ミニレビュー:携帯用折畳みキーボード 3E Wallet

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3E社の携帯型折りたたみキーボードを6ヶ月ほど使ってみたので、感想を書いてみたい。商品名は”Wallet”という名前で、型番は3E-BKY4である。接続はBluetoothで、MacOS, Windows, iOS, Androidとすべて使えるようだが、わたしはもっぱらiPad Pro 9.7’と組み合わせて使っている。

この製品の良い点は、三つある。

(1) 薄くて軽いこと。厚さは6mmない。折りたたんでも13mmで、とにかく薄いので、携帯性にすぐれている。カバンに入れても邪魔にならないし、iPad(わたしはスマートカバーをつけて使っている)と重ねて持った際も、とても持ちやすい。重量は176gで、これも際だって軽い。

(2) フルキーボードで、キーピッチもまあまあ広いこと。これは入力機器の基本性能として大切なことだ。それに打鍵時のアクションも、まあしっかりしている。

(3) 写真で見てわかるように、開いたときに7度の角度で左右に傾斜のある、エルゴノミクス・キーボードになっていること。最初は慣れるかな、と少し不安だったが、すぐにまったくストレスなく使えるようになった。そして、手首の角度からいって、たしかにこの方が自然である。たたんだ時はほぼ長方形なので、収納に不便はない。

ということで、気に入って職場で毎日使っている。それまでは、ながらくREUDOのBluetoothキーボードRBK3200BTIをiPadと組み合わせて使ってきたのだが、職場では完全に3E Walletにかえてしまった。

ただし、気になる点もいくつかあるので、書いておこう。

(4) キー・ストロークが浅い。これは薄さを実現するためには仕方ない訳だが、わたしの好みからいうと十分とはとても言えない。この点は、REUDOのキーアクションの方がはるかに快適。だが、たとえば今この記事を書くのに使っているMacBook Proのキーボードだってかなり浅いので、まあ良い勝負だとは言える。

(5) iOSと組み合わせて使う場合、マニュアルや刻印と異なり、なぜかCaps Lockキーが英字/かなモードのトグルキーになる。これは便利なような不便なような仕様だ。「カタカナひらがな」キーで変わってくれるとうれしいのだが、まあiOS側にも問題があるのかもしれない。

(6) Controlキーが、左下にある。わたしはずっと、MacでもWindowsでも、ControlキーをAの左隣において使っている(Macキーボードは元々そうだし、Windowsではソフトで置換している)。ところが、Walletだけはそれがきかない。ちょっとだけ不便である。まあiOSで使う場合、Walletの「Win」キーがCommandキーに相当するので、Cut & pasteなどのショートカットでは問題は感じないが。

(7) 打鍵はわりと静かではあるが、静音とは言えない。大勢の中で使う際は、気を遣うべきだろう。

とはいえ、半年間ほぼ毎日使ってもきちんとトラブルなく動いているし、電池もまだ一度も交換していない。開けば、自動的にBluetoothで接続される。非常に快適である。キーアクションが浅くても良いから、軽量なキーボードを探している方には、おすすめである。

なお、なぜかしらないが、Amazonでは売っていないようだ。不思議だ。わたしはヨドバシで買った。



# by Tomoichi_Sato | 2017-09-16 12:08 | ビジネス | Comments(0)

すべての工場は空調を付けるべきである

前にも書いたような気がするが、冷房が苦手である。20代の終わりころ、南国で冷房病にかかった。以来、冷たい人工の風にあたり続けると、次第に首肩の筋が緊張し、頭痛がする体質になってしまった。電車は、だから弱冷房の車両を探して乗る。職場でも、なるべく冷房の風があたらない席をありがたがる。

この数日間、台湾で休暇を過ごした。街は活気にあふれ、見どころも多く、食事も美味しい。とても良い所だと思ったが、一点、どこでも冷房がきついのには閉口した。盛夏は過ぎたとはいえ、日中の気温が34℃にもなるこの時季、むろん冷房なしで客を迎えるなどありえない。

それは分かるのだが、蒸し暑い陽当たりを汗だくになって歩いた後、冷房の効いた建物や乗り物に入ると、汗が急冷されて、体温のフィードバックコントロール系が混乱していくのを実感する。防護のために上着を持っているが、そんな物では追いつかない近代技術の暴力である。一日出歩くと、クタクタになった。

もちろんこういう困惑は、台湾に行かずとも、住む街でいくらでも体験できる。わたしがよく利用するT電鉄は、冷房をガンガン効かせることが顧客サービスの第一だと心得ているらしく、春の連休くらいになると待ち構えたかのように冷房を入れ始める。せっかく上着がいらない気節になったのに、用心のために持ち歩かなければいけない。冷房がT社のサービスポリシーの産物であることは、車両が乗り入れ先のS鉄道に入ると急にゆるくなることで分かる。もっともS社は、冬は暖房の効きがわるくて寒いので、これはこれで閉口だが。

というように冷房嫌いで虚弱体質(?)なわたしが、なんでこんなタイトルの、しかもある意味で挑戦的な記事を書こうとしているのか、賢明なる読者はいぶかっておられると思う。でも、もう少しだけ我慢して、個人的な思い出話に付き合ってもらいたい。

子どもの頃、両親に連れられて初めて東海道新幹線に乗った。夏休みに東京から熱海に行くつもりだったのだが、列車の中で両親は気をかえて浜松まで足を延ばすことに決めた。新幹線はまだ開通したばかりだった。日本が資金調達のために世界銀行から大枚を借りて、結局その借金が国鉄を潰す遠因となった、戦後の一大近代化プロジェクトの成果である。

その最新鋭の列車の席に座ると、車両の天井から冷気を出す仕掛けをさして、うれしそうに「エアー・コンディッショニングだ」と父親は言った。亡き父はエンジニアで、そういう進歩的な仕組みが好ましかったのだろう。わたしは子どもだったので、両親と一緒に海に行けるだけで楽しかったから、暑くても気にならない。でもこのとき父親が胸中、何を考えていたのかは、ずっと後になるまで分からなかった。

その頃の公共施設は、冷房なんてかかっていないのが普通だった。学校もそうだ。小学校から大学院まで、わたしが通った学校は(たまたますべて公立だったかもしれないが)、冷房なしだった。今では信じられないだろうが、某県立高校に至るや、冬の暖房さえなかったのである。「一冬我慢すれば慣れる」と、ベテラン教師はうそぶいた。同じテニス部のK君(後に台湾駐在を経験し、わたしに見どころを紹介してくれた)が、教室内でコートを着て震えていた姿を、今でも覚えている。

会社に入ると、さすがに冷房がかかっていた。入社当時のオフィスは、横浜郊外の住宅地にある、築30年は越した古い鉄筋の建物だったが、それでも空調はあったのだ。エンジニア達が働く職場で、図面を引きながら汗がポタポタ、紙の上に落ちるようじゃまずい、という配慮だったのかもしれない(当時は図面は製図台で引いていたし、仕様書なんか全部手書きだったものじゃよ、お若いの)。とくに電子計算機サマなぞ、室温20℃という尋常ではない部屋に置かれていた。

週休二日制で、大学と同じ最新鋭の電子計算機を実業務に使用し、職場にはちゃんと冷房のかかっている会社は、ものすごい大企業とはいえないけれども、少しだけ誇らしかった。

つまり、冷房というのは、ながらく近代化の象徴であり、また贅沢品でもあったのだ。これが昭和時代に育った人たちの、頭の中の概念なのである。平成になってもう30年近くになるというのに、私たちの社会はいまだに、昭和の概念で、しばしば動いている。

さて、以前、「工場レイアウト設計の典型的問題と、そのエレガントな解決法」 http://brevis.exblog.jp/24532084/ という記事で、工場のレイアウトについて、あえて2階に製品出荷口を設けることで、多層階ながらシンプルなモノの流れを作ったN社の例を挙げた。そして実はもう40年以上も前の事例だ、ともつけ加えた。実はこのプロジェクトをリードした人は、新工場を作るにあたり、どのような設計思想で取り組んだのかを、技術評論社から出版した「実践的NCマネジメント入門」という著書に書き残してくれていた。

その中心となる生産システムの構想については、ここではあえて触れない。ただ、この人は新工場を作るにあたり、「この日本に町工場を一つ、いまさら増やしても仕方がない」と考えたのだった。そして、きわめて先進的な生産システムづくりとは別に、実現したことが一つあった。それが、全館空調の機械工場である。

N社は金属加工と機械組立を仕事としている。まあ、鋳物のドンガラを削る仕事である。知っての通り、金属加工は切削油のモウモウたる煙漂う職場であり、その工場は鉄骨スレート葺の建屋、外気開放型の仕事と相場が決まっていた。夏暑く、冬寒い。そして危険だ。今で言う3K職場である。

この人はそういう職場を変えようとした。だが、ことは簡単でない。まず、切削油はどうするのか。彼は水性の切削油に変えることに決めた。もちろん、そんな事をしたら、工作機械の刃物の切れ味が、全く変わってしまう。今まで工場の職人達が、慣れて蓄積してきた加工のスキルが、全部チャラになってしまう。

この人の方針変更はしかし、それだけではなかった。切削に使うバイト(刃先)をすべて、使い捨てのスローアウェイに変えさせた上に、種類を50本に制限した。新しい工場ではNCマシンを全面的に採用する。そこで、これを期に加工条件の標準化を図り、データベース化しようというのが、ねらいだった。それは、従来、職人の各個人が抱え込んでいたノウハウの共有化だった。

それにNCマシンならば、それまでの人間の手作業ではできなかった加工条件を試せる。その際は、チップの寿命を無視しよう、と決めたのである。そして設計図を作る技術部には、この50本のセット内で加工できるように、部品図面を作り直すよう依頼した徹底ぶりである。

しかし、こうした急進的な方針は、当然ながら現場の職人の反発を招いた。ある日、彼のところに、現場の職長代表が20人くらい、談判にやってきた。そして、「こんな切れないバイトじゃ生産性ガタ落ちだ」という。

これに対し、この人はなんと答えたか。以下、技術評論社刊「実践的NCマネジメント入門」から直接引用しよう。

「わたしはこの時、2つのことを話したように記憶している。1つは、個人個人がそれぞれ自分流の研ぎ方でやっていたら、いつまでたっても個人であって、全体の能率が上がる可能性はない。それで組織的に統一して集中研磨に移っているのであるが、この集中研磨を担当している『トギ屋』に一生なってもいいと言う人は手を上げてもらいたいということ。

第2に、スローアウェイは切れないというが、NCはスローアウェイで問題なく作業を行っている。スローアウェイを使いこなす自信のない人は、NCに切削条件を習いにいったらどうだ、という2つであった。NCに習いに行けということは、とりもなおさず前年入った新入り(NCの加工プログラムを作成した)に習いに行けと言うことである。

現状ではいくら能率が落ちても過渡期だから一向かまわぬ。5年先で、どちらが良いか判断しようではないかと。」(同書p.96-97)

結局、この方針のまま押し通してして、新工場建設プロジェクトは進められた。そして工場への全面的空調の導入も、行った。ただ、新工場の建屋の費用や新しい機械の購入費はともかく、けっこう大きな費用となる空調費用だけは「どうやってソロバンを置いたらよいのかすら、わからなかった」と書いている(p.56)。つまり、今風に言えば、投資の費用対効果、ROIが計算できないということだ。

ともあれ、N社の新工場は、斬新なレイアウトから大胆な生産システムの構築まで、「多品種少量・受注設計生産の機械工場はこうあるべき」との理想を、既存のこだわりを捨ててゼロから発想して作ったものとなった。建物は建築学会賞を受賞した。

では、全館空調の効果はいかなるものだったのか? それは、直接には測れない。それまで冷房なしでやってきて、特に問題があったわけでもない。自分たちが『快適』に仕事をしようというにすぎぬ。 だが、「こうした環境整備とそれによる不断の整理整頓、モラールの向上によって、新工場建設後、かすり傷を含めて労災件数が10分の1以下に激減し、不就労災害がほとんどなくなった」ことは事実だ(p.57)。

それで? ながながと、40年以上も昔の事例のことを書いてきたのは、理由がある。N社の工場を設計したのは、じつはわたしの父親なのだ。

父親が新幹線で「エアー・コンディッショニングだ」といったとき、考えていたのは工場のことだったはずだ。言うまでもないが、空調とは冷房のことではない。空調は「空気調和」の略で、"Air Conditioning"の訳である。人が快適に過ごせるよう、建物全体の空気の純度や湿度・温度を調整すること。これが空調の意味である。もちろん、空調は冷房とイコールではない。多くの人が不快になる冷房だったら、それは空調として機能していない。

