケースも、ありがちでだ。たとえば「そもそも皆の根性がたるんでる! まずは意識改革運動が必要だ!」といった類いの『対策』である。

しかしまあ、この工場では皆がそれなりに知恵を絞って、問題事象を大きく5つのカテゴリーに集約し、対策のアクションを考えた。パフォーマンス問題はシステム全体のきしみなので、一般に複数の対策案が出てくることが多い。

A 長納期部品の遅れ → 受注前の先行手配
B 製造能力不足 → 焼鈍蔵置の増強
C 不良による再製作 → 組立前部品検査の徹底
D 材料の欠品 → 一部材料の常備品化
E 不正確な納期回答 → 工場負荷状況の可視化システム

ここまで来たときに、議論が紛糾した。この5つの対策のすべてをやっている余裕は、人員的にも時間的にも、ない。それでは、どれを優先すべきか。それぞれ自分の部門に近い問題を、まず解決したいと考えた。当然の成り行きだろう。

こういうときには、「費用対効果マトリクス」を作ってみるのが有効なテクニックである。まず、洗い出した改善アクションそれぞれについて、「実現に要するコスト・労力」と、「パフォーマンスの改善効果」について、評価してみる。そして、それを二つの軸にした平面にプロットしてみるのである。こうすると、それぞれのアクションの費用と効果の関係が一目瞭然となる。

ただしこの時点では、コストについて正確な見積は難しいし、改善効果は定量的推定がもっとできにくいだろう。だから、大・中・小の3ランク程度に、主観的に分類する程度でもいい。複数部門のキーパーソンが集まって評価すれば、これでもそれなりのランクに収まるものである。なお、「A 長納期部品の遅れ」対策として「受注前に先行手配する」というやり方は、コストとしては(結局は同じものを発注するのだから)ゼロになるように見える。しかし、受注前に先行発注してしまうのだから、客先から注文をキャンセルされたら不良在庫になるリスクがあり、まったくタダという訳ではない。だからこそ、横軸は「コスト・リスク」になっているのである。
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実を言うとこの二軸のマトリクスは、前回「見えない非効率 ー 今、動いているんだからいいじゃないか」で描いた図と同じチャートである。変化への抵抗を説明するために、この図を流用したのである。

さて、こうして出来上がったマトリクスの四角形の中では、当然ながら左上にあるもの、すなわち費用が小さくて効果が大きいものの優先順位が高くなる。まあ通例、それほど多くはないが。逆に右下の、費用が大きく効果の小さいものは、とうぜん低い優先度しかえられない。

では、右上の「費用も大だが効果も大」と、左下の「費用も小で効果も小」の、どちらを優先すべきなのか? 第三者の経営コンサルタントなら、右上をきっとおすすめするだろう。一方、当事者としては予算がかからず手をつけやすい左下領域を優先したくなる。

もちろん、手をつけやすい方から優先してかまわないのである。ただし、その中から順番を選ぶときには、右上の対策を頭に置いて、取捨選択するようにすべきである。なぜなら、右上の対策とは、システム全体に及ぶ対処法である可能性が高いからだ。そして、将来そのような対策がなされたとき、左下のアクションの中には、逆に無用になってしまうものがあるからだ。

たとえば上の例でいうと、「E 工場負荷状況の可視化システム」というのは右上にあり、実現はたいへんそうだが効果も大きいと考えられる。すなわちこの企業においては現在、工場の負荷を考えずに、営業部門が固定納期で客先にオファーしている、という習慣があるのだろう。ということは、もしかすると、このような習慣自体が、システムを歪めている大きな一因なのかもしれないのだ。だとしたら、本来目指すべきなのは、正確な納期回答であって、それが実現できるならば、「A 受注前の部品先行発注」といったリスクの高いことをする必要はなくなる(無論、正確な納期回答をしても受注競争力に大きく影響しないのならば、という条件がつくが)。

このように、改善アクションの優先順位付けは、マトリクスで視覚化するのが、一つのテクニックである。こうすると、特定の「声の大きい」人の意見だけを通しにくくなる。それだけでなく、アクションの配置をよく見ることで、問題の根本構造が見えてくることもあるのである。

なお念のために書いておくが、上に述べた工場のケースは、架空の事例である。わたしが実際に経験したいくつかの事例を元に、作り上げた話だが、フィクションであっても本質は伝わると思う。似たような問題事象はどこにでもあるからだ。それこそ小はオフィスのチームから、大は長らく不況に苦しむ日本経済まで、考えてみるべきフィールドはたくさん見つけられるのである。


<関連エントリ>
 →「見えない非効率 ー 今、動いているんだからいいじゃないか」(216-11-13)http://brevis.exblog.jp/24909011/

# by Tomoichi_Sato | 2016-11-21 00:09 | Trackback | Comments(0)

見えない非効率 ー 今、動いているんだからいいじゃないか

新任の取締役が、あるとき担当する事業部の支社を見に行った。一通り見学し、支社長らと懇談した後、かえろうとしたら、ある部署だけ灯りがついているのを見つけた。現場仕事はもう終業しているのに、管理部門の1セクションだけ、忙しそうに机にむかって仕事している。

「何をしているの?」と彼がたずねたところ、「本社に送る書類を作成しているんですよ。毎月、数字をまとめて送らなけりゃいけないんで、残業になるんです。」との答えだ。資料を見て、さらにたずねる。「本社は、この統計資料を見てどう役立てるんだろう?」「・・存じません。本社にたずねてください。」

その取締役は本社に戻ると、早速、送付先の企画部門にいって、その書類のことをきいてみる。すると、「ああ、その書類ですか。工場が毎月送ってくるんでね、ファイルして保管しているだけです」という。「でも、なんで工場はその書類を送ってくるのかな?」「さあ・・。」

いろいろ調べた結果、事情が分かった。彼の前任者が、ある時、工場に指示して数字をまとめさせたのだ。それは投資か何かの判断材料だったのだろう。その時は役に立った。しかし、工場側はそれを毎月作成すべきものだと理解して、担当者が残業して送り続けてきたのだった。そして本社側も、彼が気づいてやめさせるまで、誰も止めなかったという訳だ。

役に立たないものに努力を費やすことを、非効率という。上の例は、経営学者のC・N・パーキンソンの本にあったエピソードである。無駄な作業をやめれば改善効果は明らかだから、この例は分かりやすい。だが、現実はいつでもそうとは限らないのだ。

N社の工場を見学に行った。ハイテク産業向けに部品材料を作っている工場だ。高度な機械エンジニアリングの工夫を凝らした、自慢の製造装置を見せてもらった。下流側の加工・出荷工程も拝見する。どうしても手作業が介在するが、人々は忙しそうにキビキビと働いている。

ところで、見ているうちに奇妙なことに気がついた。自慢の製造装置から作られた品目は、いったん中間部品として在庫されるのだが、その倉庫がレイアウト上、いやに遠い所にあるのだ。なぜあんな、中途半端な位置にあるのか。いったんそこまで運んで保管し、また取り出して加工工程まで運ぶ。移動時間としては数分程度だろうから、コスト換算ではたいしたことがないが、なんだか無駄ではないか。なぜ、そんな半端な場所に倉庫があるのか? たずねてみたが、「さあ・・前からあそこにありましたから」という答えが返ってくるだけだった。

工場をよく見ていると、うっすらとその事情が推測できた。おそらく、昔はその製造装置自体が、工場全体のボトルネックだったのだ。製造は難しく、不良も発生しがちだった。そして、できた中間品目はすぐに加工工程に送られたに違いない。だから中間在庫はほとんど発生しなかったのだ。しかし、技術力が上がるに従い、装置の製造能力も上がった。不良も減った。