だが、なぜそんなものが工場に必要なのか。それは、工場とは人が働く場所だからだ。近代化の象徴でもなく、贅沢でもない。人が働いて、そこで価値を生み出す以上、少なくとも技術的に可能である限り快適な空間・環境であるべきだ。働くことには苦心も忍耐も伴うが、しかし、それ自体が「面白い」ことでなければ、良い仕事は生み出せない。

工場の労働が、一生をかけてやる甲斐のある仕事であるためには、どうあるべきか。どうあってはいけないか。著書の中では、「シビルミニマム」という言葉を使っているが、話は空調だけの問題ではない。細分化された仕事を延々繰り返すあり方が、望ましいのかどうか。チップのスローアウェイ化について、「工場全体をスローアウェイ化しようとしたのは、NCの問題を除けば、来る日も来る日もバイト研ぎをやっている『トギ屋』を廃止しようとしたのが主要な理由である。」という。それに比べれば、空調化などたやすい事だったろう。

むろん、こういう主張を書けば、いろいろな反論が寄せられよう。先回りして予見しておくと、
(1) そんなことをしたらコスト競争力を失い、結局は中国やアジアに仕事全体を奪われかねない、
(2) 工場の製品特性や製造レイアウトから考えて、建屋の空調化は現実的に無理、
(3) 工場労働以外にも寒暖激しい労働環境はいくらもあるのに、なぜ工場だけ空調するんだ
くらいに大別できるだろう。

(1)については、その程度で失われるような競争力ならば、しょせんビジネスとしては長続きしまい、と答えよう。だって本社のオフィスは空調しているのでしょう? だったら空調は必要経費ではないか。いや、そんなにコストが心配なら、いっそオフィスも空調はやめて経費を節約したらいい。そもそも、そんな事をいっていたら、人手不足が深刻化する昨今、働き手を確保できなくて立ちゆかなくなるに違いない。

エンジニアなら、(2)の理由もいろいろ思いつく。フォークリフトが内外を頻繁に出入りする、大型の資機材を搬出しなければならない、火を使う作業である、天井が高くて空調効率がわるい・・。だが、そうしたことは本質的ではない。水性の切削油と同様、やろうと思えばいろいろな工夫がありうるのだ。それを講じるのがそもそもエンジニアの仕事ではないか。

間違ってほしくないが、空調=冷房、ではない。働く環境をできるかぎり快適かつ衛生的にすることが、空気調和の目的なのだ。その目的を理解した上で、必要なら局所冷却とかミストシャワーとか成層空調だとかを取り入れればいい。

では、(3)はどうか。わたしは建設業の人間なので、屋外作業がゼロにならないことは重々知っている。建設業だけではない、農業も、警備業などサービス業も、屋外で働かなければならない。こういう人達がいるのに、なぜ工場労働者だけが空調にあたっていられるのだ? 他の業種を差別するのか?

答えは、逆である。他に屋外作業があるから、工場も空調不要なのでは、ない。厳しい屋外作業に対しては、むしろハードシップの費用を上乗せして払うべきなのである。それが市場原理ではないか? 自営業の農家はともかく、給料をもらって働く職場である限り、厳しい環境の方がフィーが高いのは当然である(スキルへの報酬差は別として)。今、もしそうなっていないのだとしたら、現状こそ差別されているのだ。

こういう発想が出てくるのは、結局、地方が低賃金労働者を出稼ぎの形で無尽蔵に送り出していた、昭和時代の意識の名残なのだろう。40年以上も前に、小さめの中堅製造業が実現できていた全館空調の工場を、多くの企業がいまだに思いつきもしない。わたしのこの議論だって、今はたまたま人手不足だから聞く人も多少いるだろうが、また景気が低迷すれば逆戻りする可能性大であろう。空調など贅沢だ、と。

工場というのは、「人が働くとはどういうことか」の思想を具現化したものである。どんな工場も、それを見るだけで、その企業が「働くこと」をどう考えているのか、分かってしまう。工場を見た人が、すごい、是非ここで働きたい、と感じる場所にしたいのか。それとも、自分の息子や娘には、働かせたくない場所なのか。あるいは、こうたずねてもいい:工場とは、働く人が知恵や技を育てて価値を生む場所なのか、それとも金が金を生むための道具でしかない場所なのか。

もし日本企業が後者のような経営観を是としないならば、工場には空調をつけるべきである。




# by Tomoichi_Sato | 2017-09-12 23:56 | 工場計画論 | Comments(3)

IoT時代のMESをもう一度考え直す 〜 (3) MESの未来像とは


最近、ある工場を見学に行った。ここでは仮にX社と呼ぼう。中堅の機械メーカーで、精密な加工技術を要する製品(というか、より大きな機械に組み合わせて使うモジュール的部品)を作っている。顧客の個別仕様要求が多く、生産形態としては受注設計生産に属する。

組立工程の現場のチーフ格の人から、話を聞いた。ここの現場では、一種の「デジタル屋台」というべき方式を採用している。ちょうどラーメンの屋台のように、一人に一台の作業用のラックが与えられ、目の前の端末には組立工程の作業指示が1ステップずつ、3D的図面に表示される。

X社が作っているのは小さな製品で、組立にはネジ止めを多用する。ネジ止め作業では屋台(ラック)に付属する電動ドライバーから、トルクなどの情報を自動的に取って、作業を自動的にチェックし、ミスを防止している。他企業でも見たことがあるが、優れたやり方だ。

ラックのサイドに部品入れの抽斗が並んでいて、部品はそこから手で取り出して、とりつける。取り出すべき抽斗の位置も、自動的に表示される。そこまではいいのだが、使うのは小さなネジなので、どうしても取り出すのにイラついたり、あるいはサイズや本数を間違えて取ってしまうことがある。

そこでこのチーフ格の人は、何か解決策はないものかと考えた。そしてある日、100円ショップから、色付きストローを何本か買ってきた。ストローの先端を、ちょっと丸める。そしてストローの逆側からネジを何本か入れてみた。こうすると、ストローの中でネジが数珠つなぎになり、ストローの先端からは、ネジの先っぽが顔を出す。一本引っ張って取り出せば、次のネジがまた顔を出す。

かくてワンアクションで、確実にネジを1本取ることができるようになった。ネジの種類に応じて、ストローの色をかえれば、取り間違えも防止できる。見事な知恵である。これ以外に他の現場でも、いろいろ創意工夫を聞いて、X社の職場の志気の高さに感心した。

それにしてもX社は、多品種 小ロットの受注設計生産がメインである。このデジタル屋台の作業指示の3D的画面は、誰がどのように作っているのだろうか? 3D-CADで設計しているから、というのは答えの半分でしかない。繰返し性の高い量産工場なら、3Dモデルから、工程設計者が細かく作業展開して、指示データを作っておくことができる。しかし小ロット個別受注で、そんな手間がかけられるのか?

X社の秘密は、設計の標準化と、コンフィギュレータの利用にあった。設計については、徹底した標準化を進め、製品各部分のサイズや材質については、パラメータ化している。また、共通部分と、個別にカスタムで変えるべき部分についても切り分けられているようであった。その上で、見積と受注段階で、コンフィギュレータを使う。コンフィギュレータというのは、製品の顧客要望の仕様を入力すると、適切な部品やパラメータの組み合わせを自動的に検索・計算してくれるソフトウェアのことである。

これによって受注時に、基本的な設計BOM(E-BOM)が自動的に選定されており、また価格も見積もられる仕組みだ。その設計BOMと付帯情報は、3D-CADに組み込まれたロジックにより製造BOM(M-BOM)に自動展開され、さらに別のソフトにより、デジタル屋台の作業指示画面が生成される。

製造現場の作業者に対して、ステップ・バイ・ステップで標準作業の指示を与える機能は、典型的なMESの機能である。医薬品分野のMESでは、「SOP(標準作業指示)」機能と呼ばれる。組立の分野では、紹介したような組立図の画面表示がよく行われる。作業の着手と完了時に、ワークに付随するバーコードやRFIDを読み取って、誰がどの部品をいつ・どれだけの時間をかけて製造したかをモニタリングする「POP(製造時点情報管理)」と並んで、MESの基本機能と言っていい。かなり制御層に近いので、前回記事の言い方を借りれば”Lower MES"ということになるが。

ところで、作業指示をステップ単位で表示するためには、MESが対象製品の製造部品表(M-BOM)と、作業工程表(BOP=Bill of Process)のデータを知っていなければならない。ご存じの通り、部品表(BOM)と作業表(BOP)は、製品設計からスタートする情報の流れ、すなわち製品の『エンジニアリング・チェーン』の中で生成される。つまり、MESという仕組みは、企業のエンジニアリング・チェーンときちんとデータ・レベルで結合されていないと役に立たない、ということになる。

そして製品のエンジニアリング・チェーンというものは、納入先顧客数が増え、製品の品種数が増えるほど手間暇がかかるようになり、部品点数や個別仕様が増えるほど、設計変更の可能性が増える性質を持っている。少品種・大量見込生産の高度成長期に比べ、個別受注設計・小ロット生産が主体の今日は、エンジニアリング・チェーンとMESのスムーズな結合・連携は、はるかに重要かつ難しいといえるだろう。多くの企業では、生産技術部や製造部の技術者達が人手で対応して、つないでいるのが現実だ。

エンジニアリング・チェーンからBOMやBOPデータを受け取ることと並んで、MESにとって大事なのは、生産オーダーの情報を上位系から受け取ることである。どのオーダーは、どの顧客向けで、どんな数量と納期になっているのか。これが分からないと、各工程における優先順位やスケジューリングができないことになる。製造工程のスケジューラは、前回も紹介した通り、MESのもう一つの重要な機能である。こうした納期・顧客・数量のデータは、サプライチェーン関係の仕組みから入ってくる。MESの3層モデルが示すところである。

エンジニアリング・チェーンとサプライチェーン。MESがつながる相手は、これだけで十分だろうか。いや、まだある。

IoT技術が進展しつつある今日、MESの普及を阻害してきた現場の機械・制御系とのやりとりが可能になり、稼働監視や複数機械の連携制御、そして予防保全などが新たな期待となっている。それはつまり、MESが設備情報のマスタ・リストを持たねばならないことを意味する。工場の機械設備等のBOM構成・能力やプロファイルなどのマスタデータはどこから来るか。それは、設備に関するもう一つのエンジニアリング・チェーンからくる。多くの企業では、生産技術部門や保全部門などが主導し、工務部門や調達部門もかかわる業務の流れである。

他には? MESが現場作業者に指示を出し、制御系やPOPなどから工程実績をとれるようになると、次には工程別や個人別の生産性に目がいくと思う。「デジタル屋台」などはそれに非常に適した仕組みである。作業ステップごとに、組立作業時間の実績が分かる。こうなると、自分の目標値や自己ベストや職場のチャンピオンの時間との比較も可能になる。こうした生産性比較は、上手に使えば個人のモチベーションアップにつながる(もちろん、下手な使い方をすれば、単に全員を「競争馬の疲弊」に追い込むことにもなり得るが)。

ともあれ、こうなるとMESは人事や労務管理プロセスから、作業者のマスタ・データを受け取り、あるいは能力・実績を送り返す必要が出てくる。

まだある。製造現場には、顧客サイドからのフィードバックが入ってくることがある。主に品質に関する情報だ。顧客サービス部門が起点で、製造部門にまず入り、そこから設計をさかのぼって製品企画部門に至る、製品改善のチェーンである。5月にフィンランドで開催されたMPD 2017で、たまたまご一緒したIVIのエバンジェリストである富士通の高鹿初子さんは、これを「顧客サービスから製品企画に持ち帰るフィールド・プロセス」と呼ばれていた。よい言葉だと思うから、借りることにしよう。

MESには、フィールド・プロセスから来る品質に関するクレームや提案を、製品ロットやシリアル番号とともにインプットする機能も必要だ。

結局、それはMESが情報のハブになる、ということだ。これが、IoT技術の進展と共に、MESに起きる一つめの変化なのだ。従来のMES機能モデルでは、本社の上位系から計画情報を受け取り、実績情報を返す、と書いてきた。前々回で、わたしは「8の字モデル」をご紹介したが、そのバリエーションだ。ISA-95はもっと複雑だが、資材・スケジューリング・在庫といったSCM系情報が中心で、品質・保全系がサブに見える。だが今後は、MESは製造業における情報のハブとしての機能を、強化する必要があるだろう。もっと分かりやすくいえば、外部とのインタフェースがもっと増えるだろう。同時に、マスタデータの同期をどう図るかという、運用設計上いささか面倒な点も考慮しなければなるまい。
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もちろん、こうした機能の全てを皆がいつも必要とする訳ではない。また、MESパッケージがこれら機能全てを備えるべきだとも思わない。製造現場のニーズは多様であり、個別目的にフィットしたパッケージやモジュールを選んで組み合わせて使う、という風になっていくのではないか。それはプロセス産業で一足先に実現している姿だ。

さて、冒頭のX社の事例を見学しながら、わたしは10年近く前にかかわった別の企業のことを思い出していた。そこをY社と呼ぼう。Y社も個別性の高い多品種少量・受注生産形態の、機械のメーカーだった。受注の半分以上が、設計工程のある受注設計生産だったと思う。

Y社を思い出したのは、そこもやはり受注に当たってコンフィギュレータを活用していたからだ。かなり早い段階から自社開発していたと聞く。営業部門は引合いの段階からコンフィギュレータを使って型式選定や見積を行い、受注後は、自動的に標準製作部分と、追加設計の必要な部分に分けてE-BOMが出力される。部品の発注手配も、そこから行われる。設計部門が設計作業をおえてE-BOMを完成登録すると、システムが自動的にM-BOMに展開していく。なかなかすぐれた仕組みだった。

Y社の元々の構想では、M-BOMと図面情報から、工作機械(NCマシン)の加工プログラムまでつなげて、生産性を高めるはずだった。だが、Y社の製品は、部品点数や材料のバリエーションが非常に多く、またサイズも最初のX社の製品よりずっと大きい。結果として、マテリアル・マネジメントがいくつかの理由で混乱して、部品在庫が沢山あるはずなのに、欠品による納期遅れが多発していた。エンジニアリング・チェーンから自動的に製造管理の仕組みにつなげるアドバンテージを、生かし切れていなかった。何より、個別オーダーの納期管理の責任が、いくつかの部門間に分散されていた。

わたしは、社内に「受注コントロールセンター」的な機能を作って、納期管理を徹底させることを提案した。ちょうど空港の管制センターが、入ってくる飛行機に次々に指示を出して、限りある滑走路やゲートを割り当てていくように、個別のオーダーの指示とモニタリングを集中化するのだ。かなりの受注オーダーをさばくY社の業態には、こうした機能が必要に思われたのだ。だがそのためには、情報システム関係にもかなりの改変が必要になる。結局その提案は受け入れられずに終わった。

冒頭のX社は、PCベースの工場スケジューラを導入して、この問題を乗りこえようとしておられた。まだ工場の全工程まではカバーし切れていない様子だったが、その方向性はとても正しい。標準形はあれども個別性の高い要求使用を受けた受注生産を、マス・カスタマイゼーションと呼ぶ。そう。ドイツIndustry 4.0がターゲットにしている生産形態である。マス・カスタマイゼーションでは、製造全体をカバーするような、中央管制システムのような仕組みが必要なのだ。

そして、まさにIoT技術の進展が、それを次第に可能にしてくれている。これまで、現場の手作業やアナログ機械の状態監視ができなかった。また工場内を動く部品やワークの、所在や流れを追いかけることも困難だった。IoTのおかげで、そうした要求は、(コストのハードルはあれども)指呼の間に入ってきたのだ。Lower MESという言葉が出てきたように、MESが制御層と直接やりとりする界面がずっと広がった。今後は、MESと制御システムとのつながりはもっとシームレスになっていくだろう。そして工場全体の流れや動きがリアルタイム的に分かるようになるだろう。

MESの分野に起きる、もう一つの大きな変化とは何か。それは、MESと制御システムがより一体化して、工場全体の「中央管制システム」のような仕組みが生まれることである。従来からプロセス・プラントには中央制御室があり、そこから工場全体を監視し指示を出すことができた。ディスクリート系工場も、いずれ、似たような中央管制システムを持つようになるだろう。これがわたしの二番目の予想である。

もっとも、こうした予想に対しては、「欧米流トップダウン式の中央制御の仕組みは、日本のボトムアップな現場力を損なう」という反論があり得よう。読者はどう思われるだろうか?

でも考えてみてほしい。空港には管制塔がある。では、航空機の世界はトップダウンだろうか。飛行機の機長は、ただ上から言われたことをやるだけのロボットのような存在だろうか? そうではあるまい。たぶん、そういう意見は、中央に情報のハブを持つ仕組みと、軍隊式の命令服従型の組織構造を、なんとなくごっちゃにしている。冒頭のX社は、中央管制システムの実現に相当近い位置にいる。だが、現場の人はものすごく独自な知恵を出して、さらなる改善を続けているではないか。誰かがオーダーの最初から最後までを追いかけていることと、現場の創意工夫とは、まったく矛盾しないのだ。

わたしはむしろ、中央管制システムの実現に対して、もっと別の心配をもっている。それは、誰がこのような制御とITにまたがったシステムの構想を描き、設計をリードし、実装と運用の面倒を見るのだろうか、という問題だ。よほどの大企業だったら、工場にも情報システム部門があるだろう。だが普通の企業では、情シス部門は本社にいて、製造現場の泥臭いことには手を出したがらない。多くの工場では、生産技術や製造部の、「ちょっとパソコンに詳しい若手」が、片手間にその任に当たることになっているのだ。だがこんな大きな仕事、片手間でできるだろうか?

製造現場にIoT技術が広がる現在こそ、わたしは経営層に、こうした生産情報系への関心を持ってほしいと切望する。「ウチの現場力は外国に負けない」と自負されるのは結構だ。だがその現場力は、きちんとモノと情報が交通整理された工場ではじめて十分発揮できるのだ。

昨今、ものづくりの競争力のコアは製品開発にある、製造は単なる力仕事だ、といった通念がメディアで流布しているように思う。冗談言わないでくれ、というのがエンジニアリング会社で働くわたしの率直な実感だ。経営者はもっと製造現場を見て、そこで働く人達の悩みを理解してほしい。せめて聞く耳を持ってほしいと思うのだ。

それを怠ったら何が起きるかって? いうまでもない。ここに書いたこと、これまで3回にわたって縷々説明してきたことは、すべて日本にも外国にも共通した話なのだ。放っておけば、必ずや頭の良い外国人達が、情報のハブとしてのMESと、MESによる中央管制システムの仕組みを、実現していくだろう。それが第4次産業革命のコア技術となるのだ。いや、そればかりか彼らは例によって、勝手に標準規格を作って、押しつけてくるかもしれない。そして日本はまた、その動きを後追いすることになりかねまい。

そういう受け身の状態を、わたしはこれ以上見たくない。だから、こうした予測や議論を共有したくて、記事に書いているのである。まあこんなサイトに書いたからといって、経営層の人が見る気遣いはあるまい。しかし、読者の中には心ある技術者の方がいて、こうした意見を含め上申されるかもしれない。わたしはいろいろと足りない人間だが、言葉を連ねる能力だけは、多少あると思っている。

多くのエンジニアは、寡黙である。寡黙なるが故に、力量があっても理解されない。せめてわたしは、声なき技術者にかわって、言挙げし続けようと思っている次第である。


<関連エントリ>
 →「IoT時代のMESをもう一度考え直す 〜 (1) MES普及を妨げたもの」 http://brevis.exblog.jp/25991822/ (2017-08-19)
 →「IoT時代のMESをもう一度考え直す 〜 (2) MESの機能と階層を理解する」 http://brevis.exblog.jp/26007261/ (2017-08-27)
 →「部品表と工程表」 http://brevis.exblog.jp/25634844/ (2017-03-22)

# by Tomoichi_Sato | 2017-09-04 23:28 | サプライチェーン | Comments(0)

IoT時代のMESをもう一度考え直す 〜 (2) MESの機能と階層を理解する


前回の記事(http://brevis.exblog.jp/25991822/)で、IoT技術の発達はMES(Manufacturing Execution System=製造実行システム)にどのような影響を及ぼすかを考えたい、と書いた。MESの概念が提唱されてから、すでに20年がたつ。その間、限られた一部の業界を除くと、MES自体はあまり大きく広まらなかった。そのボトルネックが、製造現場の機器や人との通信インタフェースにあったことも、前回書いたとおりだ。

そもそも、MESとは何か。どのような機能を持つITシステムなのか。これをきちんとおさえないことには、IoT技術のインパクトも論じられない。MESの持つべき機能については、MESA Internationalが早くから「MESの11機能」を定義していた。「MES入門」の中村実氏の解説を元に列挙すると、次のようになる。(なお、日本語だけだと誤解されかねない部分があるので、元の英語も併記した)

(1) 生産資源の配分と監視 Resource Allocation & Status
 生産資源の監視・管理、資源の配分と予約、資材や設備の監視・管理、などを行う。なおここで生産資源とは、人・機械・治具・金型など、それがないと製造ができないが、材料と違い製造後にも残って他の仕事に使えるものをいう。

(2) 作業のスケジューリング Operations/Detailed Scheduling
 スケジューリングの策定、ロットの発番とリリース、実績の把握に基づくスケジュールの修正。この部分だけを見ると、いわゆる工場スケジューラの機能である。

(3) 差立て・製造指示 Dispatching Production Units
 差立て(ディスパッチ)、製造指示の発行、ロット(現品)管理、現場作業員に対する作業のガイダンスを行う。このうち、製造指示書の発行と差立ては、中堅以上の工場ではどこでもほぼIT化されていると思う。

(4) 仕様・文書管理 Document Control
 仕様・工場モデルの設定・管理(BOM、SOPを含む)、製造記録の管理、ペーパーレス・オペレーションなどを行う。なおSOPとはStandard Operating Procedureの略で、「標準業務手順書」のことである。医薬・食品など品質管理を厳密に求められる分野で重視される。

(5) データ収集 Data Collection Acquisition
 作業報告・POP、データ収集・蓄積などを行う。日本の現場では、作業報告はおおくは日報の形で記録され、翌日上がってくるのが普通だろう。POPとはPoint of Productionの略で、流通業界でPOS(Point of Sales)システムとよばれるものの製造現場版だ。つまり、作業の着手と完了時に、指示書のバーコードをスキャンして、どこの誰が何をいつやったか、リアルタイムに収集する仕組みである。
 他方、「データ収集」(Data Aquisition)と英語で言う場合は、制御系のDCS/PLCなどからタイムスタンプ付きデータを、リアルタイムに自動的に転送してくる仕組みを普通いう。

(6) 作業者管理 Labor Management
 作業者管理・セキュリティ管理などを行う。といっても勤怠管理や現場のゲート・コントロールなどは普通、別に仕組みがあるはずだろう。

(7) 製品品質管理 Quality Management
 統計的品質管理、品質情報の蓄積と管理、品質分析・解析の支援、顧客サービスの向上などを行う。

(8) プロセス管理(工程品質管理) Process Management
 通常のプロセス制御、高度なプロセス制御(工程間制御、フィードフォワード、モデル予測制御など)、例外状況のアラートなどを行う。

(9) 設備の保守・保全管理 Maintenance Management
 保守・保全管理を行う。なお、この部分だけに特化したCMMS(Computerized Maintenance Management System)というパッケージのソフトウェアも存在する。

(10) 製品の追跡と製品体系の管理 Product Tracking & Genealogy

(11) 実績分析 Performance Analysis
 レポート作成、分析作業支援、進捗管理、出荷予測を行う。

・・以上だが、読んでいて、なんだか分かりにくいと思うのはわたしだけだろうか? たとえば、通常のプロセス制御(フィードバック制御など)が、なぜ (8) Process Management機能の一部なのだろうか。これは制御層の仕事ではないのか? また、トレーサビリティ関連の機能が(3)(7)(10)に分散しているように見えるのはなぜだろうか。どうも今ひとつ、自分の頭の中ですわりがわるいのである。

そこで調べてみると、じつはMESの機能モデルはこれだけではないことがわかる。

たとえば、ISA-95 (IEC/ISO 62264)という標準規格がある。ISA-95は、ビジネス(経営)ドメインと製造ドメインとのインタフェース仕様を定めたもので、その中には以下の12の生産関連機能が書かれている(番号はわたしが勝手にふった整理番号である)。