他方、形態の多品目化や、顧客の短納期要求のために、加工・出荷工程の方が小ロット化した。そのために、いったん中間在庫の取り置きが必要になってきたのだろう。だが、工場を作ったときは、そういう発想がなかった。だから、スペースの空いた端っこに中間倉庫を置くしかなかったのではないか。

工場全体をよく見ると、自慢の製造装置より、加工・出荷工程の方が稼働率が高い感じだ。つまりボトルネックが移動したのであろう。だとしたら、ボトルネックに合わせて、中間在庫の量を見ながら製造装置を動かすべきである。そうしないと作りすぎで在庫の山ができてしまう。しかし、肝心の中間倉庫が遠くの場所にあるから、その無駄が見えにくくなっているのだ。

むろん、これは推測に過ぎない。本当ならば工程別の稼働率や在庫変動を調べて検証すべきだろう。だが、そのときは別にコンサルとして呼ばれた訳ではなかった。だから、推測があたっていたかどうかは分からない。とはいえ、そんな変な場所に中間在庫があったら、何かシステム全体に非効率が隠れているとみて、間違いはない。

本人達は一所懸命に働いているのに、端から見ると非効率なことが、よくあるものだ。日本の産業の生産性が欧米に比べて低いことは、つとに問題になっている。よくサービス業がやり玉に上げられるが、製造業だって決して威張れたものではない。では、なぜ、そうした非効率が放置されがちなのか。わたしは以前は、主に分業病のためだと考えていた。つまり、部門単位に仕事がサイロ化されていて、システム全体を見て気づく人がいないため、という理由である。気づきが足りないから、改善されないのだ、と。最初の例などは、まさにその典型だ。これはまあ、経営層の人間が怠慢だ、ということもできる。

しかし最近は、もう一つ別の障害もあるのではないかと、考えるようになった。それは、実務層に起因する問題である。実務層が無能だから、ではない。逆だ。実務層が勤勉で真面目すぎるから、仕事のシステムが多少おかしくても、一所懸命にカバーして動かしてしまう。その結果、かえって問題が隠れて見えなくなってしまうのだ。ボトルネックが下流工程にうつって、中間在庫が沢山発生するようになっても、空きスペースに倉庫の棚を作ったり、搬送のパレットを集めたりして、仕事を回してしまう。

仕事が今ちゃんと動いているんだから、いいじゃないか。どこの現場も、ギリギリまで人減らしが進んでいるから、他のことなんか落ち着いて考えている暇もない。そのことが、本当の問題を隠してしまうのである。

図を見てほしい。業務改善とは、今ある姿(現状業務)から、新しい業務の姿(改善後の業務)に、変えていくことだ。改善後の姿は、現在よりもパフォーマンスが高い。図の縦軸はパフォーマンスである。ただし、改善のためには、時間や、労力や、コストがかかる。また、現状動いている業務を変える訳だから、リスクもありそうだ。横軸は、そうした現状からの変化のためのコスト・リスクである。
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現状から新しい姿にうつるための改善の経路は、いくつか考えられる。コンサルタントだったら、ゴールのイメージを示すのみで、途中の経路は関知しないかもしれない。それが点線で描いたルートXである。だが現実は、こんな直線的に行きはしない。

では、Aのようなルートは可能か。先にパフォーマンスの成果が上がって、それから変化の労力を費やす。だが、こんなルートは現実にはあり得ない。なぜなら、何も変化しないうちにパフォーマンスが上がるはずはないし、第一、仮にそれが可能だったら、その先わざわざコストを費やして図の右に移動する必要はないからだ。つまり、図で、<上→右>という経路はあり得ないのである。

であるから、ふつうはルートBのように、最初に変化のための労力を費やし、後でパフォーマンス上の効果が現れてくるはずである。つまり<右→上>という経路だ。じつは、これは心理的に困難な経路だ。だって、何も成果は上がらないのに、仕事のやり方だけは変わり、やりにくくなるからである。「いつかそのうちにパフォーマンスが上がるから」と説明されても、ついて行ける人ばかりではない。

まして、実際に一番多いのは、ルートCのように、業務のやり方を変えたために、いったんパフォーマンスが下がってしまうパターンである。その後、皆が新業務になれて、システムが落ち着いたら、きっと成果は上がるだろう。だが、こういう話を聞いたら、皆は何というだろうか。「なぜ、自分がそんなリスクを背負わなければいけないの? 現に今、仕事は一応動いているんだから、何も変える必要はないじゃないか!」 とくに、やり方を変える部署と効果の出る部署が異なる場合、抵抗は大きい。設計側で属性データをCADに入力すれば製造側システムで活用できる、みたいな例はよくあるが、そうした「フロントローディング」に対して、設計部門がこころよく協力するとは限らない。

だって現に今、動いているんだからいいじゃないか? これが、多くの組織で改善をはばむ最大の心理的障害なのだ。たとえ出来のわるい業務の仕組みでも、現場の人たちが真面目で優秀だと、なんとかだましだまし動かしてしまう。もしかしたら効率は低いのかもしれない。だが、現に今、動いているんだ。何の文句があるんだ? それを変える時間などないほど、忙しいんだし。

これはちょうど、よくある「木こりジレンマ」のたとえ話と同じである。ある日、旅人が森の中で木こりに出会う。木こりは必死に木を切り倒しているが、その斧は錆びついて刃こぼれがしている。そこで旅人が、「斧を研いだらどうですか?」というと、木こりが「俺は毎日必死に働いているんだ。斧を研ぐ暇なんて無い!」と怒鳴る、という話だ。少し手を止めて、道具を改善すれば、ずっと効率は良くなる。だが、「少し手を止める」ことで仕事量がいったん下がるのを怖れて、木こりは無駄な苦労を重ね続けるのだ。

現代の組織はご丁寧なことに、『時間管理』と称して、日々の作業の稼働率まで監視したがる。稼働率低下への恐怖心は大きい。それが個人の業績評定にまで結びついたりする。稼働率が下がれば、人減らしも始まる。そうなればますます、手を止めて斧を研ぐことへの抵抗が高まるだけだ。そのくせ管理職は、なぜウチの組織は生産性が低いのだろう、なぜ皆、改善がヘタなのだろう、などとなげいたりする。挙げ句の果ては、Karoushiなどという不名誉な言葉が英語の辞書に載ったりする。

必要なことは、「システムの不備」を現場の頑張りでカバーすることではないのだ。不備を見つける視点を持つことである。そしてもう一つ。大事なのは、目の前の仕事を懸命に支えることではない。いったん仕事の手を止めてでも、あるべき姿を考えて、問題解決に向かう勇気を持つことなのである。

# by Tomoichi_Sato | 2016-11-13 23:09 | ビジネス | Trackback | Comments(0)

アカウンタビリティとは「命令責任」である

RACIチャート」というものをはじめて知ったのは、90年代半ばのことだ。当時使っていたアメリカのERPコンサルタント会社が、要件定義段階での役割分担をRACIチャートの形にまとめてきて、なるほど、こういう整理の仕方があるのかと知った次第だ。ついでにいうと、「サプライチェーン」という言葉も、同じ時にはじめてきいたのだった。まだ日本ではほとんど知る人のいない概念だった。