ビジネスドメイン:
 1 オーダ処理、
 2 製品原価管理、
 3 製品出荷管理、
 4 マーケティングと販売、
 5 研究開発および生産技術、
 6 調達、
製造ドメイン:
 7 生産コントロール
両者の境界線にまたがる機能:
 8 生産スケジューリング、
 9 製品在庫管理、
 10 品質保証、
 11 保全管理、
 12 資材およびエネルギー管理

ビジネスドメインと製造ドメインにまたがる機能がMESの役割と考えると、スケジューリング、在庫、品質、保全、資材・エネルギーの5(6?)種ということになる。ただこれらは「お仕事の機能」であって、IT機能モジュールという意味ではないので注意。

ほかに、あまり知られていないが、日本発の標準化を目指した製造科学技術センター(MSTC)の「オープンMES」の9機能というのがある。

1 製造指示管理、
2 工程管理、
3 設備管理、
4 資材管理、
5 搬送管理、
6 製品仕様管理、
7 スケジュール管理、
8 工程仕様管理、
9 保守管理

ISA-95と比較すると、搬送管理や工程仕様管理が入っている点が目をひく。こちらはさらに、製造現場に立脚したモデルという感じを受ける。ただオープンMES自体は、実証目的で試験的実装まで行われたが、技術的及びマーケティング的理由で、現実には広まらなかった。

ところで、ARC Advisory Group(米国の製造業系ITの調査コンサルティング会社)のつい最近の調査レポート:
ISA-95 Integration Standards: Evolution, Revolution or Irrelevance
を読んでいたら、興味深いことが書いてあった。著者はIoT技術の普及進展と共に、MESがいかに影響を受けるかを論じていて、とくにISA-95規格が「進化するのか変革されるのか、それとも無関係なのか」と問うている。その中に小さな図が一つはいっていて、例の3層モデル風の絵が描かれているのだが、そこではMESをさらに

 - Upper MES
 - Lower MES

に分けているのだ。Lower MESは、制御層に一部食い込んでいる(ISA-95はパーデュー大学が開発した機能階層モデルを採用しているので、「制御層」という言い方はしないが)。上位MESと下位MES? 似たような表現を、別の制御ベンダー資料でも見たことがあった。
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いったい、Lower MESとは何か。それは制御層の機能を抱え込んでいるか、切れているのか? これは、上記MESA Internationalの(8) プロセス管理 Process Managementで感じた違和感にも通じている。そもそも、本社機能と現場をつなぐのがMESシステムではなかったのか。だったら現場の機械を動かす制御が、どうしてMESの一部なのか。

こういうヘンテコな現象がMESの機能モデルで生じるのは、じつは理由があるのだ。それは、上述のアメリカ発の標準体系が、ディスクリート系とプロセス系の両方を取り込んだ結果なのである。彼らは抽象化と汎用化を強く志向する人達なので、どんな製造業にも当てはまるモデルを求めたのだろう。だが、それが混乱の元だった。両方をそれなりに見てきたわたしの意見では、プロセス系と組立加工(ディスクリート)系は、制御層の構造がものすごく違っているのである。

簡単に言うと、プロセス産業では、制御レベルで工場(製造ライン)全体が統合されている。プラントにはDCSというシステムが中央制御室にあって、そこから工場内の全てのできごとが監視でき、また主要な機器・バルブなどを操作できるようになっている。

ところが、ディスクリート系では制御が機械単位で行われているのが普通だ。現場に製造機械がある。それのモーションを制御するPLCは、機側盤の形ですぐ横についていて、オペレーターはそのパネルから操作するのが普通だ。搬送機器なども同様である。だが、工場レベルではバラバラだった。前回書いたように、建物の一歩外に出ると、中の機械が動いているか止まっているのかさえ分からないのである。

これではこまるから、複雑な機械作業の連動が必要な半導体や液晶や医薬品工場では、MESが発達したのだ。MESが各機械・設備を統括し、連動して工程間制御の指示を出す。だからMESの中に制御的な機能が入ってくるのである(いわゆるLower MES)。これはプロセス系MESではほとんど不要なことだった。

現場センサーの接続についても、状況はまったく異なっている。プロセス系では、現場の圧力計のトランスミッターと、中央制御室のDCSのメーカーが違っていても、つながってあたり前である。通信がつながるかどうかの心配なんて、誰もしない。もう何十年も前からそうなのだ。だがディスクリート系では、長らく、つながること自体が技術力の証だった。「つながる工場」といったって、つながり度が全然違うのである。

だから制御システム業界では、プロセス系をPA(Process Automation)、ディスクリート系をFA(Factory Automation)と呼び、社内的に区別してきた。技術の考え方がまったく違うからだ。

プロセス系とディスクリート系は、製造における仕様や品質管理の思想も違う。このことは、強調しておいた方が良い。ディスクリート系では、モノに属性がある。また、モノに(やろうと思えば)シリアル番号をふれる。それが当たり前だと、皆、思っているだろう。なぜなら、扱うモノが個体で、混合しないからだ。

だが、プロセス系では、モノではなく、ライン(配管内の流れ)に属性がある、と考える。なぜなら扱うのが流体や粉体で、任意の比率で混合するからだ。そして混合比率も性状も、経時的・連続的に変化する。ただしプロセス系といっても、連続生産でなくバッチ生産の場合は、品質的に均質と言える範囲をロットと定義して管理する必要があるが。

ともあれ、無理に木に竹を接ぐと奇妙なモデルが生まれる。これが、「システム・モデラーが天職」を自称するわたしの、MES標準化活動に関するいささかゴーマンな主張である。もちろん、プロセス系とディスクリート系の境界領域は存在する。わたしのいう「切替型連続生産」業種で、上流はプロセス、下流はディスクリートになる。こういった領域ではモデリングにも細心の注意が必要だと、わたしも思う。

それで、主題はIoT時代のMESの将来であった。わたし自身は、プロセス系のMESについて、すでに「MES入門」「MES活用最前線」でいろいろ書いてきたので、この記事ではあえてディスクリート系のMESについて論じよう。IoT技術が現場とのつながり方を速く広くしてくれたことで、MESはどうなるのか。MESとは工場の製造管理者(工場のホワイトカラー層)を助ける仕組みである、というのがわたしの前提である。一部の欧米人は、本社が直接、MESで製造現場を指示統制できれば製造管理者など不要になると空想しているかもしれないが、わたしはそうは考えない。

その前提の上で、わたしはMESに二つの変化を予想している。だが、今回も問題整理で長くなりすぎてしまったようだ。変化の方向性については、稿を改めて、次回書く。


<関連エントリ>
 →「IoT時代のMESをもう一度考え直す 〜 (1) MES普及を妨げたもの」 http://brevis.exblog.jp/25991822/ (2017-08-19)
 →「工場計画論(6) ディスクリートとプロセス--製造業の分類学」 http://brevis.exblog.jp/12850087/ (2010-06-23)



# by Tomoichi_Sato | 2017-08-27 12:54 | サプライチェーン | Comments(0)

IoT時代のMESをもう一度考え直す 〜 (1) MES普及を妨げたもの

2000年に、中村実氏ら何人かと共著で『MES入門―ERP、SCMの世界と生産現場を結ぶ情報システム』を上梓した。わたしが担当したのは第3章「MESを中核とした垂直統合 -プロセス産業のケース-」というセクションだ。製造業、それも製造現場の情報システム化という地味なテーマの本だったが、一応、それなりの評価を得た。類書が少なかったせいもあるだろう。いまでも、あの本を読みましたよ、という方から声をかけられたりする。

ここで一応、MESとは何かについて、おさらいをしておこう。何年か前に、その名も「MESとは何か」という記事も書いたが、MESとはManufacturing Execution Systemの略で、日本語では「製造実行システム」とも訳される。だが、普通は「製造管理システム」とよんだり、あるいは略称のままMES(メス)ということも多い(ただし英語ではエム・イー・エスとスペルアウトして読むのが正式である)。

製造業のことを良く知らない人は、MESと「生産管理システム」とをよく混乱しがちだが、別のものだ。生産管理システムは全社レベルで、製品別の生産・在庫・出荷などを計画し、部品材料の調達を決め、実績を集計する。さらに原価や収益を計算したりする。だからお金に関わる人達、つまり経営者や営業部門や会計部門も、そのアウトプットを見たりする。だがこうした人達がMESの画面をのぞき込むことは、まずない。

MESの概念は、1993年に、米国の製造業向け調査コンサル企業であるAMR Research社が提唱した、3層モデルに端を発する。AMRは、製造業の機能を、
・主に本社が担当する「計画層」、
・主に工場が担当する「実行層」、
・機械等が働く「制御層」、
の3レベルにモデル化した。しかし最上位の「計画層」という言葉は分かりにくいので、「ビジネス層」と読み替えても良いと思う。ここを担うITシステムはERPである。また最下層の制御レベルで動くのは、たとえばPLCやDCSなどのシステムである。

AMRはその上で、ビジネス層(ERP)からの計画・要求を、現場の機器・制御層(PLCなど)レベルにつなぐ中間層の機能が、IT的な<ミッシング・リンク>(失われた環)になっていると指摘した。そしてこの部分を担うシステムを、Manufacturing Execution System = MESとよんだのである。

わたしは90年代の半ばから、海外プロジェクトでプロセス産業におけるERPとMES層の仕事に、従事してきた。その経験を元に上述の『MES入門』第3章を書いたのだが、その中で「8の字モデル」という概念を提案した。これはAMR Researchの3層モデルを元にしつつ、意味的には換骨奪胎したものだ。AMRは米国流トップダウンの経営思想で、本社の要求を現場に落とし込む、つなぎ機能としてMESをとらえた。だが、実際の現場を見てきたわたしには、MESはオートメーションにおけるミッシング・リンクというよりも、製造管理者の仕事を助ける道具である、という主体的な位置づけの方がふさわしいと思えた。ちなみに製造管理者とは、工場の製造部門のホワイトカラー層のことである。
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「MES入門」第3章より

さて、わたし達はさらに前述の本の姉妹版として、2004年に『図解 MES活用最前線―実践事例でわかるMES(製造実行システム)導入のポイント』という本を上梓する。この中で、かなり幅広い業種・企業から、MESによる製造現場情報化の事例を集めて紹介した。

この本には、自動車会社のALC(アセンブリー・ライン・コントロール)システム、フォークリフト製造会社の工場全体をカバーする本格的MES、そして、今や製品に内蔵したIoTシステムで有名になった建設機械メーカーのMESなど、さまざまな事例が図解付きで紹介されている。なお最後の建機メーカーのMESは、現場への指示中心でPOP的だが、現場ユーザが音声でシステムに指示を出すという点でかなりユニークな事例である。ただ、あいにく出版元の工業調査会自体がすでにないため、どちらの本も今やかなり入手困難だ。

さて、それから10年以上の歳月がたった。では、MESに関わるものごとは、どれほど進展したのか? 

工場にMESがあることが当然であり、MESが製造のほぼ全域をカバーしている、という業種は、2004年の刊行時点では、
  • 半導体工場、その応用として一部の液晶関連工場
  • 石油・化学工場
  • 医薬品工場
  • 自動車組立工場(アセンブリー・ライン)
などであった。それ以外は、製造の情報化について、部分的なトライアルが行われている、一種の事例集であった。

その事態は、2017年の今も、あまり変わっていないように思える(少なくとも日本では)。たしかに17年間でMESソフトウェア情報や、ベンダーの勢力地図は変わった。海外ITベンダーからは、今や、より統合的な(そして高価な)MESパッケージが販売されている。ただし、日本ではあまり売れていないらしい。

こうした新しい仕組みの普及度については、ざっくり三種類に分類できると思う。

(1) 一番上に来るのは、『必須レベル』である。
「それがない工場は考えられない、それがないと製造の仕事が回らない」というくらい、仕事に組み入れられている。たとえば会社のITならば、会計システムだろう。今どき、そろばんと電卓で経理している企業はもう、ない。あるいは車にたとえるなら、オートマチック・トランスミッションか。今どき、新車の98%はAT車で、マニュアル車は例外に近い。

(2) 二番目は、『普及レベル』だ。
「普通はある。ただし、なくてもなんとか仕事は回せる」がこのレベルである。車でいえば、カーナビだろうか。製造業ならば、販売管理(受注管理)システムだ。これがないと、受注番号(製番)を起こせないし、出荷遅れや請求漏れも生じかねない。あるいは設計系ならば、CADシステムだろうか(ただし、3D-CADとなるとあやしいが)。

(3) 三番目は『オプションレベル』だ。
「先進的な工場にはある。あると仕事に優位性や効率性が出る」という種類のものである。口さがない人からは、趣味だとか、好きものだとかよばれかねない。車なら自動ブレーキ、さらには夢の自動運転か。
そして、明らかにMESはまだ、このレベルにいる。

だが、なぜMESは普及しないのか?