RACIチャートとは、業務の上での役割分担と責任範囲(Role and Responsibility)を、分かりやすく整理するための表である。ふつう横軸の欄には、関係者や部門の名前が並び、縦の行には業務を構成するアクティビティが続く。そして、どのアクティビティは誰がどのような役割で関わり、責任はどこが持つかを書く。このとき、
R: Responsible
A: Accountable
C: Consulted
I: Informed
の4種類の関わり方で表すため、頭文字をとってRACIチャートと呼ぶ。

ところで、いつもいっていることだが、知ることと分かることは違う。RACIチャートを見たときには「なるほど」と思ったが、自分で書こうとすると、なかなか上手く作れない。それでわたしは、しばらくの間、RACIチャートから遠ざかってしまった。また使うようになったのは、会社の中で多少なりとも組織論に関わる立場になってからである。

RACIチャート作成がなぜ、むずかしいか。それには二つの理由がある。一つ目の理由は、ConsultedとInformedの役割の違いが分かりにくいためだ。「相談される」のと「知らされる」のは、似たようなものではないか? どうやって使い分けるのか。前者は双方向のコミュニケーションだが後者は一方向だ、と解説する人もいる。だがTV放送じゃあるまいし、ビジネスにおいては、文書やメールで伝達したって、相手が意見や質問を返すことが可能だ。本当に一方的な、問答無用な伝達というのは滅多にあり得ない。

じつは両者の違いは、タイミングの違いなのである。
  • C: Consulted とは、事前に相談される
  • I: Informed とは、事後に知らされる
つまり何らかの仕事のアウトプットを出す最中に、また何かの決断の際に、意見をきいて取り入れる相手がConsultedであり、出たアウトプットを渡したり決断の結果だけを伝える相手がInformedなのだ。この区別を知れば、CとIで悩むことはなくなる。

ところでRACIチャートを難しくする二番目の問題は、もう少しシリアスだ。それはR: ResponsibleとA: Accountableに正確に対応する概念が日本語の中にない、という問題である。ConsultやInformには、相談・伝達という訳語があって、その点では迷いはない。しかし、Accountableという英語に対応する訳語が、少なくとも’90年代半ばには、明確でなかった。辞書を引くと、「責任」とある。だがResponsibleとの違いは何なのか? たとえば研究社の「新英和中辞典」には、AccountableもResponsibleも「責任のある」と書かれているのだ。訳語がないとは、つまり日本文化の中にないということだ。

知り合いの米国人にたずねたが、どうやら彼には当たり前すぎるらしくて、かえって説明を聞いてもよく分からなかった。ただ、一つのヒントになったのは、予算権限に関係するときはどうやらAccountableらしい、ということだった。まあ、この言葉は語源的にははcount(勘定)からきているのだから、関係はありそうだ。他方、Responsibleはrespond(応答)から発生している。

さて、ご存じの通り、アカウンタビリティという言葉は、今世紀に入ってから、なぜかメディアで多少の脚光を浴び、その結果「説明責任」という訳語が登場した。苦心の訳語だったろうと想像する。だが、この言葉が流通するに及び、かえって日本文化では奇妙な誤解が広まったように、わたしは感じる。たとえば「説明責任を果たせ!」を他人を指弾したり、攻められた方は「記者会見で説明したから、説明責任を果たした」などと答える、へんてこな事態が生じた。記者会見の席上で30分間、頭を下げて、意地悪な質問にも耐えたから「責任は果たした、あとは無罪放免だろ」という理屈は、明らかに英米のAccountabilityの概念とかけ離れている。

じつは、AccountabilityとResponsibilityとは、「命令責任」と「実行責任」の区別に対応している。前者は命じたことへの責任で、後者は最後までやり遂げることへの責任である。Accountableな人は承認したり、NOといったりする最終権限を持つ。他方、Responsibleな人は、実行に関する権限や判断をある程度、まかされる。こう理解すると、両者の違いはすっと納得できよう。

え? すっと納得できない? では例を挙げよう。今日は、お母さんの誕生日である。お父さんと、二人の子ども(姉と弟)は、お母さんに感謝するため、バースデーケーキを内緒で買ってきてプレゼントしようということになった。お父さんはお財布を出して、小学生の息子に、街のケーキ屋さんから買ってこい、と指示する。息子はしかし、どんなケーキを選んだらいいか分からない、という。すると中学生の娘が、お母さんはこの間、タルトタタン(リンゴのパイの一種)を見て、美味しそうねえといっていたから、あれがちょうどいいんじゃない、という。そこで息子はお札を握りしめて、ケーキ屋さんまで走って行く。

ところがしばらくたって、息子から父に電話が入る。「たいへんだ・・ごめんなさい、お父さん!」という。「何だ。どうした?」「あのね。道でうっかりしてケーキの箱を落としちゃったの。箱をちょっと開けたらグチャグチャになっていて・・どうしよう。」「どうしようって、落としたものはしかたがない。店に戻って、もう一つ買ってきなさい」「お金は?」「あとでお父さんが払いに行く。念のため、店に名前と家の電話番号を書いておいてきなさい。お父さんからもお店に電話しておくから」「わかった・・。」

息子が神妙な顔でケーキを持って家に帰ると、父親は落としたときの状況を問いただす。どうやら、スマホのゲーム画面に熱中しすぎて、近づいてくる自転車に気づかなかったらしい。危ないじゃないか! ケーキならともかく、自動車だったらお前の命が危ないんだぞ! 今度から歩きスマホは厳禁だ、と言い渡し、息子はシュンとなる。

かくて、すったもんだはあったが、夕食の後で、娘と息子はかくしておいたバースデーケーキを取り出し、驚いているお母さんの前に差し出す。お母さんはよろこんでロウソクの火を吹き消し、お皿とナイフを取り出し、紅茶を入れて皆に配る・・。

さて、この話のRACIチャートは以下のようになる。
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「プレゼントを買う」アクティビティについては、知恵を出した(C)のが姉、承認してお金を出した(A)のが父、店に買いに行く作業をした(R)のが弟、そして(時間差はあるが)結果を知らされる(I)当事者が母だ。

次の、ケーキを運ぶ最中のトラブルについては、ケーキを道に落とした弟は店に戻って「買う」という作業を完遂する責任(R)を負う。本当は、重大な過失なのだから、お金も自分で弁償する義務がある。もし高校生だったら、父はそう言っただろう。しかし小学生では経済的にも責任能力がないので、父が再度お金を出して事態を収拾する(A)。ただし、父はトラブルの再発防止策を息子に指示する。

バースデーケーキを取り出して祝うのは、姉と弟の仕事だ(R)。母はうれしいサプライズに驚く(驚いてみせる)役柄を演じる(I)。ただしお皿やナイフを出して切り分けるのは母だから、まあ実質的な仕事も分担しているので、あえて(+R)と表記した。このアクティビティには判断もコストも伴わないので、とくにAccountableな役割がないことも注意してほしい。

日本語の「責任」には、「責めを任ずる、になう」という意味が含まれ、どこかネガティブなニュアンスがある。英語のResponsibleはもう少しポジティブで、仕事を完遂する義務を負うかわりに、仕事上の問題解決に関する判断の権限を任されている。では、Accountableは何かというと、仕事の結果生み出される価値と、その仕事に投入するコストや時間や資源とのバランスを評価し判断する権限を持っている。つまり、仕事上の結果が生み出すアウトカムについて、賞賛も責めも引き受ける、ということだ。

Accountableな人は、実質的な仕事を誰かに任せて、Responsibilityを委譲することができる。しかし、結果に対する賞賛を受ける権利、責めを受ける義務は自分の元に残る。これを権限委譲の原則と日本語では呼ぶ。結果への権利を持つからには、委譲して任せた相手の仕事ぶりをちゃんとウォッチして、自分の意図したとおりに仕事してくれるような仕組みをつくらなければならない。これゆえ、Accountabilityを「結果責任」とか「監督責任」と訳す人もいる。わたしはかつて「面目責任」と訳したらどうかと考えた。だが、今は「命令責任」と「実行責任」が分かりやすいと思うようになった。

独立した権限を持つ人が、自分の利害に沿って行動するように仕向けることを、『ガバナンス』と呼ぶ。つまり、Accountableな人は適切なガバナンスを行う義務がある訳だ。逆に言うと、ガバナンスの仕組み作りを怠ったら、不作為や放置の責めを受けるべきである。つまり、「そんなことは自分が知らぬ間に担当者がやったことだ」などという弁解はきかない、ということである。

ま、ここではRACIチャートの説明が目的だから、AccountabilityとResponsibilityを明確に分けたが、英語の実際の場面では、似たような意味で使われていることも案外みかける。ただ、いずれにせよ、仕事のアウトカムをもとに人を評価したり責めたりする際には、その人が自分から行った決断や行為をもとにすべきだと、わたしは考えている。何の権限もなく、ただ命じられたことだけを実行する人、あるいは、自分の決断や行為に無縁な外的環境によって結果を左右される立場の人は、結果の責めを負わされるべきではない。より責められるべきは、命令した側である。アカウンタビリティというカタカナ言葉が普及すると共に、こうした原則への理解も広まってほしいと、切に願う。


# by Tomoichi_Sato | 2016-11-05 20:10 | リスク・マネジメント | Trackback | Comments(0)

学ぶ人になりたいか、真似る人になりたいか

先週の10月21日(金)に、わたしが主査を務めるプロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会(長いから以後はP&PA研究部会と略そう)で、「プロジェクト・マネジメント教育への新しいアプローチ」と題する報告を行った。P&PA研究部会では数ヶ月前から有志6名が集まって、(仮称)PM教育分科会をつくり、ディスカッションしてきた。その中間発表と、会員同士の意見交換が当日の主な内容だった。

「新しいアプローチ」とはどういう意味か? それは「教えない」ことだ。いや、より正確には「教えすぎない」ことというべきか。わたし達は、教育とは「正解の知識」を伝授することではない 、と考える。マネジメントという行為は、ほとんどの場合、正解のない問いに答えて決断していかなければならない。なぜ正解がないかというと、どのような意思決定であれ、それがプロジェクトにもたらす結果には不確実性がつきまとうこと、また複数の価値基準がしばしば錯綜してトレードオフが生じるからだ。

である以上、「正解となる知識を暗記してすばやく問いに答える」風の受験勉強では、役に立たない。ただ、わたし達がくぐり抜けてきた受験競争では、ほぼ全ての問いに『正解』があり、それにどれだけ近づくかで勝敗が決まってきた。この教育のやり方は、行きすぎるとさまざまな弊害を生む。わたしは大学で定期的に教えているが、よくそうした「教育の害」を実感する。

現代の学生達にとって、学ぶことは、しばしば「目の前に出される課題をなんとかやっつける」ことと同義語になっている。目前の課題を(教科書やネットや友達の答えを見て)なんとか真似てしのぐと、もう忘れてしまう。わたしは授業の初めに、前の週の復習をするのだが、少なからぬ学生の頭の中に、前回の記憶が残っていないので驚かされる。グループ演習で手を動かして理解させたはずの事柄さえ、印象は残っても、知識はきれいさっぱり抜けているのだ。見事なほどの記憶の断捨離である。

そういうことを何年か繰り返したので、わたしは最近では極力、教える知識の量を減らすことにした。WBSとかPERT/CPMとかEVMSとか、さすがにプロジェクト・マネジメントの授業なのだから、話さない訳にはいかない。しかし知識伝達の量はなるべく少なくして、授業の中で考える課題を出すことに腐心している。知り得た知識を自分で吟味し納得しないうちは、身につかないからだ。また毎回、「今週のGood Question賞」を発表して、なるべく良い質問を教師に出すことを奨励するようにした。

それにしても教育が知識の伝授でないとしたら、いったい何なのか。教育の目的とは、「自分の中の不足を知り、自分で『学ぶ力』を身につける」ことである 、というのが、現時点でのわたし達の共通認識だ。教えること(Push型)から、学ぶ力をつける(Pull型)に転換しなければ、少なくともPM教育は機能しないだろう。その観点から、

「教育とは、成長を支援するプログラムのマネジメントである」

と定義し、PM教育のシステム作りとは、PMに興味を持つ者の成長支援プログラムの『プログラム・マネジメント』として構想する。それがわたし達のアプローチである。

分科会のメンバーは現時点で6名、うち1名が大学教員で、残る5名が実務家だ。業種もIT、通信、建設、エンジと多岐にわたる。この6人で、本当に役に立つPM教育のためのシステム(仕組み)を構想し、モデル研修の内容をデザインしている。

後者については手始めに、初学者向けの二日間の集合研修カリキュラムを検討中だ。座学は半日で、残る1日半は「ミッション・インポッシブル」と題するグループ演習になる。詳細はまだ開発中だから省くが、対象者は、ようやく固有技術について目鼻がついてきて、これから人を率いてプロジェクトを進める立場につくような、若手中堅クラスである。業種分野は広く構えて、なるべく多くの専門に共通するPM技術を学んでもらう場としたい。

それにしても、わたし達はセミナー屋でもないのになぜ、こんなことを考えるようになったのか。それはもちろん、皆が職場でプロマネの教育養成に悩んでいるからだ。現代の企業は、教育ということに対する取組みが、ひどくやせ細ってしまった。「会社は教育機関ではない」という言葉も聞かれる。また「業務多忙なときに、教育に割いている時間はない」という事もあるだろう(不況なのに多忙なのはたぶん、人減らしが進んだからである)。そして「即戦力」を求める風潮も強い。

まあ、昔の日本企業はもっと社内教育が素晴らしかったのかというと、そこはまた別の事情もあった。昭和の高度成長時代には、先進技術は欧米から来るものであったし、皆が「先進国」の真似をして、追いつけ追い越せ、でなんとか成長した時代であった。その時代、欧米がまさに日本にとって「正解」であった。だから正解を知って真似ることが、大人から子どもまで国是だったのである。

そのような時代はおよそ20年前、バブル崩壊と共に終わった。欧米を追い抜いて世界一、と鼻高々だったその時、わたし達の前にはもはや、真似をすべき正解は消え失せていた。自分の頭で考えなければならない状況がやってきたのだ。その壁をうまく乗りこえられないまま、真似るべきロールモデル探しで、ずっと企業も役所もメディアも、時間を空費してきたのではないか。

わたしはここで、「学ぶ」ことと「真似る」こととを、区別して使っている。真似ることは、乳児の時からできる。脳にはミラー・ニューロンというものがあって、他者の動きをそのまま真似ることができる仕組みがファームウェアとしてビルトインされているのだ。真似ることで、赤ちゃんは運動能力を身につけ、育っていく。ただ、そこには本能はあれども、目的意識はない。

学ぶことや習うことには、目的意識がある。そして学びには、必ず言語による伝達が伴う(真似には言語は必須ではない)。
目的意識 + 基本的な概念理解(言語化)+ 繰返し練習
これが「学びの基本構造」だ。