一昨年のこと、わたしが所属する「ものづくりAPS推進機構」の委員会で、ある会話に衝撃を受けた。それは、多くの製造現場で使っている自動化された工作機械、NC(数値制御)やMC(マシニングセンタ)に関することだった。こうした高価な自動機を制御するPLCの外部通信インタフェースは、いまだにRS-232Cが主流だというのだ。RS-232C! それって、1980年代に、パソコン通信で使っていた低速のシリアル通信規格ではないか。

いや、その場にいた某大手PLCメーカの人は、「RS-232Cがついていればいい方です。旧いマシンのPLCになると、外部I/Fすらついていませんから」というのだ。だから複雑な加工のどこまで進んだかを、リアルタイムでモニタリングできない。進捗管理はある意味、ショップ・フロア・コントロールの柱だが、それができるようになっていないのだ。まあ、メーカー側ももう少し高機能なNC用I/Fは開発して出している。だがそれもPLCメーカーごとに規格が違う。

その場の話では、ドイツではこうしたI/Fは標準化が進んでいて、どこの工作機械メーカーをもってきても、すぐにつないでリアルタイムに機械の状態を監視できるということだった。わたしはしばらくディスクリート系(組立加工系)の仕事から遠ざかっていたので、日本でこうした状況が続いていることに驚いた。

しかし、NCマシンの切削状態監視どころではない。多くの組立加工系の工場では、工場出入口の扉を後ろ手に閉めて、建物の一歩外に出ると、中の機械が動いているか止まっているのかさえ、分からないのである。最近見た、日本の製造業をリードする自動車産業のTier-1サプライヤーでさえ、いまだにそうなのだ。

ただ、それでこまらなかったのは、カンバン方式に代表されるトヨタ生産システム(TPS)を実現しているためである。トラブルがあっても、「アンドン」で見える化し、現場で近くにいる人がすぐ問題解決するのが、TPSの思想である。だから建物の外から機械の稼働をリモートで監視する必要はない。NCマシンの通信I/Fが古いシリアル通信のままなのも、そういう思想が理由なのだろう。加工プログラムだけNCに送れればいい。加工中に問題が起きたら、現場の多能工がトラブルを解決する。

それは、現場の技能員が優秀ならば可能なやり方である。だからトヨタは「ものづくりは人づくり」と主張し続けているのだろう。だが、「それはトヨタ系だからできること」と、知り合いの中小企業経営者はいう。彼の会社では、現場の人にとてもそんな能力は期待できない。だから、「問題が起きたら俺を呼べ」と、つね日ごろいっているそうだ。

それにしても、現場カイゼンの得意なJITコンサルタント流のIT不要論をきいていると、まるで「熟練のドライバーなら、マニュアルミッション車を上手に運転できるし、地図も頭に入っている」という主張を聞いているようだ。なるほど、たしかに熟達の人ならば、ATやカーナビ的なシステムは不要だろう。だが、「その熟練の技、どうやって海外展開するんですか?」 と聞きたくなる。

いや、その前に、「どうやって後輩に伝えるんですか?」といいたい。・・だいたい今どき、工場に好きこのんで働きに来てくれる、優秀な若者ってどれだけいるの? 夏暑く冬寒い、外気開放の鉄骨スレートの建物の、油煙舞い立つ職場に、誰が来たがるのか。これからの工場というのは、むしろ、見学した人がみな、「ぜひここで働きたい」と思う環境でなければいけないのではないか。そう思うのだ。

いや、つい話がそれた。

製造管理に話題を戻すと、いくら現場が優秀でも、一つの現場だけでは解決しきれない問題、判断しがたい指示変更はいくらでもあるはずだ。複数工程にまたがる変更や、負荷のアンバランスなどである。そして週単位・月単位での、品質や生産性や労働安全の傾向などもそうだ。わたしの言い方でいうと、現場の個別問題は「技術的問題」である。他方、いわゆる「パフォーマンス問題」をこそ、製造管理者は発見し、解決しなければならない。

以前からMESが当たり前に導入されてきた、半導体、液晶、石油・化学、医薬品に共通することは何か。それは、製造エリアがクリーン度を要求される、あるいは危険物質を扱い防爆が必要など、現場作業に人手をかけにくいことだ。結果として、機械設備リッチな工場になる。製造のみならず搬送を含めて、広範囲に自動化される。

こういう工場は、機械との通信I/Fを含めてMESを入れやすい。むしろMESがないと工場が動かない。最初からMESの存在を前提に、工場レイアウトも設計される。だから、「製造現場を後からスマート化する」発想では、そもそもないのだ。ただ、自動車工場の最終組立ライン用ALCシステムはやや例外で、人による組み付け作業が中心になっている。しかし多数の部品と指示からなる複雑な製造システムであることは、共通である。

結局、MES普及のボトルネックはビジネス層とのつながりではなく、制御層・製造現場との接続だった。

ではなぜ、現場の機器・制御層とつなげなかったのか?。ひとつには工場の既存設備の問題があるだろう。機械制御用PLCのI/Fが乏しいばかりか、PLCを持たない単純機械や、手作業もかなり介在する。

またIT技術的な問題もある。工場内の適切な通信プロトコル標準がまだ存在しない。ネットワーク一つとっても、まだベンダー間のバトル状態である。それにセキュリティ対策の懸念もある。

そして、規制や商習慣の問題もある。電気・空調・消防系設備のシステムは、いわゆるビル・マネジメント・システム(BMS)とよばれる領域であり、製造系システムとは別業界で、共通I/Fもない。また仮に製造機械が外部からネットワークでつながったとしても、機械メーカーが外部からの制御を歓迎しない、などがあげられる。

かくして製造管理者と現場との間には、壁ないし岩盤があったのだ。そして、だからこそここに、IoT技術登場のインパクトがある。ようやく、センサーやSCADAを介して、機器やデバイスレベルのデータをとれるようになったのだ。

では、それはどのようなインパクトなのか? 長くなってきたので、続きは次回書こう。


<関連エントリ>
 →「MESとは何か」http://brevis.exblog.jp/14886701/ (2011-06-02)


# by Tomoichi_Sato | 2017-08-19 23:57 | サプライチェーン | Comments(0)

納得する、ということ

親戚の娘さんが大学受験の年を迎えた。高校からは、ある女子大に推薦をしてくれると言う。でもその娘さんは推薦入学できる大学に不満を感じた。自分はもう少し上をねらいたい。そこで推薦を断って、あえてもっと上のレベルの大学の受験をチャレンジした。

しかし残念ながら、その年の受験は不本意な結果に終わった。彼女は浪人してもう1年間勉強のチャンスをくれるよう、両親を説得した。ずいぶん前の話で、女子が浪人する事に対し、今よりも抵抗があった頃の事だ。

そして予備校に通って、1年後、今度はかなりの数の大学を受験する。でも、結果として彼女は1校を除き、全て落ちてしまった。唯一受かったのは、なんと彼女が1年前に高校の推薦を断った大学だった。結局、その女子大に入学することを決めた。

親戚の叔母が久しぶりに彼女に会って、その顛末を聞いたとき、こう尋ねたそうだ。「それで、〇〇ちゃんは納得しましたか?」

--納得しました。

「そう。それならよかった。納得できるということは、とても大切ね。入学おめでとう。」

この話を後に聞いて、感銘が深かった。というのも、その叔母さんこそ、もっと古い世代の女性で、戦後初めて共学化された国立大学に入り、その後も職業婦人として、自分でずっと道を切り開いて生きてきた人だったからだ。男尊女卑の弊風の強い特殊な技術社会に入り、偏見と闘いながら、孤軍奮闘してきた。公正なチャンスを与えられていたかどうか、わからない。だが彼女こそ、自分が納得できるように生きてきたのだった。

納得とはなんだろうか。納得は単なる理解とは違う。身をもって知る、腹落ちする、に近い。人がいちど納得した事は、二度と忘れない。教室で聞いた知識は、片端から抜け落ちていくものだ。だが納得した事は、行動に移せる。応用できるようになる。

相手が納得しなければ、説得とは言えない」という言葉もある。交渉の場、たとえばエンドユーザに何かの機能は不要だと説得する場面は、よくある。このとき、理路を尽くして相手に説明し、相手が一応了承したとしても、相手が「納得」していないと、いつかまた蒸し返してきたり、あるいは別の場面で逆襲してきたりする。

理解とはアタマで分かることであり、納得とは感情をともなって分かることだ、という人もいる。そうかもしれないが、純粋に知的なことでも、納得する経験はある。たとえば、数学みたいな分野でも。

相関係数という概念がある。

二つの量について、いくつかの測定値があったとしよう。たとえば日ごとの気温とビールの消費量でもいい。数式風に表現するなら、(x1, y1), (x2, y2), (x3, y3)...という風に表記できる。下の散布図には、7つの点がプロットしてある。このペアになった二つの変数の間に関係はあるのか、ないのか。それを相関係数Rであらわせる。相関係数Rを計算し、それが0だったら、両者の間は無相関、つまり関係がない。相関係数が1だったら、xyは完全に依存関係がある。また逆に-1だったら、逆相関、つまりxが増えるとyが必ず減る、という関係にある。相関係数Rはマイナス1からプラス1までの間の値をとる。

・・とまあ、こういう説明が統計学の教科書にあり、さらにxの標準偏差Sxyの標準偏差Sy、そしてxyの共分散Sxyという量を使って、R = Sxy / (Sx Sy) という計算式が定義してある。だが、数学が今ひとつ苦手なわたしは、この式を読んでも、ピンとこなかった。なぜ、それが-1から1の範囲に入るのか。無相関が0になるのは、なぜなのか。手順に従い、計算自体はできる。計算ソフトだって、Excelをはじめ、いくらだってある。結果を解釈することもできる。事実、卒論ではそうした。だが、腑に落ちなかった。

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ところで、その後、ある本を読んでいて、全然別の説明を見つけた。散布図は2次元に7つの点を打っている。だが、このデータを、(x1, x2, … x7), (y1, y2, … y7)という風に、7次元の二つのベクトル、と考えてみる(正確には、平均値からの偏差ベクトルをとる)。右図のように、7次元空間の中でこの2本のベクトルの角度をθとすると、両者の内積は公式から、
X・Y = |x| |y| cos θ になる。

相関係数Rとは、この式のcos θのことだ、というのがその本の説明だった。相関係数とは、二つの変量を表すベクトル同士の角度のコサインを表す。コサインだから、-1から1の範囲の値をとる。二つのベクトルの向きが全く一致しているときは、θ = 0だから、相関係数cos θは1になる。二つのベクトルが正反対の方向のときは、角度θは180度だから、相関係数cos θ = -1だ。そして両者の角度θが直角、つまり互いに全く度理屈だと、相関係数cos θ = 0になる。

こう説明されて、ようやくわたしには相関係数が納得できた。だとすると、相関係数が0.7ということは、二つのベクトルの角度は約45度、相関係数が0.5だと60度ということで、かなりバラバラの向きを向いている。なるほど。それどころか、こうした関係が分かると、多変数の因子分析だって、つまりは変数間の共分散構造を調べているのだ、という風にとらえることができる。直感型のわたしには、空間のイメージが理解の鍵だったのだ。

わたしはものごとを理解するのが遅いたちだが、それは、こうして一歩一歩納得しないと、なかなか前に進めないからだ。そのかわり知識や概念の場合、いったん自分が納得できると、他のことの理解に応用できるようになる。知識を応用するためには、納得が必要なのだ。

それと同時に、わたしはときどき、世間の頭のいい人達って不思議だ、と感じることがある。教科書に書かれたこと、先進国でいわれていること、メディアで流通している知識や解釈などを、割とスムーズに受け入れて、覚えていく。わたしが納得できずにまごまごしている間にも、そうした最新知識やらを人に語ったり使ったりしていける。すごい能力である。