学びは、自分の中の不足や未熟を自覚することで起動される。ただ、ここで気をつけなければいけないのは、「学ぶ」つもりで、無意識に「真似る」体勢になることだ。

たとえば、よく他の業界の方から「エンジニアリング会社ではどうPMを教育されているのですか?」とたずねられることがある。PMが確立された業種というイメージが強いからだろう。エンジ会社だってプロマネ育成に悩んでいる点ではかわりがないのだが、まあ、自分の勤務先を例に挙げて、まず、我々のところでは「プロジェクト・エンジニア」という、いわばプロマネの見習いの職種があります、その経験を何年か重ねて、はじめてプロマネに抜擢される訳ですが、もともとプロマネ志向を持って入社する人も多いから、若い段階からそうした職種に配属する訳です・・というようなお話をする。

するときいている人の3人に2人はため息をついて、「ウチじゃプロマネになりたいと思って就職してくる人間なんて皆無です」といわれる。ベースが違いすぎて参考にならない、という訳だ。そこで問いをやめてしまう。あるいは、問いをかえて、PM用のソフトウェアは何をお使いですか、といった質問になり、この業界ではデフォルトで世界的にPrimaveraですよ、英語版ですが、とお答えするとまた、問答は行き止まりになる。簡単に真似られる点が見つからないためらしい。

だが、学びたかったらそこから先が大切なのだ。たとえば、「じゃあ佐藤さんもプロマネになりたくて今の会社に就職されたのですか?」ときいてくる人は滅多にいない。わたしも設計部門に最初入ったのだし、プロマネ志向でない新入社員はたぶん半数以上だろう。そういう人たちを多数抱えてプロジェクトを回す仕組みはどうなっているのか、プロジェクトの効率性やモチベーションを維持するにはどう工夫しているのか、PMO組織はあるのか。そういう点こそ、探るべきだろう。そして、自社とどこが共通してどこが違うのか、何をすべきか考える。

つまり学ぶということには、「共通性を洞察し、言語化する力」が必須なのだ。「学ぶ力」の基礎は抽象化能力だといってもいい。ここが弱いと、学びが真似に陥りやすい。

自分の勤務先の話だと面はゆいから、別の例を挙げようか。たとえばあなたが製造部の人だとする(製造業に興味のない読者は、続く数段落は飛ばしてもいいが)。そしてトヨタかその直系の工場を見学に行ったとする。整理整頓の行き届いた工場、数々のカイゼンの工夫、極小化された仕掛在庫、そして噂に聞くかんばんや自働化やアンドン・・かなわないな、ウチとレベルが違うや、と思う。説明員の人は、壁に張り出された顔写真付き技能マップの前で、トヨタ生産方式の話をする。そして「仕事=作業+改善」という概念で、改善をしないと一人前の仕事をしていることにならないから、皆が職場の問題の見える化を進めて、解決できるようになるため「物づくりより人づくり」に取り組んでいるのです、等と語るだろう。

あまりにもレベルが違うから、一気に自社をその状態にもっていくことは難しい。その時、真似る人は、じゃあどうしようかと考える。そして、カンバン方式だとか、定位置停止だとか、あるいは壁への掲示物だとか、取り入れやすそうな技を真似ようと考えるだろう。

では、学ぶ人はどう考えるか。まず、トヨタは生産計画にもとづいて大枠を決め、平準化で日々の指示を出し、かんばんや自働化を使って日々の細かな変動に対応しているらしいと考える。つまり大きな構造をまず、見るのである。なぜ、ウチと違って、トヨタでは生産計画が成り立ちうるのか。それは自動車という季節性の小さい商品の特性、そして輸出を含む販売力により、出荷量が計画しやすいからだろう。おまけに、日単位の指示についてきてくれるサプライヤー群がいる。だからこそ、在庫を絞って問題を表面化するという曲芸みたいな改善方法が可能になる。

そして、それを支えるのは「仕事=作業+改善」の概念を人々に徹底化したことだと気づく。一方、ウチはどうか。個別性の強い受注生産だ。出荷量は月単位では読みにくい。おまけに、現場の人たちに問題解決をしろといっても、それだけの素地を訓練してこなかった。問題が起きると怒 られた。だから問題が表面化しないよう、むしろ沢山の在庫を抱えることを推奨してきたようなものだ・・。そういう所で無理にカンバン方式を導入しても、現場は回らなくなる。じゃあせめて、組立工程の能力と日々の指示をバランスするところからやってみようか。「ミズスマシ」までは無理としても、まず部品の配膳作業だけでも分業化して、生産の停滞が材料によるものか組立工の技量によるのかくらいは、分かるようにしてみよう・・

学ぶ人は全体の構造を見る。そして自分との違いを考えた上で、取り組むヒントを探す。一方、真似る人は、すぐ取り入れやすいものを探そうとする。つまり、学ぶ人は大技を学ぶ。そして、自分ならどうするかを考える。真似る人は、小技しか真似られないのだ。少なくとも、マネジメントの技術については、そうだ。

お分かりだろうか? マネジメントの分野で、学ぶ力を得るためには、「学び方を学ぶ」必要があるのだ。学び方は一種のソフト・スキルで、練習が必要である。集まって演習できる場が望ましい。だから(話を元に戻すと)わたし達はPM教育の場とカリキュラムみたいなものを構想しようと考えているのだ。教育の目的が、「自分で『学ぶ力』を身につけること」、とはそういう意味である。

そして、わたし達がこんな取組みをはじめた理由は、そもそも企業における教育がやせ細ってしまっているためなのだ。だとしたら、技術者の側が、自分の身を守るために手を結び、互いの学びの場を作っていくべきだろう と、わたしは考える。ベテラン技術者も、そうした動きを側面支援するべきである。

わたし達の今回のチャレンジが、どこまで進めるかは分からない。だが心意気としては、会社にも頼らない。国にも頼らない。そして自分で自立できる能力を作る。それがわたし達に必要なことなのではないだろうか?


<関連エントリ>
 →「『わかる』ことと『知る』こと」 (2010-02-24)http://brevis.exblog.jp/12208254/
 →「プロジェクト・マネジメントの教育について」 (2014-01-27)http://brevis.exblog.jp/21619967/
<参考>
 「“JIT生産”を卒業するための本―トヨタの真似だけでは儲からない」 中小企業診断協会生産革新フォーラム・著


# by Tomoichi_Sato | 2016-10-30 12:36 | 考えるヒント | Trackback | Comments(1)

お知らせ:納期遵守のための1日セミナー(11月25日・大阪)

来る11月25日(土)に、大阪府工業協会で納期遵守をテーマとした1日セミナー(有償)を行います。一昨年からはじめたセミナーもバージョンアップを重ね、今回で4回目の開催となります。

主に受注生産型の工場における納期遵守のための生産計画と統制(コントロール)について、製造業の実務家向けに、理論・事例と演習を含めてお話しします。

拙著「革新的生産スケジューリング入門」や「BOM/部品表入門 (図解でわかる生産の実務)」をお読みになった方はご承知の通り、わたしは具体的なテクニック論のみならず、原理・原則に関する体系的な理解を重視します。そのため、生産活動の仕組み全般を『システム』としてとらえ、その生産システムをより良く運用するにはどうしたらいいか、また仕組みをより上手に設計するためには何に留意したらいいか、を考える『システムズ・アプローチ』をとります(もちろん、ここでいうシステムとはコンピュータのことではありません)。

したがって業種分野については、わりと間口を広くとってお話しできる点が特徴です。普通の現場改善コンサルタントの講義に、飽き足りない気持ちでおられる技術者の皆さんのヒントになればと思っています。関心のある方のご来聴をお待ちしております。