わたし自身は、「コストセンター」だとか「品質」 だとか「進捗」だとか、世間で常識と思われている概念を一つひとつ確かめずにはいられないし、それをここに書いている。だが、こうした行為はある意味、皆が受け入れている知的通貨を、自分一人が疑っている訳で、かなり生意気な態度だと思われているかもしれない。うーむ。実は不器用なだけだが。

ところで、納得という言葉は、知識だけではなく、自分の決断の結果に対しても使う。

最初の娘さんの事例を思い出してほしい。彼女は、自分の意思で、浪人して勉強した。そしてその結果に納得したのだ。

ただ、誤解して欲しくないのだが、それは大学受験における学力のレベル判定がどこも極めて正確で、それが高校の判断に一致していたのだ、と言う意味ではない。逆である。入試の当落線上においては、むしろかなり運・不運が左右する。試験の内容、その日の体調、ライバルたちの存在など。第二志望に落ちて、第一志望に受かると言うことも、ときどきあることだ。だからその娘さんが納得したのは、自分の偏差値レベルについてではない。

そうではなく、彼女はできる限りの努力をしたので、その結果を受け入れられるようになった、ということなのだ。もし彼女が、高校の勧めるまま推薦入学で最初の大学に入っていたら、どうなっただろうか? たぶん、「自分ならもっと上の大学に行けたはずだ」「無理してでも試験を受ければよかった」、などとさんざん悩んだことだろう。あるいは、回りの同級生をみて、(自分はこの人たちとはホントは違うのだ)と、内心思ったかもしれない。それは、成長において決して良い結果ばかりをもたらさなかったろう。

何かを「しなかった」ことの後悔は、いつまでも心を酸のようにむしばんでいく。だが何かを自分の意思で選んだ場合は、結果としてかりに痛い思いをしても、いつかは乗りこえることができる。

彼女は自分が決めて選んだことに対して、一所懸命に努力したのだろう。合格・不合格はある意味、結果でしかない。だが、必死にチャレンジしたならば、どんな結果になろうとも、それを後悔することはあるまい。人事を尽くして天命を待つ、と言う心境に近い。そうすれば、結果に納得することができる。運不運を含めて、結果を受け入れられるようになる。

知っていることと納得することは違う。

納得感とは、自分の得た知識が、自分の世界観の欠けたピースにぴったりとハマったり、あるいは、自分の決断が価値観を補強してくれた、という感覚を得ることだ。だから行動にうつせるようになるのだ。誰も自分で納得したことでなければ、実行できない。人を動かしたかったら、納得してもらう必要がある。自分で自分を動かしたかったら、自分が納得できるようするしかないのだ。

ところで、「納得」(なっとく)という変わった音読みをするところをみると、これは仏教用語ではないかと思って調べてみると、どうやらそうらしい。仏教では出家して仏名をもらい、剃髪して僧侶になることを「得度」と呼ぶ。納得とは、この得度式を納めた、という意味らしいのである。出家するとは、自分の人生は無限ではなく、限りがあることを認めて、覚悟することである。つまり、納得とは覚悟を決めて生きようとすることなのだ。

わたしも今年、新しいチャレンジを仲間と広げようとしているところだ。それは現代のビジネス社会の中で、ともすれば過大なプレッシャーをかけられ、消耗しがちな技術者たちを応援するための取り組みだ。やるからには、せめて自分で納得がいくように努力したいと思っている。


<関連エントリ>
 →「コストセンターとは何か」(2013-03-11) http://brevis.exblog.jp/19929083/
 →「品質とは(本当は)何だろうか - (1) 問い」(2012-04-18) http://brevis.exblog.jp/17805452/
 →「進捗を把握する3つの方法」(2010-06-13) http://brevis.exblog.jp/12797525/



# by Tomoichi_Sato | 2017-08-11 23:45 | 考えるヒント | Comments(2)

物語の力と、その危険性

「ニネヴェの街に行くには、この道でいいだろうか?」

靴職人のヨナが目を上げると、見知らぬ旅人が立っていた。旅人の服は奇妙なことに、上から下まで縫い目が一つもない。ヨナがこの道だと答えると、旅人は謝礼を手渡し、消えるように去る。見ると銀貨十枚だった。思いがけぬ臨時収入を得たヨナは、仕事を切り上げ、滅多にいけぬ上等な酒場に行くが、汚れた仕事着のままの彼は、すぐ店を叩き出されてしまう。

ヨナは仕方なく古着屋に入り、仕事着の代わりを探す。すると古着屋が出してきたのは、たった今旅人から買ったという、縫い目のない衣だった。ただならぬ予感を感じながらその衣をまとい、酒場で泥酔したあと道にへたりこむヨナに、真っ暗な闇の中で神の声が幻聴のように聞こえてくる。

「立って、かの大いなる街ニネヴェに行き、よばわりてこれを責めよ。40日にしてニネヴェは亡ぶと・・」

−−『エホバの顔を避けて』(丸谷才一・著)の物語は、こんな風にはじまる。元になっているのは、旧約聖書にある「ヨナ書」である。この預言書は短いが、珍しくも神と預言者の相克を描いて、古来多くの作家の想像力を刺激してきた。

預言者とは「神の言葉を預かった者」の意味で、占いの予言者とは違う。ヨナ(英語読みはジョナ)は、堕落した大都市ニネヴェ(現在のイラク、モースルの近く)に厳しい審判を告げる言葉を託されるが、「そんな大役は荷が重すぎる」といって神から逃げ回る。そのあげく海で大魚に飲まれ、三日三晩その腹の中にいて吐き出され、ようやくあきらめてニネヴェに赴く。破滅の予告をのべ伝える者が、歓迎される訳はないと覚悟しつつ・・

預言という仕事は、変哲もない普通の人間が突然、神に呼ばれて、託される。預かるのはしばしば糾弾、世の人びとが聞きたくもない正義の糾弾である。かくて預言者は、世と対立することになる。ヨナが怖れたのはこれだ。英雄的でも何でもない普通の個人が突然、大いなる意思によって劇的な運命に巻き込まれ、日常から引き離されて、重すぎる任務を負って生きなければならない。ヨナ書が浮き彫りにしたのは、このようなストーリーの祖型であった。

良くできた物語は、人の想像力を強くかきたてる。わたしはこれを「強い物語」と呼んでいる。西洋人にとってはヨナ書の他に、モーゼのエジプト脱出だとか、キリストの受難などがある。シェークスピアの書いたハムレットも、強い物語なのだろう。我々なら、義経の逃亡や信長の戦記、あるいは忠臣蔵といったところか。こうした物語は、個性の強いキャラの配置と、カラフルなエピソードが連なり、随所にテーゼや教訓がはさまれている。

強い物語からは、多くの二次創作物が生まれる。上の小説もその一つで、縫い目のない衣を着た旅人云々は、丸谷才一の創作である。物語は人間の感情に訴えかける力を持っている。

さて、子どもを育てて分かったことが、一つある。それは、人が育つには物語の力が必要、ということだ。子どもやティーンエイジャーのころ、まだ定まらずに危うい自分を支えるには、自分を物語の登場人物に擬することが必要になる。男の子がスーパーヒーローもののTV番組を好みのはそのためだ。また女の子が、普通の主人公が光り輝くロマンス物語を好む(じっさいに育てた事がないので想像だが)のも、そのためではないか。

これは、社会に出てからも同じである。いや、むしろ、人が育つ時間は大人になってからの方が長い、ともいえる。厳しい世の荒波の中で、自分を支え、自分を励ますために、物語の力を援用する。それはなかなかすぐれた方法だろう。そのためには、多くのすぐれた物語を自分の中にストックするべきだ、との意見も聞いたことがある。なるほど。それなら、頭に映像まで浮かぶような物語の方がいいだろうとも思う。

物語は人間の心の栄養である。だから人を引きつける。そして、本当に奥深い真実は、神話的な物語を通じてでなければ、他人の魂に伝わらないことがある。

良い物語は「多層的」であり、象徴的である。たとえば主人公の多くは、複数の使命の葛藤の中に投げ込まれる。ハムレットも、ヨナの物語もそうだ。また物語は、それ自体がファンタジーであることを示すことがある。父王の亡霊や、ヨナに下る神の声のように、異界との結びつきが一瞬現れるのである。そして、 無関係な偶然と思われたエピソードの点と点が、最後につながって必然を示したりする。

それと同時に、物語は、自分が出会うできごとを理解するための、型紙(パターン)であもる。引きこもって部屋から出てこなくなった高校生の一人娘のために、日が消えてしまったように暗い家庭の話を聞いて、それは「天岩戸の物語」だなあ、と思うようなものだ。娘さんは家族の太陽だったのに、急に隠れてしまったのだ。彼女にショックを与えたのはどこの素戔嗚尊なのか。彼女が出てくるためには、どんなアメノウズメが必要なのか。物語による「見立て」は、すぐにはのみ込みにくい事柄を、あてはめて理解するための補助線なのである。

ところで、物語にはこのような力があるのだが、逆に危険性もある。それは、出会ったできごとを何でも、手近な物語の型紙、貧弱なテーマにあてはめて、理解しようとする傾向である。こうした傾向は、メディアの報道でも、ネットの解説でも横行している。

ある人が、会社で新しい取組みをはじめた。うまく回り始めたので、メディアの記者の取材に応じた。ところができてきた記事を見ると、180度違うとまでは言わないものの、45度くらい方向性の違う話になっている。メディアは広報機関ではないのだから、必ずしも自分たちの意向に沿った話にならないのは、その人も承知している。だが、なぜ言ったはずもない別の要素が(この場合はAI系技術の応用だったらしいが)付け加わっているのか? 記者が、相手の話を聞く際に、「AI技術で生産性アップ」といった、自分の中で慣れ親しんだ物語に当てはめて、解釈してしまったのではないか。

ものごとを、手垢のついた物語のテーゼにあてはめる。そうすれば、頭の節約になる。かくして、こういう話は際限なく増えていく。手近な物語の原型とは、たとえば:
- やる気さえあれば何だって可能である
- 魔法の道具を手に入れたら問題は解決する(→AIなんかはこのバリエーションだ)
- 組織のパフォーマンスはリーダーが決める
- 人は競争させれば良い結果を出す
といった信憑である。

別の例を挙げよう。これは最近ネットで読んだ記事の冒頭である。特定の記者を批判するのが目的ではないから、メディアの名前は伏せる。

「日本の産業界を暗雲のごとく覆ったバブル崩壊後の「失われた20年」において異彩を放つ進撃を続け、A業界で世界最大手に飛躍したX社。長く辣腕を振るってきたY社長が率いる経営陣は過去最高益を連続更新しても気を緩めることはない。米国でグローバル生産を加速する巨大なモデル工場を稼働させ、得意の買収でZ事業を強化するなど攻勢を仕掛ける。・・」

これで中立的報道なのだろうか。自分の目には、スポーツ新聞の出だしのように見える。スポーツ紙は(はっきりいって)報道よりも、ファンに対する読み物、物語の提供を重んじる。企業欄の読者は本当に、散文的で退屈な事実の報告よりも、感情的で血湧き肉躍る物語を求めているのだろうか。まあ、解説記事はしょせん読み物だ、客観性よりも面白さだ、というポリシーならそれはそれで良い。ただ、それを手がかりにして、投資を計画したら危うい。

こうした傾向が広まると、客観的な趨勢や、統計分析可能な傾向も、すべて「人格のドラマ」「戦(いくさ)の物語」だけで解釈される危険性がある。以前、ある商業系コンサルタントに、外食産業に関係する情報源となる参考書をたずねた。しかし、その人が教えてくれたのは、経済作家の書いた小説だった。わたしは客観的な「データ」をたずねたのに、この人は「物語」を答えたのだ。リーダーたちの物語で、チェーン店の店長たちならば鼓舞できるかもしれない。だが、それを手がかりにして、セントラルキッチンを設計できるだろうか。

自分が出会うできごとに対して、手元にあるテーゼや物語で解釈することを続けたとき、その結果として何が生まれるだろうか。「ああすればこうなる」という分かりやすい物語から、何か学びを得るだろうか? 自分がすでに「知っている」信憑が強められるだけではないか。自分に励ましや慰めは得るが、できごとを見て、はっと我に返ることがなくなる。そういう単層的な情報をいくら得ても、学びにはつながるまい。

ヨナの物語は、「ああすればこうなります」という単純なテーゼを示しているだろうか? たとえば、善行をすれば幸せになれます、という話だったろうか。神様をそんな、善行をインプットすれば恩寵を出してくれる、自動販売機のようなものに描いているだろうか。そういう単層なテーゼの行き着く先は、「俺は偉い」という単純な物語ばかりで敷き詰められた人生だ。そんな物語にとって、他者は(つまりあなたやわたしは)、使い捨てのザコキャラになってしまうだろう。