<記>

日時: 2016年11月25日(金) 10:00-17:00

テーマ: 「納期遅れを起こさない 生産統制のポイント
     ~ 工程管理担当者の実務能力の強化 ~」

主催: 公益財団法人 大阪府工業協会

会場: 大阪府工業協会研修室
     大阪市中央区本町 4-2-5 本町セントラルビル
     (市営地下鉄御堂筋線「本町」駅8番出口すぐ)

セミナー詳細: 下記のPDFファイルをご参照ください(「受講申込書」も兼ねています)

# by Tomoichi_Sato | 2016-10-27 22:41 | サプライチェーン | Trackback | Comments(0)

私の名前をドアからはずす時(レオ・バーネットの言葉)

レオ・バーネットという広告会社をご存じだろうか。元はアメリカ・シカゴを発祥の地として、今は世界各国に支社を持っている。

わたしはこの会社のことを、パトリシア・ジョーンズとラリー・カハナー著「世界最強の社訓―ミッション・ステートメントが会社を救うという本の中で知った。この本では主に米国企業が約40社選ばれ、その社訓や経営理念などが、簡単な解説とともに紹介されている。大企業も小企業も、製造業からリテールまでカバーされている中で、レオ・バーネット社だけは、抜群に異色だった。多くの企業が、Mission Statement だとかManagement Policies といったテーマのもと、きれいな言葉を論理的に説明口調で並べているのに対し、この会社だけはひどく直截的だった。いわく、

「われわれの使命は、すぐれた広告をつくることにある。創業者のレオの言葉を借りれば —
 われわれのそもそもの存在意義は、世界中で文句なくベストの広告を作ることにある 。

 すなわち、テーマやアイデアがかぎりなく大胆で、斬新で、魅力的で、ヒューマンで、真実みがあり、焦点がはっきりしていて、思わず見てしまうような広告 。
 長期的には会社の名声を高め、同時に、いますぐ収入をもたらすような広告をつくることにある」

非常に分かりやすい。言葉は少ないが、ぎりぎりまで選び抜かれている。ただ単に、わが社は「ベストな広告」を作る、と言うのは、気楽で簡単だ。だが「世界中で文句なくベスト」の広告、と言い切るのは簡単ではない。良いプロダクトをつくることこそ、自社の存在意義である。そしてこの文章は長期的な視点にも、ビジネスにとって大事なお金を得ることにも、目配りがきいている。

だが彼らは、実際には、どんな仕事ぶりなのか。ためしにネットで調べてみた。下の写真は、Leo Burnett社が英国のマクドナルドのために制作し、賞を受賞した広告である。

なかなか良いと、わたしは思う。広告デザインは、感性に訴えるため、どうしても見る人の好みで判断される。だがハンバーガーショップの宣伝をするのに、商品も見せず、味についても言わず、ファミリー向けの親しみやすさも訴えないのは意外だ。画面は暗く、写真は重い。都会のオフィスで夜更け、ただ一人デスクに向かう人。あるいは、深夜の路上で客に応対するタクシーの運転手。

孤独な彼らに対して、”If you’re awake, we’re awake”(あなたが眠らずにいるとき、わたし達も眠らない)とだけ訴える。それは終夜営業のショップの価値訴求である。あたりまえだが、そこの食べ物はけっして贅沢でも上質でもない。だが開いていて助かった、という一瞬を想起させる。これ以上、知名度を向上させる必要もないハンバーガーチェーンの売上を、深夜枠だけ少しでも上げることにつながる、優れた広告であろう。

創業者のレオ・バーネットは1891年生まれで、まだアメリカが恐慌の余波にあえぐ禁酒法時代の直後に、シカゴに広告会社を作った。経営の才にも恵まれていたと思うが、上に述べたように「良い広告」への強いこだわりを持って、あまり拡大志向をせずに同社を育てた。彼が自社のために作った、有名な標語とポスターがある。それは

『星にむかって手を伸ばせ。
 必ずしもつかまえられるとは限らない。
 だが、泥をつかむことにもならない』

というものだ。また中西部育ちの彼は、顧客を迎える自社の受付に、赤い、良く熟した、甘酸っぱい香りのする、つやのあるリンゴを、いつも鉢に山盛りにしていた。そして訪問者に自由にとって食べてもらう。バーネット社のリンゴは、名物になった。リンゴを商標にした有名なレコード会社やコンピュータメーカーが登場する、ずっと前のことである。

バーネットは1967年に社長をやめて会長職に退く。このとき彼は、引退にあたって有名なスピーチをする。「私の名前をドアからはずす時」というのが、その題だ。いうまでもなく、レオ・バーネット社という社名は、彼自身の名前である。スピーチの最初に、彼は言う。

「君たちの後継者は、私の名前をドアからはずし、自分たちの事を『トゥエイン・ロジャーズ・ソーヤ&フィン』(笑)とか『エイジャックス・アドバタイジング』とか何とか、呼びたくなるかもしれない。」

ちなみに前者はマーク・トゥエインの児童小説の名前のもじりだ。そして彼は続ける。

「もし君たちにとってそれがよければ、私は一向に構わない。だが、私のほうから『どうしても私の名前をドアからはずせ』と要求するのはどういうときかを、話しておきたい。

 それは君たちが広告を作るために費やす時間より、金儲けに費やす時間が多くなったときとか、

 我々の会社を作っている特別な人たち、ライターやアーティストやビジネスのプロフェッショナルたちにとって、広告を作るという純粋な楽しさや心の昂ぶりというものが、お金と同様にとても大切なんだということを忘れたときとか」

そして彼は、以下、会社として危惧すべき状況を一つひとつ、まるで連祷のように述べていく。

「自分の仕事をさらに良くしようとする、絶え間ない努力の意識を君たちが失ったときとか、
(中略)
 もはやあのヘンリー・ソローがいう『良心のある会社』でなくなった時とか、
(中略)
 事務所で最後までたった一人でタイプライターをたたいていたり、デザイン・ボードに向かっていたり、カメラを構えていたり、ブラック・ペンシルで何かを書き付けていたり、夜遅くまでメディア・プランを作っていたりする、そうした孤独な人たちへの尊敬の念を、君たちが失くした時とか、

 我々の会社の今日を作り上げてきた、そうした孤独な人たちへの、深い感謝を忘れたときとか、

 そうした人こそ、より一層の努力をしているから、例え一瞬であろうと熱くて手が届きそうにもない星を、実際につかんだのだ、ということを忘れたときとか。

 ・・こんなとき、私は君たちに、私の名前をドアからはずすよう強く求める。断じて、私の名前をはずしてほしいのだ。たとえ死んだ後でも、私はあの世から甦ってきて(笑)、夜中にオフィスの全てのドアから私の名前を削り取る。

 そしてあの世に戻る前に、私の名前の入った全ての文房具を焼き払い、たぶん、通りすがりにいくつかの広告を破り捨て、忌々しいりんごは全部、エレベーターの穴の中に投げ込んでやる。

 すると次の朝、君たちはもうここがどこかわからない。君たちは別の名前を探さなければならないのだ。」

ここには、仕事というものに対する強い信念がある。それは、良い仕事をするということ自体が、働く労苦に対する最大のリワード(勲し)であり、モーメンタムである、という信念だ。お金という報酬は、その結果でしかない。優れた仕事の次が、お金であって、その逆ではない。