問題の根源は、現代のわたし達の想像力が痩せてしまっていることにある。それが、単純な物語性に頼る知的衰弱を生んでいる。想像力は世界観を立体的にする鍵である。わたし達はもっと、多層的で、単純でない出来事に直面する勇気を、もたなければならないんじゃないだろうか。単純な物語に還元せずに、丁寧に点と点を追うこと。仮説を得たら一つひとつ検証してみること。そうして、少しずつ想像力を磨き上げること。これはなかなか手間のかかる、面倒くさい作業である。

だが、そうしないと、本当に豊かな「良い物語」には近づけないのだ。良い物語がなかったら、誰が自分の天命を知ることができるだろうか。

天命を知るとは、自分の物語を生きることなのだから。



# by Tomoichi_Sato | 2017-07-30 23:50 | 考えるヒント | Comments(0)

職人の国の生産性を上げる、最良の方法

3月に新潟に行った際、宝山酒造(http://takarayama-sake.co.jp)という会社を訪問した。規模としては零細に近い造り酒屋だ。一応、工場見学、というか、仕込みと醸造の場所を見学させてもらった。平屋の木造で、いかにもゆかしい「酒蔵」である。それから、こうした見学のつねとして、畳敷きの小上がりの部屋に案内され、いくつか試飲させていただく。わたしはお酒に弱いたちで、日本酒の目利きなどでは全然ないが、それでもなかなか美味しいと感じた。

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試飲させてもらいながら、酒造の来歴の説明をうかがう。どこから杜氏を呼び、どんな努力の結果、満足のいくお酒ができるようになったか。また同じ酒蔵の製品でも、高級な純米大吟醸から普及版の醸造酒まで、どんな特色と違いを出しているか。小さな会社でも企業努力の種類は大手と共通している。たしかに大吟醸の虹色めいた香りの広がりから、醸造酒の新潟らしいきりっとした味わいまで、比べて飲むと面白い。

もう一つ、非常にユニークで面白いと感じたのは、「ひと飲み酒」と呼ぶ、200mlの小さな化粧ガラス瓶のパッケージである。これを2本でも3本でも、セットで買うと、黒い洒落た紙箱に入れてくれる。見かけがとても都会的になって、部屋に並べておくだけで見て楽しいし、また酒飲みでない人間にとっては、1升だの4合だのを買うよりも、ずっと手が出しやすい。とても上手なパッケージングだと感じた。

小さな造り酒屋ながら、秀れた杜氏の職人仕事に加えて、顧客のニーズに応えた製品のラインナップ、そして洒落たガラス小瓶のデザインによる、自由な小口組合せ販売など、経営上の工夫をこらしていることに感心した。かえりに自分用に買ったばかりでなく、世話になった方へのギフトにも良いな、と思いつつそこを辞した。

同じその日、新潟市の大きな展示会場では「新潟 酒の陣」と呼ばれるイベントが開催されていた。新潟中の造り酒屋が何十社もブースを構えて、自分の製品を試飲販売している。2千円の参加費を払うと、小さな試飲用のガラスのお猪口を渡されて、ブースごとに回ることができる。わたしはじつは同じ日の午前中、仲間に誘われてそちらの会場にも顔を出したのだが、なにせお酒に弱いので、せいぜい5社くらいのブースをたずね、あとはぼんやり会場を眺めていた。
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眺めながらつくづく、「日本は職人の国だな」と思った。新潟の酒造はほとんどが中小零細規模である。そこが、それぞれ自分なりの思い入れを込めて麹を仕込み、酒を造る。そして自分が手塩をかけて作ったモノに対し、情熱とこだわりを持っている。味、香り、色、のどごしなど、自分の眼・舌・鼻・手の五感をフルに動員してこそ、良い結果が生まれる。つまり酒造り職人としての技能と、製品の品質が直結するのだ。

そう。職人というのはとても素晴らしい、尊敬すべき生き方である。わたしは高度な職人仕事には、無条件で感服する。心技体そろわなければ、優れた仕事はできない。ただ、そうした職人としての生き方を全うできるためには、何が必要なのか。

さて、いつものことだが(苦笑)、話は急に飛ぶ。先週、ある会合で「日本企業の生産性の低さ」が話題となった。この種の統計は世の中にいろいろと流通していて、たとえば日本生産性本部の2016年の統計(http://www.jpc-net.jp/intl_comparison/)によれば、日本はOECD 35カ国中22位であり、また順位も低下しつつある、という。とくにホワイトカラーの生産性の低さはほぼ定説のようになっていて、いつもやり玉に挙がっている。状況を改善するために、働き方改革の政策などが、声だかに唱えられている訳だ。

だが、それは本当なのか? というのが皆の論点だった。そんなに日本企業の生産性は低いのか? じっさい、製造業の過去20年間の労働生産性の伸び率だけを取り出せば、G7諸国の中で日本は1位だという統計もある(https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2017-04-25/OOYJ9G6JTSEI01)。製造業はよくやっているじゃないか。問題なのは流通・サービス業だ、という訳だ。ただしこれは20年間の伸び率であって、たしか現時点での数値はG7中の6位である。下にいるのは経済危機のイタリアだけだ。

「他の先進国は、移民などの安い労働力を使ってうまく稼いでいるだけなんじゃないか」という人もいる。だが労働生産性の数字というのは、賃金を差し引く前の、一人あたりの付加価値を示している。ここから賃金を引いた残りが、簡単に言うと企業の収益の源泉になる。だから賃金が高いか安いかは、定義上、関係ない。

「いや、地域でも業種でも差があるのに、そもそも平均値をとって国際比較すること自体に意味があるのか」という反論もある。でも、日本の平均値が過去、さっぱり伸びていない事実とはどう向き合うのか? そもそも、偏りのある分布に対する平均という操作自体が問題だとしたら、統計自体に意味がなくなってしまう。工場単位の平均を見ることすら、できなくなるだろう。

また、「品質の差を無視して生産性を比較するのはどうか」という意見もきくことがある。日本の製品は他国より品質が高い、と自信を持っているのだろう。しかし、品質が低ければ普通は価格も安く、付加価値は小さくなるのが道理である。付加価値の中には、品質の要素も込められているというのが、ビジネスの常識だ。

念のために書いておくが、上に論じた「生産性」とは、付加価値労働生産性のことである。それは、企業活動が生み出す付加価値の総額を、それに従事する人の数で割って得られる値だ。日本の場合、最新の値は一人あたり年間783万円という数値になる。ここから賃金を引いた残りが企業の利益の源泉である。あるいは、時間あたりで計算する場合もある(国際比較の場合、そもそも年間労働時間がかなり異なる)。日本は4,439円である(日本人は一人年間1,764時間働いている計算だ)。ただし国際比較をする際には為替の問題が出てくるため、購買力平価のような指標で較正したりする。

そして、国のGDPとは、その国で生み出した付加価値の合計である。経済成長はGDPの増加率で測る。日本の勤労人口はほぼ横ばいだから、経済成長したければ労働生産性をあげるしかない。これが理屈である。

くどいけれど、国際比較の文脈でいう「労働生産性」とは、一人あたり付加価値額のことである。別に労働者一人あたり製品を何台作れるかでもなければ、プログラマが一日何行コードを書けるか、でもない。ここを誤解している人がとても多いので、あえて書く。杜氏が一人あたり、何升のお酒を造れるか、ではない。その酒屋が生み出す付加価値額(=ざっくり言って、販売金額マイナス原材料費)を、杜氏も売り子も事務方も含めて、働いている人の数で割った数字が、その酒屋の労働生産性なのだ。

 労働生産性 = 付加価値額 ÷ 従事者数 =(販売金額 − 原材料費)÷ 従事者数

である以上、労働生産性を大きく上げるためには、販売金額を上げる、すなわち製品を高く売ることが必須であると分かる。もちろん生産量自体を増やすのも、もう一つの手段だが、ふつうは人を増やさなければなるまい。一人が一日あたり作れる製品の台数、書けるコードの行数、仕込める酒の量は、急には増やせないからだ。また原材料費を下げるのも第三の手段だが、これはもう限界があるし、それでも無理に下げたら品質劣化にはねかえる。そうなったら付加価値など、元も子もなくなる。

日本の労働生産性が低いのは、生産に従事する人達の働き方がわるいのではない。儲けるのが下手なのだ。それがわたしの解釈である。一応、国際的なエンジニアリングの世界で長年働いてきた身としていうが、欧米のライバル企業で働くエンジニア達と、個人単位で能力にさしたる差があるとは思えない。製造業とて、同じだろう。それなのにもし、国際比較で生産性が低いのだとしたら、それは儲け方が下手なのだ。ドイツの工場を見学した話は前回書いたが、日本の同種の工場とそれほど大きな違いがあるとは思えなかった。違うとしたら、どこで価格競争から脱するかが、違っているのだ。

職人が安心して仕事に精を出せるのは、作ったモノが売れていき、それがきちんと利益を出して、ちゃんと職人の給料にかえるときに限られている。作っても売れず、売れても利益が出なければ、誰がよろこびを持って働き続けられるだろうか? 

日本が職人の国だと言うことは、つまり作り手の国なのだ。作ることはよく知っている。そして上手にできる。だが、有能な商売人が足りない。これがわたし達の社会の病である。足で稼ぐセールスマンは多くても、知恵のある有能な商売人が不足なのだ。必要なのは「働き方改革」などではなく、「儲け方改革」なのである。

冒頭の宝山酒造の例を思い出してほしい。良い酒を造ることは大事だ。それは必要条件だが、十分条件ではない。製品のラインアップを確立し、ボトルや商品デザインにも工夫を凝らし、ネットでも注文を受ける仕組みをつくって、はじめて企業として安定するのである。そうしたことは、杜氏だけが考えるべき仕事ではない。

職人の生産性を決めるのは商売人である。なぜなら、付加価値の大きな部分を決めるのは、売るための仕組みだからだ。もっとも商売人も職人の協力が不可欠である。ライバルと品質も性能も原価も劣るようでは、売りようがない。つまり、販売と生産がきちっと統合して回る仕組み(システム)が必要なのだ。

酒造りや工場の労働に限らない。以前から書いているように、日本には職人的な仕事の領域、職人マインドで仕事をする技術者はとても多い。ソフトウェアなどその典型だろう。日本のIT業界がふるわないのだとしたら、それは技術力の低いプログラマのせいではない。もちろんプログラマが働かないせいでもない。プログラムの機能を顧客価値に変えて、お金を儲ける仕組みを構想できる経営者が、欠けているからなのだ。

もしもちゃんと儲けたかったら、どうすべきか。当然のことだが、人と同じ事をやっていたらダメだ。必ず、価格競争に持ち込まれる。他人を見習い、他社の後をついて行ってはダメだ。他人が思いつかないことをしなければならない。競争の果てにとった個別仕様の受注設計生産なんて、労力多く利益少なしだ。同じモノを作って売る方が効率が良いに決まっている。もちろん、個別仕様品それ自体はなくなるまい。だったら、少ないモジュールの組み合わせで、幅広い使用のバリエーションを生み出せるようにすべきだ。何より、顧客のニーズをリードしないで、どうやって高い付加価値が得られるのか?

本当にきちんと生産と販売(と開発)とが統合された仕組みをもてれば、その市場でオンリーワンの製品を作り、店の前には客が行列を作るはずだ。無理な安値競争の必要はなくなる。「三社相見積もりで」などという顧客には、「どうぞ他所でお買いください」とお引き取りを願う。こうでなければ、高い付加価値など生まれるだろうか。

では、仕組みという見えないもの(こと)を作るのは誰か? それに必要な資質は? 教育は?