だから彼は、夜更けの事務所で、最後までたった一人でタイプライターをたたいている孤独な人への敬意と感謝を忘れてはならない、と主張する。働く人が、いつでも交換可能な、単なる消耗品になりさがった組織は、もはや自分の名前にはふさわしくないのだ、と。その主張はまさに、上に紹介したマクドナルドの広告に、奇しくも対応しているではないか。レオ・バーネットの魂は、彼が引退した50年の後にも、まだ生きているのだ。

これが、理念の力である。

人々を束ねて率いていくのは、むずかしい。それが創造的な仕事にたずさわる人たちであれば、なおむずかしい。それは権力や、金銭や、おどしや、皆が因循と従っているおかしな行動習慣であってはならない。人を動かすのは、なによりも「世界中で文句なくベストな仕事」をしたいという、自負に満ちた欲求であるべきだ。上司は部下の心の中に、何よりもその気持ちを探して光らせなければならない、と。

だが、そのためには、「何がベストか」についての、確とした理念を持つ必要がある。だから、ともすれば怠惰と徒労に流されがちな日常の中で、わたしもつねに自問自答しなければならないのだ。お前は果たしてベストな仕事をしているのか、と。


<関連エントリ>
 →「企業のミッション・経営理念を日米比較する」(2016-03-27) http://brevis.exblog.jp/24255070/

(注)
レオ・バーネットの引退スピーチの画像は、YouTubeで見ることができる:

またスピーチの日本語訳全文は、ネットでは(誰による翻訳か不明だが)以下のURLで読むことができる。上の文中ではここから一部改変して引用させていただいた:

# by Tomoichi_Sato | 2016-10-22 18:12 | ビジネス | Trackback | Comments(2)

プロジェクト・コミュニケーションのベーシック(2) ~ ドキュメント・インデックスを作る

前回の記事「プロジェクト・コミュニケーションのベーシック ~ 情報のトレーサビリティを確立する」で、英語で言うCommunication Managementとは、日本語的感覚でいう「コミュニケーションの管理」ではなく、むしろ『情報伝達のマネジメント』に近い、と書いた。だから、伝達のトレーサビリティ確保が大事になる、と。

今回はその続きである。だがもう一歩進んだあり方として、「ドキュメントのインデックス化」の話をしたいと思う。ドキュメントのインデックスとは何か? 簡単だ。それはプロジェクトが作成する文書・図面類をリスト化して、多少の属性を付加したものである。「ドキュメント・リスト」と呼ばれる場合もある。

なあんだ、そんなのならいつでも作ってるよ。そういって、ドキュメントが保存されているサーバのプロジェクト・フォルダから、ファイルのリストを印字して持ってくる人がいる。ファイル名の他に、作成日、更新日、ファイルサイズ、種類などの属性が並んでいる。--これのことでしょ?

全然違うのだ。そんなリストは、プロマネにとってどんな行動の契機も与えない。そのファイル・リストを見たら、まだ出来上がっていないドキュメントが何と何か、分かるだろうか? どの図面が予定よりはるかに遅れて作成されたのか、問題発見の手がかりになるだろうか。誰を応援したり督促したりすべきなのかの、判断材料になるだろうか? なるまい。

プロジェクト・マネージャーという職種は、最初に計画を立て、実行段階ではその計画からの逸脱をチェックしながら、問題をつぶしたり変更を追いかけたり、決断を下したりして、なるべくプロジェクト全体の生み出す価値を高めていくのが仕事である。だから問題発見のツールをいろいろ持っていて、そのセンサー感度を上げる仕組みが必要だし、問題解決のためには、何がいつどこで起きたのかを、正確にさかのぼってたどれる道具が必要なのだ。

ドキュメント・インデックスは、そのためのツールである。これ自体は、単純な表になっている。プロジェクトで作成しなければならないドキュメントを、すべて、重複も漏れも落ちもなく、計画段階であらかじめリストアップしておく。そして、各ドキュメントは、誰が担当で作成するのか、WBSのどのアクティビティで作成するのか、したがっていつ作成される予定なのかを、あらかじめ決めて書いておく。

つまり、ドキュメント・インデックスは、初期段階では「まだ存在していない文書の属性付きリスト」なのである。ファイル名のダンプリストじゃ役に立たないことは、おわかりだろう。それは「すでに存在している文書のリスト」を示すだけだ。あるいはもう少し高級な、いわゆるContents Management System風のリストも、役に立たない点では変わりない。そうした道具立ては、存在しているファイルの『在庫管理』には有用だろう。だが、まだ存在しない、これから作成すべきドキュメントについてのコントロールには、あまり役に立たない。

ドキュメント・インデックスというは次のような構造をしている。持つべき主な属性は、以下の通りだ:
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(1) ドキュメントのID
(2) ドキュメントの名称
(3) ドキュメントのリビジョン番号
(4) プロジェクトNo.およびWBS No.
(5) 発行目的
(6) 作成者・検討者・承認者
(7) 発行予定日
(8) 発行実績日
(9) ドキュメントを構成する電子ファイルのリスト

すべてのドキュメントは、ユニークなIDを持っていなければならない。これは当たり前のことだ。従業員番号のない社員がいてはいけないのと同じである。何かをトラッキングしたりコントロールするためには、IDがいる。これは情報システムの世界では常識であろう。(それなのに、自分が仕事をする段になると、設計文書をタイトルだけで『管理』して平然としているシステム・エンジニアがいたりするのは若干、謎である)

ドキュメントにはリビジョン番号があるのは当然だが、WBSの中のどのアクティビティで作成されるものかを示すことも(当然ながら)大事である。誰が担当で、いつ出来るのかは、それによって決まる。作られたら、次にどこのアクティビティで利用されることになるのかも、注意しなければならない。かつて「仕事の最小単位--アクティビティの構造を学ぶ」にも書いたように、文書(情報)はアクティビティのアウトプットであると共に、次のアクティビティのインプットともなるからだ。

ちなみに、わたしの勤務先では、ドキュメントのIDは、種類を示すコードと、それを作成するアクティビティのWBS No.を元にして構成している。一つのアクティビティから複数のドキュメントが作られるのが普通だから、後ろに連番をつける。かつ、それを電子ファイルの命名規約にもしている。ついでながら、仕事のプロセスを示すFunctional WBS (F-WBS)は標準的なコード体系にしたがっているため、どのプロジェクトでも、たとえばポンプの設計図書は同じF-WBS No.を持っている。だから、ドキュメント番号やファイル名称を見ただけで、「これはポンプの調達仕様書だな」と分かる仕組みになっている。

それから、インデックスには、何のために発行されるのかという目的がいる。つまり、顧客に出す承認用(For Approval)だとか、顧客からOKをもらった施工用(For Construction)だとか、あるいは据付工事後の最終納品版(As-Built)といった区別である。もちろん、顧客に気に入られないと、承認用を2回も3回も出し直し、という事態だってありえる。だからリビジョン番号と発行目的は、1対1にはならないのである。ちなみに「発行」という用語は、英語のIssueの翻訳だが、耳慣れないと思う人もいるかもしれない。これは、正式版として社内関連部署や顧客や外注先に対して配布する作業を意味している。「出図」という言い方をする企業もある。

作成者・検討者・承認者の項目は自明だろう(スペースの関係で一つにしているが、実際には別々にするのが普通だ)。

そして何よりも大事なのは、「発行予定日」と「発行実績日」である。プロジェクトの計画段階で、ドキュメント・インデックスを作る際に、個々のドキュメントの発行予定日を記入しておく。これは、プロジェクトのマスター・スケジュールに合致していなければいけない。そして、遂行段階に入って、実際にどんどんドキュメントが作成されるようになったら、それぞれの実績日を記入していくのである。

この予定日と実績日があるから、プロマネは問題を事前に検知したり、メンバーに上手に督促したりすることができるようになるのである。「今週、発行予定のドキュメントはこれとこれです。担当者はもし何か問題を抱えているようなら教えてください。支援します。」といった風に、週次のミーティングでいう訳である。

そして実際に発行されたドキュメントは、必要とする関連部署(下流側のアクティビティに関わる部門)や外部ステークホルダーに送付するとともに、プロジェクトのセンター・ファイルに保管する。情報伝達のトラッキングが必要になったら、プロマネは(あるいは、もう少し大規模なプロジェクトの場合は、専任のライブラリアン役の担当者が)、そのセンター・ファイルと、インデックスの履歴をチェックする。これがドキュメント・コントロールの仕事である。わたしが勤務先でこのようなやり方を初めて知ったときは、その見通しと効率の良さに舌を巻いたが、わたしの先輩達はどうやら何十年か前に米国の同業者達のやり方に学んだらしい。

またこうしたデータがあると、横軸に日付をとって、縦軸に発行予定ドキュメント数の累計をプロットしていけば、S字カーブが得られる。これに実績の線を書き加えれば、プロジェクト全体の遅れや進み具合が一目瞭然になる。一般に、設計作業の進捗は目に見えにくく、把握しづらい。ドキュメント・インデックスは、その進捗を可視化するためのツールになるのである。

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わたしの業界では(海外の大規模プロジェクトは特に)進捗に応じて顧客が支払う契約が多い。このとき、設計の進捗を、発行されたドキュメントの数で測るのである。全体で100部の図面やドキュメントを作成する予定であり、現時点では45部が発行済みだから進捗45%、といった計算である。単純だが、分かりやすい。むろん、図面には情報量の大小があるし、ドキュメントだって厚いのも薄いのもある。だからそんな進捗計算なんかナンセンスだと、いえないことはない。だが、今日までに100部作成する予定なのに、まだ10部しか出来ていなかったら、やはり何かおかしいと判断するきっかけにはなる。測れないものは、マネジメントできない。もし設計をマネージしたいのなら、設計の進度を測る何らかの仕掛けが必要なのだ。

最後は、そのドキュメントを構成するファイルのリストである。本文はWordだが添付資料はExcelの表です、といったものはよくある。こうしたセットを、ひとつの「ドキュメント」として扱うのである。だから、個別のファイル単位にしか属性を扱えないCMSみたいなツールは、ちょっと不便だということになる。

と、ここまで読んだ読者の方は、二つの疑問を持たれるかもしれない。

Q1: 本当に最初の段階で、プロジェクトが作成すべきドキュメントを全部もれなく洗い出せるのか? 途中でどんどん増えてしまったりするのではないか。
Q2: ドキュメントの発行予定日なんて、そんな初期に決められるはずがない。

このような疑問は、プロジェクトの「初期の段階」という理解にズレがあるために生じると思われる。まさかプロジェクトの初日に、ドキュメント・インデックスを作れる訳はない。プロジェクト計画がある程度進んで、WBSが作成され、マスター・スケジュールが出来上がったタイミングでなければ、もちろん作ることはできない。それはすなわち、プロジェクトの全体像の目鼻がついた段階だ。目鼻とはつまり、成果物の構成(Product-WBS, P-WBS)がだいたい決まり、かつ、それを作るまでのプロセス手順(F-WBS)が見えて、アクティビティ・マトリクスができた時点である。
(アクティビティ・マトリクスとWBSについて知りたい方は、拙著「世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書 〜 グローバルなチャレンジを成功させるOSの作り方」参照のこと)

もちろん、プロジェクトの遂行途上で、インデックスにドキュメントを追加せざるを得なくなったり、あるいは削除(キャンセル)することもあり得る。追加は、当然ながらユーザの意向でスコープの増加があった場合、そして当初の見積が不足していた場合の二つがある。だから、この両者は区別できるようにしておかなければならない。そしてプロジェクトが完了したときに、自社理由で増えた分と、外部理由で増えた分が、それぞれどれだけあったかを調べ、次にドキュメント数を見積もるときには、どう教訓(Lessons Learned)を生かしたら良いかを、考える材料にするのである。こうしたことをしない限り、見積の精度など向上する訳がない。

そして、ドキュメント・インデックスを作る理由は、まさに自分たちの予測能力を高めるためにあるのだ。ドキュメント・インデックス作成というのは、プロジェクトのマスター・スケジュールなどと似ていて、プロジェクト全体を表す一種の『モデル』なのである。プロジェクトという複雑な、かつ見通しにくいシステムをモデリングする事。これこそが、プロジェクト・マネジメントの中心技術でなくて何だろう? 最終形を見通さぬまま、なりゆきでドキュメントを積み上げていっただけでは、最後に手元に残ったリストを見ても、次に生かすのは至難の業だ。経験から学ぶためには、自分が何を見通して、何を見通せなかったかを、後から追えるようなトレーサビリティが必要なのである。


<関連エントリ>

# by Tomoichi_Sato | 2016-10-12 23:37 | プロジェクト・マネジメント | Trackback | Comments(2)

「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会 (2016年10月21日)開催のお知らせ

プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」2016年の第5回会合を、下記の要領にて開催いたします。今回は研究部会WGのメンバーとの検討をもとに、久しぶりにわたし自身が講演いたします。この問題に関心をお持ちの方のご来聴をお待ちしております。

<記>

■日時:2016年10月21日(金)18:30~20:30
■場所:三田キャンパス・北館会議室2(1階)(定員:28)】
 キャンパスマップ・【1】

■講演タイトル:「プロジェクト・マネジメントの教育に対する新しいアプローチ

■概要:

受注型プロジェクトに多く携わる企業では、プロマネの育成はつねに重要な課題です。PMP資格の取得奨励などを進めても、なかなかそれだけでは実効性が上がりません。片や、自発型プロジェクトを進めるべき企業や官庁などでは、「プロジェクトをマネージするには技術がいる」という意識すら薄く、結果として幾多の失敗事例がメディアをにぎわす状態が続いています。

本講演では、“教育とは自己成長を支援するプログラムである”という認識に立ち、企業内や大学での教育に携わってきた経験を元に、エンジニアがPM能力を高めるための新しいアプローチについて提案します。今回の内容は、当研究部会の中で自主検討してきた「PM教育WG」の途中経過報告でもあり、参加者による積極的なディスカッションを期待します。

■講師: 佐藤知一(さとう ともいち)
日揮(株)勤務、静岡大学客員教授、東京大学・法政大学講師、工学博士・PMP

■講師略歴:
 1982年4月 日揮株式会社入社
 1985年10月~1986年9月 米国East-West Center 環境政策研究所 研修派遣
 2001年5月~2002年4月 仏Technip社との電子調達サイト Operation Manager
 2010年6月 「リスク確率に基づくプロジェクト・マネジメントの研究」により学位取得
 2016年9月~ 現職(日揮株式会社 グローバル戦略室)に至る
〔受  賞〕日本経営工学会論文賞(2009)

■参加費用:無料。 ちなみに本研究部会員がスケジューリング学会に新たに参加される場合、学会の入会金¥2,000が免除されます。

会場の人数に上限があるため、参加を希望される方は、できましたら前日までに三好副幹事までご連絡ください(連絡先は学会HP参照)。

以上、よろしくお願いいたします。


佐藤知一@日揮(株)

# by Tomoichi_Sato | 2016-10-08 09:36 | プロジェクト・マネジメント | Trackback | Comments(0)