「仕組みとはルールだ。だから法学を学んだ者が全体をマネージすべきだ」・・これが長い間、この国を支配してきたイデオロギーだった。むろん法学を学んだ、というのは、某・旧帝大(名前はあえて書かないが)の法学部を出ることを、事実上意味してきた訳だ。まあ法学というのは一種の概念体系だから、それを学んだ人はロジカルシンキングに長けている、ことは認めよう。だがシステムの設計(デザイン)とか、ビジネスの構造は、いつ学んだのか? もっとも、法学部に限らず、そんなものを教えてくれる学部が別にあるとも思えぬが。

そう。この国には、「『仕組みをつくる人』を育てる仕組み」が欠けているのだ。二重の欠落である。わたし自身が上等な商売人だとは、もちろん口が裂けても言えぬ。だが、少しだけは取り柄もある。「システム」というものが何か、ずっと長いこと考えてきているのである。わたしはこうした問題に興味を持つ人と、問題意識を分かち合いたいと思っているし、なるべく多くの人に、知り得たことを何とか伝えたいと願っている。そうして、システムを作れる人を育てるシステムを、なんとか一緒に作っていきたいのだ。


<関連エントリ>
 →「職人的であること、エンジニアであること」 http://brevis.exblog.jp/24607574/ (2016-08-21)


# by Tomoichi_Sato | 2017-07-23 22:56 | ビジネス | Comments(0)

開催します!:「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」(8月8日)のお知らせ

講師急病により先月の講演を延期いたしましたが、幸い復調されましたので、あらためて8月8日(火)に開催させていただきます。
会員の皆様にはご心配をおかけいたしました。(7/19 佐藤知一・追記)
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プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」2017年の第3回会合を、下記の要領にて開催いたします。

今回は、雪印メグミルクの松本卓夫様を講師にお迎えして、同社の企業再生のプロジェクトについてご講演いただきます。

ご承知の通り、旧・雪印乳業を中心とした雪印グループは、2002年に企業存亡の危機を迎えます。四面楚歌の中、会社に残られた方々は、生産と物流をカバーするサプライチェーンの改革に、収益回復と業績再生の希望をつなぎます。

その渦中を奔走し、改革プロジェクトをリードされた当事者である松本様から、具体的なお話を頂戴します。ある意味で、我が国が必要とするプロジェクト・マネジメントの生きた姿を示すと言っても過言ではありません。サプライチェーンの改革と企業の復活はどのようなものか、興味深いご講演に、ぜひご期待ください。


<記>
■日時:2017年8月8日(火) 18:30~20:30
■場所:慶応大学三田キャンパス 北館会議室2(1階) (定員:28)
※プロジェクターあり
キャンパスマップ・【1】

■講演タイトル:「雪印メグミルクのSCM構築と統合工場(阿見工場・総合物流センター)建設の概要

■概要:
雪印メグミルクでは雪印乳業時代の2003年から2009年にかけてSCMシステムの開発導入と業務改革を実施し、大きな収支改善を実現した。また、さらに高度なSCMの実現のため既存3工場を集約した乳製品統合工場と原料・製品保管と保税機能を有する総合物流センターを建設し、サプライチェーンの全面見直しによる収支基盤の強化を実現した。これらの取組みとプロジェクトの概要を述べる。

■講師: 雪印メグミルク(株) 松本卓夫(まつもと たかお)様
■講師略歴:
1981年 早稲田大学 理工学部 工業経営学科卒業
      雪印乳業 入社
      福岡工場 本社 技術部 装置技術部 SCM推進部 物流部
2007年 本社 生産部 担当部長
      生産設備 企画導入施工・装置開発・SCMシステム開発 総括
2011年 会社合併により、雪印メグミルク 生産技術部 副部長
2012年 乳製品統合SCMシステム構築プロジェクト統括マネージャ
      阿見工場システム構築・阿見総合物流センター建設
2015年 生産技術部 装置開発グループ 副部長
      生産設備技術開発・FA開発導入・SCM開発 総括

■参加費用:無料。 ちなみに本研究部会員がスケジューリング学会に新たに参加される場合、学会の入会金¥2,000が免除されます。

会場の人数に上限があるため、参加を希望される方は、できましたら前日までに三好副幹事(miyoshi_j@kensetsu-eng.co.jp)までご連絡ください。
以上、よろしくお願いいたします。


佐藤知一@日揮(株)


# by Tomoichi_Sato | 2017-07-19 23:14 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

ビジネス・マネージャーとは何をする人か

数年前、製造業に働く方から相談を受けた。その企業では、西南アジアの某国でプロジェクトをはじめるという。プロマネ以下、何人かのチームでその国に乗り込み、現地企業と共同で新しい製品の製造ラインを作る仕事だ。そこで、何かアドバイスがあれば頂戴したいという話だった。

もちろん、わたしはその会社の製品について何も知らないから、技術的アドバイスなどしようもない。できるのはマネジメント的なアドバイス、つまりプロジェクト・マネジメント面での助言ということだろう。そこで、チーム編成やプロジェクト期間などについて少したずねた後で、わたしは申し上げた。

ビジネス・マネージャーを任命してチームに入れるべきです。
 営業畑でも、法務でもいい。文系の人を任命してください。」

技術的プロジェクトだからと言って、技術者ばかりでチームを編成するのは賢いやり方ではない。そう、わたしは申し上げた。もちろん文系といっても、英語が一応しゃべれることが望ましいですが(その国でビジネスをやるなら、英語のコミュニケーションが必要になる。大学教育は英語で行っているはずだから)。
−−でも、ビジネス・マネージャーって、何をするんですか?

それが先方の疑問だった。なるほど、知らない人には分かりにくいかもしれない。

日本には理系と文系という、諸外国にはあまり見ない不思議な制度的区分がある。理系の人は文系のことは知らなくて良いし、文系の人は技術に興味がなくてもて当然だという、思考習慣がある。MITすなわちマサチューセッツ工科大学に、経済学や言語学の講座があってもいいじゃないかと考える欧米流とは少し、ギャップがある。

ただし英語では(つまり、英語でビジネスをする業界では)、Technical と Commercial という区分がある。たとえば、きちんとした国際入札は普通、Technical Proposal と Commercial Proposalのに分冊の作成が要求される。日本語でいえば。技術提案書と商業提案書かな。

技術提案書には、設計面での提案や、遂行方針などが記される。そして商業提案書には、価格(明細・合計)、支払・保証など契約面についてが書かれる習慣だ。通常の日本の商慣習に翻訳すれば、前者が「見積仕様書」、後者が「御見積書」になるだろう。

そして国際入札では、まずTechnical Proposalの評価(技術評価)で合格した入札者のみ、Commercial Proposalが開封されるルールになっている。入札の選定は、値段だけでは決めない。いや、先に値段を見て安い応札者に対して、技術面をネゴしたりもしない。まして、技術的には優秀だが値段が二番手以下の応札者に対し、一番札の値段を教えて値引き要求をしたりもしない。これが国際的な慣習で、それを破ると業界内で信用を失う。つまり二度とまともに入札ができなくなる(応札者がいなくなる)、という仕組みである。このようなTechnicalとCommercialの区別と順位付けが、国際入札の仕組みを守っているのである。

さて、Proposal全体を取りまとめる責任者は、PM=プロマネである(あるいはProposal Managerともいう)。そしてCommercial Proposalの部分をまとめるのが、BM=ビジネス・マネージャーの仕事なのだ。

しかし、BMの仕事が一番大事になるのは、受注後の遂行段階である。そして、客先との交渉(ならびに、その準備)が主要な仕事の柱となる。追加や変更に伴う交渉においては、BMが過去の書類やメールなど、証拠(エビデンス)を全部まとめ上げる仕事をしてくれる。そして変更に伴うインパクトや、作業費用を見積もるのもBMだ。さらに過去データや外部企業の事例を探してきて、交渉の材料にするのだ。ここまで揃えば、プロマネの交渉の仕事はずいぶんやりやすく、楽になる。

なんだそれ、営業の仕事じゃないか、と思われた方もいるかもしれない。かもしれないが、貴方の会社の営業マンは、受注後もプロジェクトにはりついていられるだろうか? それも海外プロジェクトの現場で? せいぜい、たまに来て手伝うだけではないだろうか?

それに、交渉以外にもやる仕事はたくさんあるのだ BMは金銭や契約や雇用・労務に関わる一切の仕事に責任を持つ。もう少し具体的に列挙すると:

- 客先への請求と支払いに関わる事項
- 変更(Change Order)と見積・交渉に関わる事項
- プロジェクトの資金管理とキャッシュフローに関わる事項(海外プロジェクトならば外貨と為替も)
- 要員の手配・採用に関わる事項(海外ならばビザ手続きも)
- 外部発注企業に対する契約と支払いに関わる事項
- 執務環境に関する事項(海外プロジェクトならば宿舎の手配も)

こういうこと一切合切を仕切るBMがいなかったら、どうなるだろうか? こうした事柄は、いずれにせよ不可避である。避けて通れないのだ。となると、結局誰かがやるしかない。そして、それはつまりプロマネの仕事になってしまうのだ。技術に専念したい技術系プロマネにとって、こうしたことは「雑用」に思える。わたしは技術以外のことを、雑用として軽んじる見方には組みしないが、そう考える人は現実に多いだろう。

ここで、R・ハインラインの名作SF「月を売った男」 に出てくる挿話をわたしは思い出す。この物語の中で主人公は、自分が月ロケットの設計図に集中したいときにかぎって、運送業者がトラックの手配について文句を言ってくる、といって嘆く。すると彼の片腕になる男が現れて、そうした「一切の雑用」を自分が引き受けます、だからボスは技術に集中してください、と宣言するのだ。

ソフトウェア産業における生産性の問題を論じた「人月の神話」 の著者Brooks Jr.は、この「月を売った男」のエピソードを引用し、技術系PMの下に、商務に強いBMがいるのが理想だ、と書いた。たしかに一つの考え方である。

いや、ちょっとまって。ウチの会社にはそんな、営業面も法務も人事も会計も総務もわかるような、しかも英語も話せるようなスーパーマンはいないよ。そんな声も聞こえる気がする。たしかにそうかもしれない。

だが海外のライバル会社には、専門のBMがいるかもしれない。BMの交渉力やサポートが案外、赤字と黒字の分かれ目になるかもしれない。だったら、今からでも育成するしかないのだ。そのためには、まず、ビジネス・マネージャーという専門職種が必要なのだと、会社が認識することが先決だ。

以前にも書いたが、わたしは「文系」と「理系」という人材の区分をあまり認めていない。わたしの勤務先には、いわゆる文系出身ながら、エンジニアリング会社のプロマネとして立派な仕事をしている人が何人もいるし、まだ駆け出しだった若い頃について勉強した先輩も経済学部出身のエンジニアだった。またわたし自身、理系と文系の両方の資質を持った人間だと自覚している。だから、「技術屋だから契約オンチでいい」とか「営業マンだから設計の話は知りたくない」といった、自分で壁を作ってしまう人々の態度は、一種の怠惰だと思っている。

だが、文系・理系という区分は世間に流通しているし、そういう形で自己規定している人も多い。だったら、せめてその範囲内では責任感を持ってもらいたい、というのがわたしの期待だ。だから営業マンであって労務や会計は素人であっても、せめて「文系の守備領域」については、技術屋に対して自負を持ってくれるだろうと思い、冒頭に述べたような提案をしたのだ。

念のためにいうけれど、プロマネ人財だって、固有技術も管理技術もよくわかり、かつ人徳があってリーダーシップも豊富な、スーパーマンみたいな人は滅多にいないと思う。で、スーパーマンがいなくても仕事がある程度成り立つためには、仕事の仕組み(システム化)が必要なのだ。そしてプロマネを補佐したり助けたりする支援組織や専門機能が必要である。

もちろん、ちゃんとしたプロマネをまず、意識して育成しなければならない。ただプロマネは最終責任者なのだから、BMの領域についてだって、少しは知る必要がある。つまり契約や請求や会計や雇用について、せめてBMとちゃんと会話が成り立つ程度には、概念と用語の知識が必要である。そしてBMの側にとっても、営業や財務や法務など本社の専門部署からのサポートが必要なのである。

冒頭にあげた会社が、うまくBMを任命できたかどうか、残念ながらその後の話はまだ聞いていない。社内で見つけるのは、そう簡単でなかったろう。ただ海外ならば、逆に欧米人の専門家を雇う手段だってある。まあ専門家を呼べば、たぶん高給取りだろう。しかし、それで技術者達が技術に専念でき、赤字を回避できるなら、総合的には安いものだ。

それは、マネジメントの価値とコストの比較論である。マネジメントはリーダー職の片手間仕事ではない。とくに海外プロジェクトならば、なおさらである。契約社会でのプロジェクトには、「文系」的な職域に強い人材も、必要なのだ。技術力だけでは勝てない。そのことの認識が、海外に打って出るときの第一歩なのである。





# by Tomoichi_Sato | 2017-07-10 22:32 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)